もっともっと“グレー”を語ろう。それが「語りづらかった人が語りやすくなる」世界をつくる

新聞記事の見出しになるような社会問題だって、実のところ、すでに自分ごとだったりする。話題の2冊『ほんのちょっと当事者』と『発達障害グレーゾーン』の作者が語り合ったら、「生きやすくなる社会」のヒントがあった。
(右から)青山ゆみこさんと姫野桂さん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
(右から)青山ゆみこさんと姫野桂さん

大文字で語られる社会問題を自分ごとに引きつけ、深い考察と面白さを同居させたエッセイ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)を刊行した、ライターの青山ゆみこさん(写真右)。

病気の母親を看取ったあと、脳梗塞の後遺症で身体障害のある父親と向き合って初めて、介護問題の切実な当事者であると自覚したところから、自身の小さな困りごとや生きづらさに目を向けて「ちょっと当事者」としてつづっている。

青山さんは、「ほんの少し当事者として改めて見渡せば、世界の見え方が変わっていく」「自分自身が社会の主人公になる。すると、同じ舞台に立つ隣の人への想像力が膨らみ、他人事だったことが自分事として感じられるようにもなるのではないか」と言う。

そんな、「黒でもないけど白でもない。みんなグレーなんじゃないの?(だからこそ理解し合えることってあるよね)」という青山さんと似たスタンスで、発達障害の当事者や発達障害グレーゾーンの人たちなど生きづらさを抱える人々に取材を続けているのが、ライターの姫野桂さんだ。

姫野さんは1作目となるルポルタージュ『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)で自身のASD(自閉スペクトラム症)とLD(学習障害)を疑いながら、発達障害を抱える多様な当事者たちを取材。自身も心理検査を受け、発達障害の診断が出るまでの一連のプロセスを丁寧にレポートした。そして、2作目となる『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)では、発達障害の傾向はあっても診断が下りない‟グレーな人々″にスポットを当て、その不安や苦しさに迫った。

2人がアプローチする題材は異なるものの、当事者性を含んで語っているところに共通点がある。

「私も当事者だし、あなたも当事者」。

その視点にこそ、息苦しい現代社会からちょっと楽になれるヒントがあるのではないか――。「誰もが何かの“ほんのちょっと当事者”かもしれない」をテーマに、2人があれこれ語った。

どこの家庭にも何かしらある

――「黒ではないし白でもない。(グラデーションはあるにせよ、)みんなグレーなんじゃない?」というお二人の視点に共通点を感じたところから、今回の対談が実現しました。まずは、青山ゆみこさんが『ほんのちょっと当事者』で「自分事として引き寄せてみる」という切り口で書かれた経緯を教えてもらえますか。

青山ゆみこさん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
青山ゆみこさん

青山ゆみこ(以下、青山):web連載を始めたきっかけは、母の看取りです。母は亡くなるまでの16年間、脳梗塞から半身麻痺になった父の介護をしていました。私は父と折り合いが悪く、母ともそんなに仲が良かったわけではありませんでした。父と母の夫婦関係も円満ではありませんでしたが、毎日お互いを罵り合って暮らしているといった決定的な亀裂があるわけでもなく、不協和音を奏でながらもだましだましで営んでいるよくある家族で。父が倒れた時すでに私は実家を出ており、仕事もあったので…と言う理由で、父の介護を母に押し付けてしまったんです。

母が亡くなって要介護者の父が残された。その時に自分が「介護問題の当事者だった」ことに初めて気づいたんです。ニュースで見ていてもどこか他人事だったあれこれが、途端に自分のことに感じて、周囲の見え方が変わりましたね。

見渡してみると、ほかにも自分がいろんなモヤモヤやしんどさを抱えていることがありました。小さな引っかかりであったり、すでに思い出となっていたりするんだけど、これってもしかして社会問題のほんの片隅だけど、一角に入っているものでは?と思って。そんな自身の体験から語ってみることにしたんです。

姫野桂(以下、姫野):「社会問題」と言っちゃうとすごく堅くなるけれど、実は身近にすでにあるんですよね。気づいてないだけで、自分が今直面している悩みや課題がそのまま社会問題だったりする。

青山:その通りですよね、まさに。

姫野:青山さんの著書を読んで、どこの家庭にも何かしらあるんだ、自分だけじゃなかったんだと、ほっと肩をなで下ろすところがありました。青山さん、すごく自分に正直に書かれてもいるから。うちも、介護をしていた期間が長かったんですよ。私が小学4年生ぐらいの頃から高校を卒業して以降も、父方の祖父母の面倒を両親が2人で見ていました。

青山:ご自宅で介護を?

姫野:介護施設で生活していました。私の実家は宮崎市にあり、祖父母は大分に住んでいましたから。やっと入れた施設は2人合わせて月30万円程度かかる高級なところにもかかわらず、家族が定期的に見に行かないと祖父母のスタッフさんからの扱いが悪くなり、ティッシュやオムツなど身の回りの生活用品の買い出しは家族が行かないといけなくて。月に1、2度宮崎から車で通っていました。

私もついて行っていましたが、行くたびに魂が削ぎ取られていくようでした。特に祖母が大変で。統合失調症という精神障害があり、途中からベッドから落ちて大腿骨を骨折して寝たきりになって。晩年はアルツハイマー型の認知症の症状も見られるようになりました。さらに、誤嚥を起こしたから胃ろうの手術をしたことで長生きして、15年ほど介護をしていました。

青山:ああ……、ご両親、いろんな意味で大変でしたね。

姫野:私の思春期とも重なり、いろんな問題が押し寄せていたと思います。

私は10代だったこともあり、介護に直面しながら制度や支援についてはほとんど分っていませんでした。同じように、介護保険や障害者保険など、楽になる支援や得する制度があるのに、そういう情報にたどり着けない人は少なくないと思います。相談できる窓口はたくさんあることを、もっと知られていいですよね。

青山:そうそう、私も自分が介護問題に直面して介護職員初任者研修を受けて勉強したところから、情報にたどり着ける先があることを知りました。

性暴力はオフィシャルの「語りづらさ」感じる

姫野桂さん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
姫野桂さん

姫野:『ほんのちょっと当事者』は、そういう具体的なサポート先も書いてくれていますよね。4章の「あなたの家族が経験したかもしれない性暴力について」を読んだときも、相談できる窓口があることをもっと知られていいのにと強く思いました。性暴力に関することは、表沙汰になっていない出来事はたくさんある。被害に遭ったら、証拠を残すためにシャワーを浴びてはいけないんだけれども、気が動転していたり不快なものを取り除きたくて洗い流してしまったりする。

青山:性暴力は、被害者が泣き寝入りせざるを得ない日本社会の風潮、性暴力をオープンに語らせない空気感や圧力も感じますよね。

web連載で書いているとき、各章それぞれに反響があったんです。ただ性暴力の章だけは表だっての反響はありませんでした。静かに記事のリツイートやシェアはあるんですけど、「私もこうでした」と気軽にリプライしてくれるようなことはなくて。一方で、個人的にDMをいただいたりメールが来たり、ばったり会った人が「そうそう…」と体験を語ってくれたり。オフィシャルでの「語りづらさ」を感じました。

被害にもいろいろなパターンがあります。完全に黒でしょというものから、痴漢の延長のような、たまたま体に当たっただけかもしれないし被害妄想かもと、自分でも判別できない、でも気持ち悪さが残っているものまでさまざまです。

姫野:青山さんが経験された性暴力は、「整体の名医」と呼ばれる先生の自宅治療中に「股関節をほぐす」と施術しながら下着の中にも手を入れられたというもの。これも、微妙なラインですよね。

青山:そう、自分でも線引きできない。治療の一環なのかもしれないと考えると、問題なのか、問題じゃないのかとモヤモヤして決められなくて。そうなると余計に、わざわざ言えなくなってしまう。「これ問題なの?問題じゃないの?」が加わると、性犯罪はさらに語りづらくなるように思います。

姫野:そういうモヤモヤの語りづらさというものを、『ほんのちょっと当事者』は的確に言語化してくれていますよね。

青山:書くことで、私自身のわだかまっていたものが溶けていくような、洗われるようなところがありました。この本は、私自身が当事者なのかを明らかにすることが目的ではなくて、私の経験を共有することで「実は自分も……」と、ほかの人が蓋をしていたことについて気楽に語れるようになること。連載でいただいた感想や反応を見ていても、語りづらかったことが語りやすくなるという、周囲の変化のほうが大きいように受け取っています。

(左から)姫野桂さんと青山ゆみこさん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
(左から)姫野桂さんと青山ゆみこさん

残高数千円で高額アルバイトの世界へ…

姫野:「私だけじゃなかったんだ…」と知ることは、救いになりますよね。私が衝撃だったのは、1章の、銀行カードローンによる融資を重ねて自己破産の一歩手前までいったというエピソード。この話、笑っていいんでしょうか?(苦笑) 

青山:「おバカなゆみこちゃんの愚かな行為」として、笑い飛ばしてください(笑)。「当事者」という言葉を使うとシリアスに受け止めて読まない人がいるかもしれない。そこをまずは飛び越えたい想いがありました。黒歴史を面白がってもらえたら。

同時に、「あのとき自己破産していても大丈夫だった」という事実もきちんと伝えたかったんです。自己破産をしたら社会的に抹殺されるようなイメージがありますが、自己破産をしても立ち直れる社会保障や法制度が整っています。私のようなバカな浪費ではなくて、誰かの保証人になるとか、降りかかった災難で借金を背負うことになることは、誠実に生きていてもあると思うんです。

そうなったときに、自己破産を選ばずに自分で返済しようとすると、女性なら体を売るとか、男性なら犯罪まがいのアンダーグラウンドな世界の仕事に手を染めてしまいかねない。「自己破産しても大丈夫」と知ることで、楽になれる人もいるんじゃないかなって。

姫野:お金の話は、友だちにも気軽に相談できなかったりしますよね。私も失敗だらけ。お金の相場がわからなくて。銀行のATMは、好きなときにお金を引き出せる機械と思っていました。「みんなの貯金箱」の意識で。

青山:お金の油田みたいな? ……私より愚か者じゃないですか!

姫野:高校生までのお年玉をずっと貯めていたので、銀行の預金が30万円ぐらいありました。財布に現金がなくなったら、引き出していました。それがある日、残高が数千円になって! 慌てました。ちょうど、高額アルバイトのフリーペーパーを見てたんですよ。

青山:え、切り替えが早い……!

姫野:「出会いカフェ」の募集でした。デートするだけでお金がもらえる。食事だけでいい、と。

青山: 待って待って、危ない(笑)。

姫野:早速、募集先に行ったんです、19歳のとき。マジックミラー越しに待機できるようになっていて、呼ばれたら個室で男性と相談したうえでデートに出かけていくシステムでした。個室で初見の男性からホテルに行けるかどうか聞かれて驚いて。行けないと伝えると、待機場所に戻らされました。一方で、呼ばれた女の子たちはみんな、男性とそのまま出かけちゃうんです。そこでやっと、「ホテルに行かないとお金をもらえないのか!」と気づきました。

青山:マジックミラーの世界がそんなにライトだとは(笑)。借金したわけでもなく、貯めていたお小遣いが無くなっただけなのに。お金の相場がわからないって、衝撃発言ですよ。

姫野:大学生で上京して一人暮らしをするまで、お金について何も学ばずに来ちゃって。その時は、親に仕送りを前借りして事なきを得ました。社会人になってからもありましたよ。新卒で入社した会社の手取りは18万円。初任給は定期券代が含まれていて24万円もあって。やった! と、結構高いワンピースを買ってしまったんですよ。今でも家計の計算は苦手です……。

青山:こうやって、お金の失敗を日常的にオープンにしていくといいですよね。かつての姫野さんがうっかりマジックミラーの世界に入ってしまった話を今読んだ人が、(ヤバいんか、それ!)と気づいて、自制できることにつながるかもしれない。

姫野:その後の私が、もしも、ホテルに無理やり連れ込まれて大変な目に遭っていたら、こうやって笑っては話せないかもしれないですよね。

正しさを追求すると行き場がなくなる

青山:深刻になればなるほど、語れなくなってしまうところもあります。でも、声が上がらないと気づけない。社会に偏見を持つ人が多いから話せないことがあるのだろうけれど、「偏見を持つのをやめましょう!」「差別するのやめましょう!」と声高に訴えても、得られる効果は薄いように思うんです。

「みんな大変なことあるよね、しんどいよね」ということを、まず先に共有することのほうが重要なんじゃないかなって。姫野さんが、『発達障害グレーゾーン』で発達障害の傾向はあっても診断が下りない人について書いたことで、グレーゾーンの人たちの気持ちがちょっと和らぐことってあると思うんです。当事者として語ることで、「自分のことも話しちゃっていいやん!」と語りやすくなったり、受け入れられたりする人が増えるというやり方があると思っています。

姫野:可視化させることで、気づけること、周辺の人が語りやすくなることはありますよね。

青山ゆみこさん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
青山ゆみこさん

青山:どっちが正しいか正しくないといった、正しさを追求すると行き場がなくなるんですよ。たとえば、「差別が悪いこと」は、ほとんどの人が分かっていますよね。でも私は、自分自身が高音域難聴という障害を抱えているにもかかわらず、聴覚障害者として扱われたときに「違う違う、そっち側じゃないです」とはっきりと線引きした自分がいました。本当に恥ずかしいし苦しいんですが、そんな自分の中にある「何か黒いもの」は消えない気がしています。

ただ、消えないかもしれないけれど、できる限り出さないで生きていきたい。人間としてそうありたい想いはやっぱりあって。そこを無視して、「差別はありません・しません!」と最終目標に掲げると、しんどい。「(差別的なことを)言っちゃうかもしれないけれど、言わないようにしています」という人間のほうが、私は信用できます。

――姫野さんは、算数のLD(学習障害)で、ADHDの注意欠如の傾向があるという診断が出ています。発達障害においては、グレーではなく当事者であるわけですが、当事者であることで気をつけていることはどんなことですか。

姫野:私は発達障害がありますけれど、「当事者代表ではない」と意識的です。人それぞれ、症状も、症状に対する悩み方も違うので。

『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい本音』では、発達障害の夫婦や吃音症の方、二次障害でうつ病を抱える方など、障害のバリエーションを多くしようと考えて取材をしました。当初は取材を受けてくれる人を探すのは大変だろうと予想したんですが、逆でした。記事が公開された日は、当事者の方たちからの問い合わせメールの対応で1日終わるほど、自分の障害を話したい、広めたいという方が多いことに驚きました。

青山:当事者が語ることで、現状や本音が多くの人に誤解なく伝わり、それによって自身の生きづらさを楽にする道が開ける。そんな想いからなんでしょうか。

姫野:そうですね。一方で、発達障害を隠したい人もいます。役所に勤めているある人は、同僚に知られることを恐れていました。ADHDの診断が下りているのに、自立支援を受けるための書類を出すことを避けてADHDの薬を自費で服用していました。役所の窓口では、精神障害のある方が訪れて暴れることもあります。職員に自分も同じように見られるのがイヤだとおっしゃっていました。

青山:偏見を恐れる。発達障害に対する相手の理解度がどれぐらいかも、分からないですしね。

姫野:発達障害は千差万別。傾向はあるけれど診断が下りない「グレーゾーン」の人たちになると、グレーの中でも黒に近いグレーから、白に近いグレーもありますから、さらに多様です。ここ数年、発達障害が取り上げられることが増えましたよね。認知や理解が広がったことは良いことなのですが、発達障害者同士の断絶も起こっているんです。

青山:なんと!

姫野:当事者同士だからつながれるというのは、安易な考え方です。発達障害を抱えながらも、適応する職が見つかるなど成功している方はいらっしゃいますが、ごく一部。多くの場合、一般業務ができなくて職場に居づらくなり仕事が続かなかったり、コミュニケーションが苦手ですぐに揉め事を起こしてしまったり、悩んでいる方のほうが多い。うまくいっていない人が同じ当事者だからこそ憎悪をぶつけてしまう。私も最近ツイッターで「姫野桂は発達障害という皮をかぶった健常者」と書かれました。

青山:ひねくり回し方がすごい……。

姫野:「こいつは大卒だし、社会人経験もある」と。大学に行ったのは数学を避けた3科目で受験したからで、会社勤めをした3年間も事務職ができなくてつらくて辞めました。自分のできるところだけでかいくぐって、なんとか生きているんですけどね……・。発達障害のある人が、認知の歪みを起こしているケースは少なくないと思います。

「キラキラ発達さん」当事者間にも分断が

姫野桂さん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
姫野桂さん

青山:そんな部分も姫野さんだし、全部含めて「個性」と思うんですけど。

姫野:個性という表現も、当事者本人が言うには構いませんが、本人以外が個性と呼ぶのは、苦しんでる方にとってはちょっとしんどいかなと思います。

青山:どういうしんどさになるんですか?

姫野:当事者の中には、クリエイティブな仕事をして資質を生かす人もいます。いくらでもアイデアが浮かぶとか、過集中で創作するとか、ADHDの特性を強みにして成功していらっしゃる。ちょっとそそっかしいあの人は面白いし、仕事をすごいよね、個性だよね、と好意的に受け止められています。

一方で、自分の適性に合う職に就けていなくて、友人関係もうまくいっていない人からすれば、その資質は、個性として片づけられるものではないですよね。

少し前に、「発達障害は個性だ!」とのタイトルの記事が炎上したことがありました。読むと、取り上げているのは、成功している当事者でした。本人が「私の個性です!」と確かに語っていて。だからといってそれをタイトルにして全体として語ると、うまくいってない人は苦しいし、反発してしまう。発達障害当事者間の分断おいて、活躍する人たちを「キラキラ発達さん」と呼ぶんです。

(左から)姫野桂さんと青山ゆみこさん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
(左から)姫野桂さんと青山ゆみこさん

青山:ああ……。同じように問題を持っていても、キラキラ輝いて生きている人と、そうじゃない人がいる。それでつらくなる人はいるでしょね。その分断をなめらかにするには、キラキラした「うまくいっている人だけを取り上げない」ことなんでしょうか。

姫野:はい、本当にいろいろなパターンがありますから。

青山:私自身も、「キラキラじゃないことで語れなかった」経験があります。認知症になった父を介護していたとき、「認知症でも楽しい家族」といった雑誌のシリーズ企画で取材依頼をいただきました。過去に登場した家族の誌面を見せてもらうと、シリーズを貫いているのは「父親や母親が認知症でも、家族で助け合えば大丈夫です!」というメッセージ。明るい家族のドラマがありました。

ものすごく気後れしてしまったんですよ。「この方たちみたいに私は語れない」「キラキラ認知症家族にはなれない」と。兄と弟の3人きょうだいで父を介護していましたが、まず在宅介護ではないし、そのことに負い目もありました。老人ホームでお世話になっているのに、父のわがままに腹を立てたり、文句を言い合ったりしながらで、どう切り取っても素敵な物語にはなりませんでした。

結局、取材のご依頼はお断りしました。その時に、似た問題を抱えていても語れる人と語れない人がいて、課題を乗り越えて輝く人がいることで余計に語りづらくなることってあるんだと知りました。さらに、ちょっと傷ついたんですよ。ものすごく個人的な感情の揺れなんですけどもね。

姫野:自分が語ることの意味については、執筆するときは特に考えますよね。発達障害の当事者として自分と同じような人がきっといるだろうとか、今も悩んでいる人がいるだろうから可視化につながればいいなとか。自分のことを発信していても、自分だけではないものになりえるような。

今後は、生きづらさをいろんな分野で掘っていきたいと考えています。今引っかかっているのは、弱さを声に上げづらい男性の生きづらさ。マスキュリニティーの価値観って、いつからあるのかなと。平安時代の貴族が詠む和歌なんて、みんな明け透けにメソメソ泣いていますよね。

青山:ほんとだ(笑)。かつては受け入れる土壌があったということですよね。

姫野:西洋文化が入ってきてからなんでしょうか。生きづらさ、語りづらさは開発していきたいですね。

青山ゆみこ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)、姫野桂『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)
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青山ゆみこ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)、姫野桂『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)

 青山ゆみこ(あおやま・ゆみこ)

フリーランスのエディター・ライター。神戸市生まれ。出版社で月刊誌副編集長などを経て独立。単行本の編集・構成、雑誌の対談やインタビューなどを中心に活動し、1000人を超える幅広い人たちの言葉に耳を傾けてきた。著書にホスピスの食のケアを取材した『人生最後のご馳走』(幻冬舎文庫)。現在は「大切な人を失った喪失感や苦しみからいかにして人は恢復するのか。できるのか」をテーマにしたインタビュー本を執筆中。

姫野桂(ひめの・けい)

フリーランスライター。宮崎市生まれ。大学時代に出版社でアルバイトをして編集を学ぶ。一般企業での事務職を経て、25歳でライターに転身。週刊誌やウェブなどで執筆中。社会問題、生きづらさを専門としている。著書に『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)。発達障害を抱えた人も、そうでない人にも役立つライフハック本の3冊目を発売予定。

(編集:毛谷村真木