2月1日の【黒川検事長の定年後「勤務延長」には違法の疑い】と題する記事で、検察庁法が、刑訴法上強大な権限を与えられている検察官について、様々な「欠格事由」を定めていることからしても、検察庁法は、検察官の職務の特殊性も考慮して、検事総長以外の検察官が63歳を超えて勤務することを禁じる趣旨と解するべきであり、検察官の定年退官は、国家公務員法の規定ではなく、検察庁法の規定によって行われると解釈すべきだとして、違法の疑いを指摘したところ、大きな反響を呼び、この問題は、昨日(2月3日)の衆議院予算委員会でも取り上げられた。
渡辺周議員の質問に、森雅子法務大臣は、
「検察庁法は国家公務員法の特別法に当たります。そして特別法に書いていないことは一般法である国家公務員法が適用されることになります。検察庁法の22条をお示しになりましたが、そちらには定年の年齢は書いてございますが勤務延長の規定について特別な規定は記載されておりません。そして、この検察庁法と国家公務員法との関係が検察庁法32の2に書いてございまして、そこには22条が特別だというふうに書いてございまして、そうしますと勤務延長については国家公務員法が適用されることになります」
と答弁した。
森法相は、検察庁法と国家公務員法が特別法・一般法の関係にあると説明したが、何とかして、黒川検事長の定年延長を理屈付けようとした政府側の苦しい「言い逃れ」に過ぎない。
問題は、検察庁法22条の「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する。」という規定が、「退官年齢」だけを規定したもので、「定年延長」については規定がないと言えるのかどうかである。検察庁法の性格と趣旨に照らせば、「退官年齢」と「定年延長は認めない」ことの両方を規定していると解するのが当然の解釈だろう。
裁判官の定年退官について、憲法80条では「その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。」と定められ、裁判所法50条で「最高裁判所の裁判官は、年齢70年、高等裁判所、地方裁判所又は家庭裁判所の裁判官は、年齢65年、簡易裁判所の裁判官は、年齢70年に達した時に退官する。」とされている。憲法の規定に基づく裁判所法の「年齢が~年に達した時に退官する」と同様に、検察庁法で規定する「定年」は、その年齢を超えて職務を行うことを認めない趣旨だと解するべきである。
森法相は、「裁判官も国家公務員だから、裁判所法の定年退官の規定は、年齢だけを定めたもので、定年延長については規定していないので、一般法の国家公務員法の定年延長の規定が適用される」とでも言うのであろうか。
そもそも、検察庁という組織において、国家公務員法82条の3の「その職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」というような事態が生じることがあり得るのか。検察庁法が規定する検察官の職務と検察庁の組織に関する「検察官一体の原則」からすると、そのようなことは想定できない。
検察庁法1条の「検察庁は検察官の行う事務を統括するところとする」という規定から、個々の検察官は独立して検察事務を行う「独任制の官庁」とされ、検察庁がその事務を統括すると解されている。それは、官庁のトップの有する権限を、各部局が分掌するという一般の官公庁とは異なる。つまり、検察官は、担当する事件に関して、独立して事務を取り扱う立場にあるが、一方で、検察庁法により、検事総長がすべての検察庁の職員を指揮監督する(7条)、検事長、検事正が管轄区域内の検察庁の職員を指揮監督する(8条、9条2項)とされていることから、検事総長、検事長、検事正は、各検察官に対して指揮監督権を有し、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできること)を有している。それによって「検察官同一体の原則」が維持され、検察官が権限に基づいて行う刑事事件の処分、公判活動等について、検察全体としての統一性が図られている。
検察官の処分等について、主任検察官がその権限において行うとされる一方、上司の決裁による権限行使に対するチェックが行われており、事件の重大性によっては、主任検察官の権限行使が、主任検察官が所属する検察庁の上司だけでなく、管轄する高等検察庁や最高検察庁の了承の下に行われるようになっている。
このように、検察の組織では、検察官個人が独立して権限を行使するという「独立性のドグマ」と、検察官同一体の原則による「同一性のドグマ」との調和が図られているのであるが、少なくとも、検察官の職務については、常に上司が自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできるという意味で「属人的」なものではない。特定の職務が、特定の検察官個人の能力・識見に依存するということは、もともと予定されていないのである。
検察庁という組織には、定年後の「勤務延長」を規定する国家公務員法81条の3の「職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるとき」というのは、もともと想定されていないというべきである。
森法相は、黒川検事長の「勤務延長」の理由について、
「東京高検検察庁の管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するため、黒川検事長の検察官としての豊富な経験知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が不可欠であると判断したため、当分の間引き続き東京高検検察庁検事長の職務を遂行させる必要があるため、引き続き勤務させることとした」
と答弁した。
しかし、少なくとも、黒川検事長の「検察官としての豊富な経験知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が不可欠」とは考えられない。ここでの「部下職員」は、主として東京高検の検察官や、東京地検幹部のことを指すのであろうが、黒川検事長の勤務の大半は「法務行政」であり、検察の現場での勤務は、合計しても数年に過ぎない。また、検事正の勤務経験も、松山地検検事正着任直後に、大阪地検不祥事を受けて法務省に設置された「検察の在り方検討会議」の事務局に異動したため、僅か2か月程度に過ぎない。他の、東京高検検察官、東京地検幹部の方が、遥かに「検察官としての経験」は豊富である。
黒川検事長の定年延長についての森法相の答弁は、法律解釈としても疑問だし、実質的な理由も全く理解できない。それが、次期検事総長人事を意図して行われたとすれば、「検事総長自身による後任指名」の慣例によって「独立性」を守り、それを「検察の正義」の旗頭としてきた検察にとって「歴史的な敗北」とも言える事態である。
かねてから、内部で全ての意思決定が行われ、外部に対して情報開示も説明責任も負わない閉鎖的で自己完結的組織が「検察組織の独善」を招くことを指摘してきた私は、「検察の独立性」を守ることにこだわるつもりは毛頭ない。しかし、内閣固有の検事総長の指名権を正面から行使するのではなく、違法の疑いがある定年延長という方法まで用いて検察トップの人事に介入しようとするやり方には、重大な問題がある。責任を回避しつつ、意向を実現しようとする「不透明性」なやり方で、安倍政権は、検察組織をもあからさまに支配下におさめようとしているといえよう。
「郷原信郎が斬る」2020年2月5日『「検事長定年延長」で、検察は政権の支配下に~森法相の答弁は説明になっていない』より転載しました。