自撮りって、見てるこっちが恥ずかしくなる時ありますよね。
あれって、なんでなんだろうって思うんです。
私なんかはもう慣れっこなんで、笑われながら自撮りするのが十八番みたくなってますが、なかなか慣れないひとは自撮りするのも、自撮りするのを見てるのも恥ずかしいみたいですね。
あれ? これってどこかで感じたことある感情じゃないですか?
いま、すごく、ものすごく、この感情を言語化させるのにめちゃめちゃ抵抗があるんですが、発言する側がものすごく無理して言葉を発してみても読み手って意外とあっそうだよね~くらいで流してくれるなっておもうんで書き続けますね。
自撮りって、自分をかわいがる状態だとおもうんですよね。もう、自分ぺろぺろ状態。
自己愛の結晶というか。それを人前で撮るってことは、自分大好きでーーーーす!!て全校集会で叫ぶようなもの。
もっといえば、じぶんのこと抱きしめながら、よ~~しよしよし!!!て撫で回してる状態。
で、まあ、もっと言えば、自分で自分のこと気持ちよくしてる状態、ですよね。
そうなんですよ。人のオナニー見ちゃった時の気持ちなんですよ。
あちゃ~。この文書いたら、このあと人前で自撮りしづらいな~~。
でも、残念ながら今回のテーマがこれなんです。そんなわけで、書くのをやめるわけにいかないんですよね。
これからは自慰行為を「毛づくろい」と呼びます
こんな始まりで書き出しちゃいましたが、今回のテーマ。
女の子、自分の事、可愛がろう、って話なんですよ。
かなり世界レベルの価値観に喧嘩売ってる話なんですど。
女の子3人で、話し合いました。今回のテーマについて。下ネタ大好きグループとかではなく、めっちゃ真面目に、考えてみました。
世の中でセクハラ発言とされている
「女の子って、自分でするの?(笑)」というめちゃめちゃナイーブな質問。
それでも女性誌には毎月のように組まれているトピックスでもあるんですよね。
そんなわけで、
女の子、もっと自分のこと愛してくださいって話を書こうと思います。
自慰行為、マスターベーション、セルフプレジャー、オナニー、いろんな言葉があるけど、
まずこの疑問にぶつかったんです。
どこからが自慰行為なのか?
自慰、つまり、自分を慰める行為、
性的な行動だけが、それなのかなって、考えたんです。
そこで、今回はこの言葉を使いたいと思います。毛づくろい。
承認欲求でつまづいて、なかなか人生うまくいかない人、結構いますよね。
あれって、ほんとにもったいなぁと思うんですけど、意外と承認欲求が満たされてない人って自分には何もかもが足りてないと思っているけど、実はかなりの物を与えられてるパターンが多い。
周りから見たら、え、そんなにたくさんのものを持っているのに、しかも結構周りにも認めてもらえているのに、なんでそんなに欲してるの? と思えるような子が自分を認められていなかったりする。
その人たちって、ネガティブとかポジティブとか、そんな簡単な言葉では片付けたくはないんですけど、やっぱりコップに半分入ってる水の、入ってない部分に注目しちゃうんだよなぁと思うんですよね。
そして、人からもらうことが当たり前になっている。だから、少しでももらえないと不安になって、苦しくなってしまう。もらってももらっても、いつもそのもらってる時ともらっていない時の、つかの間の孤独に注目して、自分でその寂しさに落ちていってしまう。
昨日も明日も、あなたには与えられているのにもかかわらず。
こんなとき、承認欲求ってものに悩まされてない人は一体なにをしてるのか?
そう、孤独という時間はその人が己と向き合う大切な時間、
「毛づくろい」に使っているんですよね。
外の世界との関わりだけで自分ができているとは決して思うことのない、自分の内側に入っていける人。
この間はこれが上手くいったね、ここは上手くいかなかったね、嬉しかったね、悲しかったね。
そうやってひとつずつ自分の経験や感情と向き合って、折り合いをつけていく。
人に泣き顔を見せなくても、慰めてもらわなくても、自分で自分の整理をつけて自分を守っていく作業。
それが習慣的にできるようになっている人って、無駄に人を欲したりして振り回したり、または振り回されるようなこともないのかなぁと思うんです。。
それが、自分を慰めるということ。
それが、熟語になると自慰、になるんですけど。
それって、メンタルでもフィジカルでも同じじゃないかなぁと思うんです。
体も、心も「毛づくろい」
フィジカル的な自慰っていうのも、
罪や恥の意識を持たれやすいものだと思うんですけど、性的欲求って、狩りの意識を感じる人ももちろん一定数いるとは思いますが、
好きな人の腕の中でのんびりしたいとか、安心したいとか、性欲というよりは布団に感じる睡眠欲に近いものもあるのかなぁなんて思うんですよね(これ個人的に突出した意見だとも思うので流してくれてもいいのですが…)。
それってやっぱり、どこか不安な気持ちからきている。自分の足りない部分に対する、怯えとか、そう、承認欲求。
性欲がない人もいるし(アセクシャルと呼ばれる人たち)、
めっちゃ強い人もいるし、いろんなフェチがあるし、そのわかりやすさとか表れ方ってものすごくひとそれぞれなのも、当たり前じゃないですか。
大切なのはそこをどれだけ自分で受け止めてあげられるかなんだと思うんです。
自分の中から湧き出てくる欲望とか、こうなりたいとか、いろんな欲求、心身ともに出てくるその気持ち、
まず自分が許してあげてください。
そして、自分のこと抱きしめてほしいんです。
寒いとき、する、あのポーズ。
両腕をクロスさせて自分の肩をぎゅーっ、て。
もっとさみしくなったって?
それ、自分の欲求に正直になれた証拠です。
そのほかにも、たくさんあります。
ゆっくりお風呂に浸かりながら体をほぐしたり、
ボディオイルでマッサージしたり、
髪の毛をつやつやにしたり、ずっと触ってたくなるような体の部分を探したり、どれも、ほんとうに猫の毛づくろいみたいなものでしょう?
自分の体ですよ?自分の体を1番大切にできずに、ここが気持ちいいって言えずに、人のことを気持ちよくできるのかなって思うんです。
どうか、恥ずかしいなんて思わないでください。それは、自分のことをリスペクトする時間だから。
自分の中で、自分は大切な存在だってことを、再確認する時間だから。
だから、もっともっと自分のこと、
愛しちゃってください。
人に話さなくたっていいんです。
隠してたっていいんです。
でも、ただ、お家に帰ったら、
自分のこと思いっきり甘やかしてください。したいこと、気持ちいいこと、全部してください。
そんな自分を、けっして責めないで。
体のことも、心のことも、
承認欲求も、自分で満たせるような素敵な女の子は、どんどん綺麗になって、素敵な人に出会えると思うから。
これを読んだあなたが、すてきな毛づくろいができますように。
23歳の時に友人のフリーペーパーに寄稿した、「ご自愛」についての文章です。
当時はこんなことインターネットに流してはいけない、って思っていたけど、いまなら載せられるかもしれない。いや、載せたい。
そう思ってふと編集の方に見せてみたら、掲載いただけることになりました。
23歳の私、よかったね。