2019年6月4日、人生で初めて中東に足を踏み入れた。
入国したのはレバノン共和国。難民支援を目的とした人道支援団体からの海外派遣である。レバノンは現在、慢性的な財政難や政治汚職への不満による抗議行動が全国へ拡大し、中東のホットスポットの1つとなっている。
「紛争」「テロ」…のイメージは本当か
「中東」という言葉がもたらすイメージとは裏腹に、如何にレバノンは安全で魅力溢れる国であるかを伝えるために記事を書きたいと思い始めたのは7月。しかし、冬を間近にペンを握った今、同国史上最大規模の反政府運動が早くも2か月目に突入する様を目の当たりにしている。やはり中東とは予測不能な地域なのだと実感し、思わず苦笑いをしている。
中東地域には海外旅行で訪れた経験すらなかった。しかし、昨年日本で就職するまで約10年間海外で多様な文化に晒されてきた私にとって、日本語が通じない世界へ赴くことに対する抵抗感はほとんど無かった。むしろ英語が主流言語ではなく、文化や慣習、社会における宗教の影響力が欧米とは大きく異なる中東の世界には強い魅力を感じた。
同時に、近年日本のメディア機関にも取り上げられるように、自身が中東に対して抱く「紛争」や「テロ」、「イスラム過激派組織」等のイメージはゼロではなかった。中東へ赴き、現地の人々と共に業務に従事することは、自身が抱いている偏見と実際のギャップを埋めるための機会にもなるのではないかと期待に胸を躍らせた。
到着後の初受信メールは大使館からの注意喚起
ベイルートへ到着した6月4日、ラフィク・ハリリ国際空港へ降り立ち最初に受信したメールは、(在レバノン日本国)大使館からの注意喚起だった。
同国北部に位置する第二の都市トリポリでイスラム国 (通称: ISIS)に所属していた人物による襲撃事件があった。観光シーズンを目前に控えたレバノンにとって、警官2名、陸軍兵士2名が銃殺されるテロ攻撃はそれなりに衝撃を与えるニュースになったし、エキサイトする私の気を引き締める要素としては十分過ぎるものだった。
シリアからレバノンへ渡る逃亡者や戦闘員は厳しく取り締まられてきたため、レバノンにおける同様のテロ事件は過去2年間で初めての出来事だった。
一方で、首都ベイルートの街並みは緊迫感のあるニュースとは打って変わって華やかだった。「かつて“中東のパリ”と呼ばれた」とはよく形容されるけれど、敢えて「かつて」を付ける必要はないのではないかと思わせるほど、フランスの首都を思わせる街並みは、広範囲で再建されていた。
幾たびの戦争を経験してきたレバノンの歴史は古代にまで遡り、首都の街中でもあちこちで古代ローマ時代等の遺跡が見られる。海沿いの各地区には様々なテイストの飲食店が立ち並び、メニューも英語のものが一般的であったし、英語が通じない店は1つとしてなかった。
欧米風のバーガーやステーキ、ヘルシー指向のサンドイッチ屋さんの選択肢にも困ることはないが、レバノン料理を提供する店はどこの通りでも一層存在感を放っている。野菜をふんだんに使うため、ダイエット食等として世界的にも広く認知されている「レバノン料理」には同国の複雑な文化が反映されており、単独で本を書くに値するほど奥が深い。
筆者がこれまでに遭遇した料理のハイライトは、同国の伝統デザート「メグリ」と「ミルフィーユ」を融合させた「メグリ・ミルフィーユ」というデザート。シナモン等のスパイスをふんだんに使ったライスプディングがサクサクのパイ生地にサンドされており、見事な食文化の融合である。
グラフィティも至る所に描かれているけれど、それさえもパリの郊外にそっくりであった。むしろパリのものよりも近代的で、黄色や赤等の有彩色を基調にした明るいものが多いように感じた。
首都圏では郊外へ向かうにつれて英語が通じない場所が増えてゆき、かつての内戦による銃弾の跡が残る建物も増えてゆく印象を受ける。
しかし、一部の地域を除き、郊外においても頭部にスカーフを纏った女性を見かける頻度は高くはなかった。むしろ素肌が露出した服装は珍しいものではなく、性別を問わず日本のドレスコードと大差がないように思う。
モスクと教会が当たり前のように隣接している2019年の同国首都は、私が抱いていた中東の閉鎖的なイメージからは大きくかけ離れていた。
メディアが伝える反政府デモの様子に感じる違和感
レバノンに来て数週間が経過し土地勘が育まれてきた頃、見える景色にも次第に変化が現れるようになった。通勤途中のタクシーでスマートフォンから目を上げて外の景色を眺めていると、路上で物乞いをしている人と頻繁に目が合うことに気付いた。子どもと老人が大半を占めていて、稀に乳飲み子を抱えた女性もいた。
現地の人からは、シリア危機以降物乞いが増えたと聞いた。「物を与えることは、その場所で物乞いをしても良いと承認することになる」とよく耳にするので、極力目が合わないようにやり過ごすようにしている。
しかし、支援を届けている難民キャンプの住人達と、路上で物乞いをして生きている彼女たちを区別して見捨てている感覚に陥ってしまい、朝はいつも葛藤を覚える。もっとも、こちらが承認しようがしまいが、そうするより仕方がない事情があるであろうことは想像に容易い。自らの無介入を肯定することは、現状を知りながらも成す術を持ち合わせていない自分自身の都合の良い解釈なのかもしれない。
10月の半ばから継続しているレバノンの反政府デモの様子は、僅かながら日本の新聞やネットニュースでも取り上げられた。私はアラビア語を理解できないため、情報源は必然的にBBCやアルジャジーラ等、英語で発信しているものに偏ってしまう。
しかし、燃えるタイヤが転がる混沌とした道路の写真等が見出しとされた国際的な大手メディア機関による報道には少しばかり違和感を覚えた。何故なら、初期の頃こそ国内の主要幹線道路の大半が寸断され、移動にはリスクが伴う状況であったものの、そのような状況においても抗議している人たちからは終始、宗派を超えた団結と非暴力の姿勢を窺うことができたからである。
週末にはデモの中心で結婚式が催されるなど、不満から発展したはずの運動の中には確かにポジティブなエネルギーも溢れていた。ベイルートではテクノポップ調の音楽で抗議のコールが行われていると思ったら、突如誕生日の祝福ソングが大音量で地区一帯に響き渡る夜もあった。
ベイルートに在住のナイム・シェボさん(44) は、抗議に押し寄せる人たちが路上に捨ててゆくゴミの量を懸念し、NGO等で行っていた清掃活動の経験を活かして、大規模デモが始まった初日にゴミの分別ができるグリーン・テントを設置した。朝から夕刻まで複数の友人で交代制のシフトを組み、訪問者やごみ収集車への対応を行っている。
今では、毎日ゴミ拾いをさせてほしいという訪問者が後を絶たないという。実際に筆者がナイムさんを訪れた際には、週末の日中であるにも関わらず、ゴミ拾いをしている若者を何人か見かけた。
この地に滞在する期間が長くなればなるほど、中東に対して自身が偏見を抱いていた理由が明らかにされてゆくように感じられる。情報が溢れている時代だからこそ、直接現地に赴き、自身が抱く偏見や偏狭な心と向き合うことに重きを置いた旅も面白いかもしれない。
(編集:毛谷村真木)