イギリスのエリザベス女王の孫となるヘンリー王子とその妻のメーガン妃が、公務を大幅縮小したいと事実上の「公務引退」宣言を行ってから、約10日が経過した。
イギリス国内では、「衝撃」と「怒り」の強い感情がいまだ収まっていない。
なぜ衝撃と怒りなのか?
衝撃と怒りの理由は、まず第一に、ヘンリー王子夫妻(「サセックス公爵夫妻」)が祖母のエリザベス女王にも、父親チャールズ皇太子にも、兄のウィリアム王子夫妻にも決断を正式に告げないままに、サセックス家の公式インスタグラムのアカウントで「爆弾発言」をしてしまったからだ。
ヘンリー王子は王位継承順位第6位となり、これほど君主に近い人物が主要公務からの引退を自ら表明するのは非常に珍しい。1936年、離婚歴のあるアメリカ人女性と結婚するために退位した、エドワード8世(「王冠を賭けた恋」)をほうふつとさせるほどの衝撃である。
ちなみに、エドワード8世の退位時、10歳だったエリザベス女王(彼女の父は、エドワードを継いで国王となったジョージ6世)はその退位を「一家の恥」と受け止めた。1952年に25歳で女王になったとき、「一生をイギリスのために捧げます」と宣言して以来、黙々と公務に励み続け、英国史上最長在位の君主として、現在も記録更新中だ。
約1000年の歴史を持つ英王室は、今でも国民の大きな支持を受けており、複数の世論調査でも支持派が70%近くを占める。
伝統や慣習を大事にするイギリスで、信望も厚いエリザベス女王に「知らせないままに、退位宣言をしてしまう」なんて、ご法度中のご法度である。「なんと無礼な!」という国民感情が一気に高まった。
発表(8日)翌日の保守系メディアは、一斉にヘンリー王子夫妻を批判した。大衆紙デイリー・メールは二人を「悪漢王族」と呼び、サン紙はイギリスの欧州連合からの離脱(「ブレグジット))をもじって、「メグジット(Megxit)=メーガン妃の離脱」と書いた。高級紙デイリー・テレグラフは「王子夫妻が王室を見捨てた」と大見出しをつけて1面に掲載。タイムズ紙は社説で「子供っぽく、無分別」と評した。
夫妻は「悪者」であり、「無分別」であり、「やってはいけないことをした」という論調である。
しかし、「礼儀正しいやり方をしなかった」という理由だけで国民が怒っているわけではない。
義務は減らすが、特権は手放さず?
ヘンリー王子夫妻のインスタグラムでの宣言を読むと、王室の中核メンバーとしての立場から退きたい、新たな領域で活動したい、イギリスと北米を往来しながら生活したい、財政的に独立したいなどの意向がつづられている。
しかし、同時にエリザベス女王やチャールズ皇太子、ウィリアム王子の活動に「継続して協力する」という。王子夫妻のウェブサイト(ブランド名が「サセックス・ロイヤル」)も併せて読むと、王室のメンバーであることをやめるわけではない。
そして、「財政的に独立したい」と言いながらも、王室の公務経費をカバーするための「王室援助金」を今後は受け取らないものの、父チャールズ皇太子を通じた地代収入は拒否しない予定であることがわかってきた。ヘンリー王子夫妻が受け取る公費のうち、王室援助金の割合は5%にすぎない。夫妻の取り分は公開されていないが、2018-19年度の王室援助金総額は約8200万ポンド(約117億円)に上る。公務経費の残りの95%はチャールズ皇太子の地代収入が負担している。
また、北米での滞在を長期化させる一方で、多額の公金を費やして改装したウィンザー城にある自宅「フログモア・コテージ」は今後も使い続けるという。税金で負担される警備費(年間約9000万円)も、継続して利用する見込みだ。
つまるところ、「公務という義務は減らすが、特権は維持する」ということである――少なくとも、現在のところはーー、である。サン紙が「金儲けのハリー(ヘンリー王子の愛称)、特権と地位は維持」という見出しの記事を掲載するのも、無理はなかった。
「公務は減らすが、特権は維持」。この姿勢に怒りを感じない国民はほとんどいないだろう。
例えば、世論調査会社ユーガブが9日から10日かけて行った調査によれば、「ヘンリー王子夫妻の決断を支持する」という人が46%いた。反対の人は27%。多くの人が「新たな活動領域を作っていきたい」という夫妻の決断を受け入れた、といえよう。
しかし、「今後、公的資金を受け取るべきではない」と81%が答え、67%が父チャールズ皇太子からの「地代収入を受け取るべきではない」、そして、56%が「フログモア・コテージに住むべきではない」と答えていた。
王室は、どうなる?
在英の筆者の見方を記しておきたい。
まず、今回の件を離れて、イギリスの王室の存在について改めて考えてみる。現在、イギリスは立憲君主制となっており、国の主権は議会にある。君主は「政治には口を出さない」のが原則だ。
イギリス社会は、女王をその頂点に置き、上流、中・上流、中流、労働者階級といった階級制度が続いてきた。1960年代以降、「中流」の範囲が拡大し、階級の壁を乗り越えていく人も増えたけれども、富やコネを持つ人はどんどん裕福になり、貧乏な人はなかなか上に上っていけない、「元祖格差社会」だ。広大な不動産の所有者で、格差社会の頂点にあるのがエリザベス女王であり、王室のメンバーである。
つまるところ、民主主義とは相いれないのが、王室制度ではないだろうか。しかし、イギリス国民の大部分がこの制度を支持しているのだから、今後もしばらくは続いていくのだろう。
ヘンリー王子とメーガン妃の二人については、「王族」であることと、「有名人・著名人(セレブレティー)」であることを混同しているのではないか、と筆者は常々思ってきた。王族は有名・著名ではあるけれども、2つは一緒ではないと筆者は思う。
王室は国民の支持に支えられて存在しており、その維持に税金が使われることと引き換えに、王室のメンバーは国民のために公務を行う。持ちつ持たれつ、ギブ・アンド・テイクの関係である。権力の乱用は許されず、政治介入はできない。そうならないように、メディアは常に王族の行動を監視し、必要あれば報道する義務を負う。
王族が公務で学校や病院を訪れるとき、その姿は著名人が慈善目的で学校や病院を訪れる場合と非常によく似ている。しかし、その目的は違う。
著名人の場合、特定の慈善目的を達成するということもあるだろうけれども、最終的にはさらに著名になること、自分のブランドを高めることを目指す場合が多い。
王室の場合は、公務を通して特定の目的(例えば恵まれない子供たちを支援する、精神的な病についてのタブーをなくするなど)を達する場合もあるが、同時に国民と触れ合う・つながるという重要な機会である。国民からすれば、「王室が自分のために・国のために」来てくれたことを実感する時となる。
ヘンリー王子夫妻が自分たちを王族というよりも、「王族」というブランド名を持つ著名人と見ていることがわかるのは、2018年5月の夫妻の結婚式だった。豪華なスターが続々と招待されたことを、皆さんも覚えているだろう。
インスタグラムを通じて、あるいはテレビ番組を通じて自分たちの思いを告げてゆくのも著名人スタイルだ。「自分の気持ちを知ってほしい」、がまず先に来るのである。これまでの王室の公式チャンネルではなく、「国民に直接語り掛ける」手法を夫妻は選んできた。
夫妻の将来は?
筆者は、当初、ヘンリー王子夫妻の決断を知って、英国民同様に「無礼な行為」と思ったし、「特権を手放さずに、義務を減らす?なんて言いうことだ」と怒りの感情を覚えたものだ。
しかし、よく考えてみると、いかにも人間らしい気もするのである。
王族に生まれつくのは、一般人からすれば、うらやましい感じがする。「一生、お金に困ることはないだろうな」と。しかし、「王族に生まれたい」と思って生まれてくる人はおらず、エリザベス女王にしろ、次期国王となるチャールズ皇太子にしろ、「本人の意思とは関係なく、生まれついてしまった」状態である。これを嫌い、そう公言する人もいる。そんな一人がヘンリー王子だった。
エリザベス女王が即位したのは1952年。伯父のエドワード8世の退位の経緯もあって、「一生を国民のために捧げます」と宣言した後、一切の私見を外に出さず、公務に取り組んできた。
その禁欲的な公務の遂行を通して、女王は国民の大きな支持を勝ち得てきたが、王室のメンバー全員が彼女のように行動するのは難しい。
例えば、禁欲的な女王と正反対の女性と言われたのが、1997年に交通事故で亡くなったダイアナ妃だった。ウィリアム王子やヘンリー王子の母親である。夫チャールズ皇太子の不倫をBBCの番組で暴露し(この時も、ほかの王室のメンバーには事前に知らせなかった)、ダイアナ妃と夫は離婚(1996年)までの泥沼のドラマを続けていく。
不倫を他人に、しかもメディアに暴露してしまうなんて、どんな家族にとっても恥であり、見苦しいし、やってはいけないことに違いない。しかし、後に拒食症になったことがわかるダイアナ妃が相当苦しんでいたことは確かだ。
その後もスキャンダルは続いた。最新の例は女王の次男となるアンドリュー王子だ。昨年11月、アメリカの富豪で性犯罪の被告として起訴されたジョン・エプスタイン氏(拘留中に自殺)との交流について、BBCのニュース番組でインタビュー取材されたが(この時も女王からの許可はなかったといわれている)、事情の知らない人が見ても王子がすぐに嘘とわかるような発言を繰り返し、大きな批判を浴びた。エリザベス女王は、アンドリュー王子を一切の公務から撤退させる決断をした。
アンドリュー王子の行動を弁護する気はないが、王族も、一般人の私たち同様に失敗したり、傲慢だったり、うそをついたりすることがよくわかる。
エリザベス女王は君主としては尊敬されているが、一人の母親として、あるいは人間として「温かみが少ない」、「犬や馬の方を人間よりも愛している」というのが通説だ。その真偽はわからないが、「何よりも義務を最優先する」人物が中心となる家族は、果たしてどれほど幸せなのだろうか。
ヘンリー王子夫妻は、一見すると、「自分の都合を最優先する、特権を握って離さない王族とその妻」だが、「本当に」、自分で自分の人生を切り開きたいと思っているのだとしたら、これは応援するしかないだろうと思う。特権を維持したままの計画は「甘い」かもしれないが、まずは最初のステップである。イギリスの特定の役柄に押し込めておくことで、夫妻や子供のアーチー君が不幸になるよりは、はるかに良い。
エリザベス女王は、13日に開催された緊急の家族会議で、ヘンリー王子夫妻を全面的に支持すると述べた。細かい部分はこれから詰めるという。
女王がこのような決断をしたのは、「止めることはできない」という思いと、「王室を存続させたい」という気持ちがあるからではないか。国民からの支持がなければ、王室は続いていかないことを身に染みて知っている女王だからこそ、である。
ほかの欧州の国(オランダ、スウェーデンなど)では、「王室のスリム化」が進んでいる。王位を継承する王族のみをファミリーの中に残すことで、国民の支持を維持させる動きだ。
世界の王族や著名人のニュースを掲載する、イギリスの週刊誌「ハロー」は最新号でヘンリー王子夫妻に22ページの特集を組んだ。「ハリーとメーガン:次の章」と見出しを付け、中面では同誌の王室担当記者がこう指摘する。
「覚えておくべきことは、王室の主要メンバーは出生によって普通ではない状況に追い込まれた、実在する人々なのです」、「若い夫婦が息子を育て、幸せに、健康に、充実した暮らしをしようと思っているのです。これがどう展開していくのかを決めていくのは家族自身です。幸福を願っています」
今や、筆者も同じ気持ちである。
(文:在英ジャーナリスト、小林恭子 編集:榊原すずみ)