ベトナム・ハノイのノイバイ空港から飛行機に乗って5時間半、あっという間に関西国際空港だ。入国審査を受け、荷物を受け取り、到着ゲートを出るとそこからは日本社会だ。
ゲートを出た瞬間、「帰ってきた」とほっとするのと同時に、そわそわと落ち着かない気持ちになる。トイレの鏡にうつる自分を見て、眉毛くらい描いておくんだったと思い、前髪でなんとか隠そうとする。エスカレーターに乗るとき、日本では右と左どちら側に立たなきゃいけないんだっけな? と周りを見渡す。京都にある自宅へ帰るためにバス乗り場に向かい、乗車待ちの人たちの整った列を乱さないように慎重に並ぶ。
そして京都へ向かうバスの中では、外国から来た旅人が大きな声で電話をしたり、イヤホン無しでYoutubeを見たりしている。にぎやかな車内で、少しずつ私は胸をざわつかせる。うるさい…と。
自宅へ戻る途中でコンビニに寄った。研修中の札をつけた店員が、釣りにするお札が足りないと言いバックヤードに行ってしまった。なかなか帰ってこない店員を待つ間、腕を固く組んでつま先を床に何度も叩きつける。
はぁ、なんでこんなにもイライラするのだろう。
3分ほどたって戻ってきた店員から、新札の千円札を受け取り、私は自己嫌悪に陥ったのだ。
「ちゃんと」が好きな私にとって、思い通りにいかない海外生活は地獄のようで
私は5年前から、1年の3分の2を海外で過ごしている。最初に移り住んだのは台北、そして今年の春からはハノイで単身暮らしている。
思い出してみれば、台北に住み始めたころの私はしょっちゅうイライラしていた。街を歩くすべての人が「無礼者」に思えたのだ。
列らしきものはあるけれど、割り込みをされることもしょっちゅうで。電車の中、スマホでドラマを大音量で見ているおばさんを見るたびに眉をしかめていた。レジを打つことよりもおしゃべりに夢中な店員や、理由がよく分からない急な予定変更などなど。「ちゃんと」が好きな私にとって、海外生活は地獄以外のなにものでもなかった。
だけど不思議なものだ。1年、2年と時間が経つにつれて、日々の生活の中でイライラすることはなくなった。今ではたいていの小さなトラブルは、イライラするよりも先に「やれやれ、どうしようかしらね」と思える。
今住んでいるハノイは台北よりも、もっと不便でもっと「ちゃんと」するためのルールが少ない。電車がないので、タクシーに乗るしかない。道はでこぼこしていて、渋滞につかまると数キロ進むだけで1時間近くかかることもしばしば。レストランで注文を間違えられることもしょっちゅうだし、物の値段は店主の気分次第で変わる。
それでも海外生活5年目を迎えた私は、イライラすることなくハノイ暮らしを楽しんでいる。そう、まるで日本にいる時の私とは別人のように。
時間を守り、規律を守り、予測可能な生活を送るのが好きだったのに。日本でしか暮らしたことがなかった自分が今の私を見たら、どう思うんだろう。
何が日本とは違うんだろう?
思うのだ。日本にいるときは「他人や社会に対する期待」をたっぷり抱えて暮らしているんじゃないかって。人や社会はいつでも優しいものであると信じて暮らしている。そしてその優しい社会を、ひとりひとりが守っていくべきだと思っている。誰かが不快に感じないように、そして私が不快を感じないように。
だからこそ日本にはたくさんの「であるべき」が存在するのだ。身なりはいつも清潔であるべきで、公共の場では静かにするべきで、迅速で安定したサービスを提供するべきだ、と。期待や願いは美しく私たちを動かすエネルギーになる。しかし同時に、外に向かう強い願いは「〜であって欲しい。いやむしろ〜であるべきだ」という呪縛も生み出すのだ。
社会に期待を抱く日本人と、抱かないベトナム人
ハノイの生活に話を戻そう。
10ヶ月ここにいて思うのが、ベトナム人は他人や社会に対する期待が日本人と比べると極端に低い。
日本に比べるとインフラが整っていないので、停電はしょっちゅうあるもんだし、道路はでこぼこなもんだし、みんなが車とバイクで移動するんだから渋滞が起こるのもしょうがない。
人の気持ちは変わっていくもんだし(たとえ約束をしたとしても)、急な予定変更があるのもしょうがないのだ。ベトナム人の友人は、勤務時間も内容もボスの気分でころころ変わると愚痴をこぼす。だけど彼女は「まぁ、しょうがないよね。嫌になったらやめたらいい」とあっけらかんとしている。
社会は永遠に自分のために整うことはない。会社はいつでも私との約束を守るわけがない。
そして社会や他人はいつでも自分に「迷惑」をかけてくるものだ。だから、自分だって時には迷惑をかけたっていいじゃないか、というマインドすらあるように思う。
テンションが上がれば大きな声で話してしまうことって誰にでもあるから、バスの中で騒いでもいいじゃない。疲れたら休みたくなるんだもん、道路に座ってもいいじゃない。
自分と自分の周りのすべてのこと、これは不完全である。という自己と他者間に、ある種の信頼性がない社会なのだ。
信頼関係がない不完全な社会が、「優しい社会」だと感じた理由
信頼関係がない社会と聞くと、なんだか生きづらそうと感じるかもしれない。だけど私にとってはなんて「優しい社会」なのだろうと思う。
「不完全なものだ」と思っているから、誰かがミスをすることは当然で。ということは自分が失敗することも当然なのだ。そして私があなたに迷惑を時折かけてしまうのは当然なので、あなたが私に迷惑をかけてきても気にしないですよ、という暗黙の了解がある。
「不完全」が前提の社会なんて、進歩も発展もないのでは? と疑問に思うかもしれない。しかしそれもまた違う。
不完全で失敗するのも当たり前の社会では、逆に挑戦が容易だ。みな当たって砕けろと思って始める。そして「できない」からスタートするので、「どうしたらできるんだろう」と頭を使うのだ。
日本にいる時の私は、他人と社会を信頼しきっていた。だって「優しくて完全であるべき」と期待していたから。
だから迷惑をかけてはいけないし、ルールも絶対に守らなければいけないし、自分の感情よりも社会の都合を優先しなければと思い生きていた。
そして「成功するのが当たり前」と思っていたから、「どうすれば失敗せずに済むだろう」と始める前から心配ばかりしていたように思う。
そんな社会への期待と信頼が5年の海外生活を経て、少しずつ壊れ始めたかのように思ったのだが…。
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不思議だ。台北とハノイ暮らしを経て、すっかり日本人気質を無くしちゃったかもなと思っていても、一時帰国するたび、私はまた日本という社会に厚い期待と信頼を寄せてしまう。そして自分が期待する「優しい社会」の一員として様々な「であるべき」を再装着してしまうのだ。
今回、帰国すると、イライラしがちな日本人に戻る問題 というブログを書き、そこからさらに考えを深めた結果、海外では気にならなかったことにイライラしてしまうのは、母国への期待と希望から来るのでは? という仮説にたどり着くことができた。
一時帰国したときの私は、ただイライラしているわけではなかったのだ! ポジティブな願いがいき過ぎていただけだったのだ。だから期待と希望はそのままに。でも「今」現時点では、私も他人も社会も不完全なものという、海外生活で学んだことを忘れないようにしたいと思った。不完全であるからこそ、失敗をして迷惑をかけながら、少しでも私と私以外の誰かにとっても生きやすい社会にしていきたいと、新たな願いを持った。
(編集:榊原すずみ @_suzumi_s)