映画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』が、12月20日についに日米同時公開された。
エピソード9にあたる最新作では、1977年公開の『新たなる希望』から約42年にわたって紡がれてきた物語が、ついに完結の時を迎える。
筆者は12月12日、日本で開かれた来日記者会見の前に、監督を務めたJ.Jエイブラムス氏に話を聞いた。
完結編のメガホンは「人生で最大のチャレンジ」
“スカイウォーカー家”の物語が完結する今作。『スカイウォーカーの夜明け』は、撮影に2年、編集に約1年の時間を要している。
公開を前に今の心境を聞くと、「本当に興奮しています。とにかく、俳優陣が皆素晴らしい仕事を成し遂げてくれたなと、改めて感慨深い気持ちです」と、にこやかな表情を見せた。
このように語るエイブラムス氏は、エピソード7にあたる『フォースの覚醒』(2015年公開)で監督を務めた。その後、前作『最後のジェダイ』(2017年公開)では監督という立場ではなく、制作総指揮という立場で作品に携わった。
実は、最新作については当初、監督にコリン・トレボロウ氏が起用される予定があったが、プロデューサーのキャスリーン・ケネディ氏がコリン氏が書いた脚本に満足できず、エイブラムス監督に交代したという背景がある。
それを踏まえ、率直な質問を投げかけてみた。
──再び監督をすることが決まった時、まず最初に何を感じましたか?
まずは、もちろん興奮。
次に恐怖(笑)そしてまた興奮って感じですね。
自分の中で、感情がめまぐるしく、あらゆる形に変化していきました。
──なぜ、また引き受けたんでしょう?
大げさではなく、「人生で最大のチャレンジ」になると思ったからです。
新たな3部作の始まりである『フォースの覚醒』を作った時、「あれは上手くいったな」という感覚を持てていました。
だけど、「(スターウォーズの制作は大変なことなので)正直どんなバカがまた戻ってやるんだよ」っていうことも自分自身の中で思っていました(笑)
ですが、キャスリーンと話して、この物語を完結させるということが決まった時、「この機会を逃したら一生後悔するな」と思ったんです。
映画をはじめ、他の人が作った物を批判するのはとても簡単なことだと思うけれど、自分でこの壮大な物語を完結させることへの“恐怖”を感じるからこそ、そこにはやりがいがあると。
── 監督という立場を一度離れたことが、今作の制作においてメリットになった点はありましたか?
まずこの件については、“監督の交代劇”というようにネガティブな報じられ方をされがちなのですが、そんな風に受け取ってほしくはないのです。
そして、それを踏まえた上での質問の答えは「イエス」です。
まずは本当にゆっくり寝られたこと!それはもちろん冗談ですが...(笑)
エピソード8(『最後のジェダイ』)で監督をしなかったことで、私自身のスターウォーズという物語をみる“視点”が変わったんです。
楽しみに観てもらいたいので詳しくは言えないですが、きっと3作連続で監督をやっていたらきっと気付けなかっただろう“考え”にも、最終的に行き着くことができました。
――
ライアン・ジョンソン氏がメガホンをとった前作『最後のジェダイ』は、シリーズの往年のファンたちから作品について賛否両論の批評が飛び交った。
そのことは、エイブラムス氏も「認識している」とした上で、次のように語る。
ライアンがエピソード8の監督を引き受けたことで、きっと僕だったら思いつかないような凄い驚きや衝撃を物語にもたらしてくれたと思います。私は、“観客の一人”として楽しんでいましたから。
だからこそ、今回の監督となった私の責任は、前作と完結編を良い形で繋いでいくということでした。そして今作は3部作の終わりではなく、9作で繋がってきた物語の全ての終わりですから。とても重大なミッションでした。
スターウォーズは、実は“家族にもよくある話”
最近のハリウッド作品は、時代の変化と共に「家族」の描き方も変化してきている。
考えてみれば、スターウォーズもスカイウォーカー家をめぐるひとつの「家族」の物語。エイブラムス氏は、この作品を描く上で何を大切にしたのか。
──監督自身は、スターウォーズという物語の中で、「家族」を描く意味について、どのようなことを考えていますか?
物語の中でのスカイウォーカー家の生き残りとしては、レジスタンスのレイア姫(故・キャリーフィッシャーさんが演じた)がいますが、彼女が育てた息子のカイロ・レンは暗黒面という“闇側”に落ちてしまって、ファーストオーダー(帝国軍)の人間となってしまいます。
でも、実はこのようなことって、我々の家族にもよくある話なんです。
つまり、信頼し合う家族の仲違いや裏切り、分断。そして関係の再構築です。それらをどう解決していくべきかということ。これについては、ものすごく考えました。
──家族のあり方も、現代ではそのかたちは様々です。スターウォーズの中では“多様性”について、どれくらい重要なものとして描いていますか?
これは、レイ役のデイジー・リドリーも話していますけれど、私がスター・ウォーズを作品として素晴らしいと思える理由の1つは、やはり差別がないことだと思っています。
男性や女性という性別はもちろん、単純に分けることの出来ない、いろんな立場や肌の色が違う人がいる。そこでは決して、血の繋がりも関係ない。これは銀河で生きる者たちだけではなく、人間にも言える。
彼らは屈強な強さもあるけれど、時にものすごく脆い存在でもあります。だから、感情の中での揺れもある。
ハリウッドが作る物語は、これまでどうしても人種的な偏りがあったりしたけれども、多様な人が存在する物語の方が今の時代を反映したものになるし、観客も惹きつけられるのではないかと思っています。
今は亡き“レイア姫”への思い「いないというのは、ありえない」
1977年の『新たなる希望』から出演し、エピソード・シリーズの物語で中心的な存在を担ってきた「レイア」を演じる俳優のキャリー・フィッシャーさんが、2016年に亡くなった。
物語が完結に至る前に彼女が亡くなったことが、作品にどう影響するのか。新たな撮影が出来ない中、彼女は劇中でどのように登場するのかなど、ファンの間では様々な憶測や声が飛び交った。
──ファンも、レイア姫の登場に期待しています。監督自身は、レイアを演じる故キャリー・フィッシャー氏についてどのような思いがありますか?
スカイウォーカー家をめぐる物語の最後にレイアがいないというのは、ありえない。まずは率直に、その思いがあります。
だからこそ、あえて別の人をキャスティングするとか、デジタル技術で彼女を蘇生しその映像を使うというのは、全く考えませんでした。
『フォースの覚醒』の撮影時のカットを見直してみると、使える映像があることに気付きました。なので、完結編にはそれらを取り入れてシーンを紡ぐことにしたんです。
彼女がこれまで、スター・ウォーズという物語に残してきた思いを噛み締めて作ったつもりです。
キャリー・フィッシャーとは『フォースの覚醒』の前から付き合いがありましたから、彼女を失ったことは、私はもちろんシリーズに関わる全てのスタッフ、そしてファンたちにとって、とても辛い出来事でした。
ですが、彼女の映像を活用したことで、今作でもキャリーが演じるレイアに会えますから...。彼女が出てくるシーンを楽しみにしていて欲しいです。
――
最後に、この壮大な物語を1つの“英単語”で表現するとしたら、どのようなものになるのか聞いてみると、一瞬天を仰いで考えた末に、こんな言葉が返ってきた。
非常に難しいけれど、「Possibility(可能性)」かなと思います。
スター・ウォーズがレガシーとして伝えて続けてきたことの1つは、「生きていれば、何でも起こりうる」ということなんです。
生きていれば、どこで、どんな出会いが待っているかは分からない。
どこでどんな友人や仲間を得るのか、自分の本当に大切な人は誰なのか。仮にその人と関係を築いても、時に裏切られ、そして別れも経験することもある。それでも、人はまた立ち上がっていく...。
そんな、生きる上でとても重要なエッセンスを、スターウォーズという物語、そしてこの完結編を観ることを通じて感じ取ってもらえたら、監督として本当に嬉しいことです。
「まぁとにかく観て!作品を完成させるのが、本当に大変だったから...(笑)」
壮大な物語の結末を知る時が、ついにやってきた。
(文・取材 小笠原 遥/Twitter @ogaharu_421)
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