香水もガスも分からない 匂いのない暮らしの現実

嗅覚障害は人口の5%、つまり20人に1人が抱えていると考えられている。
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「母の香水や、パートナーの料理する匂いを知りたいんです」そう語るのはジェセリン・ヴェリティさん。また、英スキンケアブランドLUSHの店舗前を通る度に気分を踊らせる人たちの気持ちも味わってみたいという。

27歳で、ロンドンのウェスト・エンドにあるミュージカル劇場で働く彼女には嗅覚がなく、それは嗅覚障害とも呼ばれる。匂いが分からないことは、彼女の人生には大きな影響を及ぼしている。「意識的に匂いを嗅ぐ為の努力をせずとも、周りの人が自然と空気中の匂いを感じられるというのが私には不思議なんです」と彼女は語る。

この悩みに苦しんでいるのは彼女1人ではない。イースト・アングリア大学が匂いのない生活について、31歳から80歳、計70人の当事者を対象に行った最近の量的調査によれば、匂いのない生活がいかに彼らの人生に影響を及ぼしているかが分かったという。

特に多かったのは衛生面や肉体関係、その他多くの交際関係に関連した出来事だ。

イースト・アングリア大学に拠点を置くメディカルスクールの教授であるカール・フィルポット氏は「最も危険な問題の1つは危険察知に関することです。例えば、もう食べられなくなった食べ物の匂いや、ガスや煙の匂いを感知できないということです。これは過去に、大ごとになる寸前の危険を及ぼしています」

ヴェリティさん自身も、直接これを経験しており「煙や焦げ臭い匂い、ガスの匂いが感知できないんです」と語っている。「大学のハウスメイトの1人が、料理をしてガスをつけたままにしてしまったことがあるんですが、私はそれに気付けなかったんです」とのことだ。今は、彼女は安全のために電気コンロを使用している。 

ジェセリン・ヴェリティさん
JESSELYN VERITY
ジェセリン・ヴェリティさん

嗅覚障害は人口の5%、つまり20人に1人が抱えていると考えられている。匂いが一切わからない人や、匂いの感じ方の変化を経験する人もいれば、そこにない匂いを感じる人もいる。

無嗅覚症の原因は様々で、感染病や怪我、アルツハイマー病のような精神的なものもある。薬の副作用でも起こりうるそうだ。

生活にどんな影響がでるのか

食べたものの味が正確に分からない生活はどんなものだろうか。これは耳鼻咽喉科の分野に関する医療雑誌、Clinical Otolaryngologyが掲載した上記の研究によって提起された問題だ。

調査の参加者の一部は、食べること自体を楽しむことが出来なくなり食欲が低下し、その結果、体重が低下したり、一方で栄養価が低く、塩分や糖分を多く含んだ食事に偏り体重が増した人もいる。料理に興味がなくなったり、家族や友人に手料理を振る舞う自信がなくなってしまった人もいる。これは社交の上でかなり苦しい問題になってくる。

特定の匂いから良い思い出を連想することができないことも問題だ。フィルポット教授はそれの意味するところを説明してくれた。「焚き火を囲んだ夜の匂いも、クリスマスの匂いも、香水も、人の匂いも、その全てが存在しません。匂いは私たちを人や場所、感情を動かした経験などと結び付けてくれます。しかし嗅覚を失っている人たちは、匂いが引き起こす思い出の想起を経験することができないのです」 

調査の参加者の更なる心配の種は、自身の匂いが分からないことで生じる衛生面への危惧だ。これはヴェリティさんが心配していることでもある。

研究者は小さな子どもを持ち、オムツの替え時が分からずに自己嫌悪に陥った経験のある親たちにも話を聞いた。「ある母親は我が子の匂いを感じられないことが原因で、心の繋がりを感じるのに苦労していました」とフィルポット教授は話した。

多くの回答者が、交際関係においてもネガティブな影響を及ぼされていると語っており、その内容は食事を一緒に楽しめないことや肉体関係に至るまで様々だ。このような問題の全てが、怒りや恐怖心、苛立ち、鬱、孤独感、自信の低下、そして後悔や悲哀の原因になっている。

調査によると、問題は臨床医が嗅覚障害について十分に理解できていないことにより悪化しているという。「私は鬱病と境界性パーソナリティ障害を患っていますが、それがどれくらい嗅覚障害と紐付いているのかは分かりません」とイースト・アングリア大学の学生であったヴェリティさんは語った。「そもそも普通の状態が分からないので、(嗅覚障害のせいで)自分が具体的にどれだけの経験を逃しているのかを語るのは難しいのです」

「あまり考えすぎないようにはしています。そうでもしないと怒りや悲しみが湧いてきてしまうので」

フィルポット教授とその共同研究者はこの調査結果を通じて、臨床医が嗅覚障害における問題に対してより深刻に向き合い、患者により良い援助と支援を提供できるようになることを願っている。ヴェリティさんも、今までに症状をまともに取り合ってもらえなかった経験や、その影響について十分に理解してもらえなかった経験もあり、これには喜びの声をあげている。「この話をした時に1番よく聞かれる質問は『じゃあ君の前ではオナラをしても平気ってこと?』なんです」と、嗅覚障害が軽視されている現状を語った。

彼女は今までに目隠しをしての嗅覚テストやCTスキャン、隔膜の切除手術も経験している。その他にも無数のステロイド・スプレーや鍼(はり)療法、頭蓋仙骨療法(頭蓋骨と仙骨に焦点を当てた軽い手技療法)など、無数に試しており、それは決して安いものでもなければ、簡単なものでもない。

「病院の反応はただ『嗅覚消失ですね、これからそうやって生きていくことになります』と診断するだけなんです。実際、嗅覚障害という言葉を聞いたことがない人が殆どなので、『匂いが分からないんです』と言った方が簡単です」と彼女は語った。しっかりと説明したり、それに伴う影響を正当な理由として伝えようとすると、相手は酷く困惑してしまうのだと言う。

「人生これまで、医師にまともに対応してもらおうとするのは、悪夢のような経験です。そして、それに対して十分な措置がなされているとは思えません」

「将来のことが心配です。もし子どもを持つ日が来たら、どうやってオムツを替えるタイミングを判断すればいいんです?赤ちゃんの匂いをかぐことはできないのでしょうか?両親が亡くなった後、匂いから思い出を連想できない私はすぐに2人を忘れてしまうんでしょうか?」 

フィルポット教授曰く、研究に参加した人の多くが、医療従事者の元へ出向いても「否定的で役に立たない」結果しか得られなかったと語ったそうだ。しかし、たとえ具体的な措置が施せなかったとしても、援助やサポートを得られた人たちは、「アドバイスや理解をしてくれたことはありがたかった」と語った。

 ハフポストUK版を翻訳、編集しました