取引先への訪問は定刻通りに? それとも…
グローバル社会において、日本企業がさらに活躍するためには相手を知ることが大切だ。
そのためには情報収集を怠らないようにするべきなのだが、みなさんは普段、どのように情報収集をしているだろうか?
私は常々、収集する内容は相手企業の戦略のみならず、相手の文化やしきたりも理解するべきだと思っている。
さて、ここでビジネスにありがちな一シーンについて共有したい。
取引先を訪ねる場合、あなたは定刻通りに訪問するだろうか。
それとも、約束の時間より早めに訪ねているだろうか?
私は性格的にせっかちなこともあるが、なるべく早めに準備を済ませ、不測の事態に備えておきたいアメリカ人である。日本のお客様は時間を守られる方が多いので、当然、それに倣い私も定刻、あるいは早すぎて失礼にならない程度に少し早めの時間に訪問するようにしている。だが、これも国や文化、しきたりが変われば、訪問時間の正解も変わる。取引先の国に合わせて臨機応変に考える必要が出てくるだろう。
このことについてオフィスで話していたところ、スタッフの1人が日本には秘書検定というスタッフの技能を測る検定試験があると言った。その検定を受けることで、ビジネスマナーやアシスタント業務に役立つノウハウを知っていることを示せるので、社会人だけではなく、大学生も取得して就職活動に役立てているそうである。
この話を聞いて、私はきっとこの検定に日本のビジネスマナーが集約されているのではないかと思い、早速、時間に対する感覚やマナーがどのように書かれているかを調べてみることにした。
するとインターネットでこんな問題を見つけた。
「打ち合わせ中の上司の次の予定時刻が迫っている。打ち合わせは仕事だが、次の予定は会食。秘書としてどのように対応すべきか」
こんな時、私はどんなに忙しくても秘書にメモで状況を知らせてもらい、目の前のお客様にも次の会食にも失礼のないように配慮したい。「時間は時間だ」と、打ち合わせを切り上げることはしたくない。いかなる場合も最も失礼なことだと考えるが、皆さんはどうだろうか。
モノクロニックとポリクロニックとは
このように複数の対応が考えられるとき、実際のビジネスシーンでは行き違いがおきることがある。前回のコラムで、国によってハイコンテクストな文化(コミュニケーションをとる時に共有されている体験や感覚、価値観などが多く、「以心伝心」で意思伝達が行われる傾向が強い文化のこと)なのか、ローコンテクストな文化(ハイコンテクストとは逆に、より言語に依存してコミュニケーションが行われること)なのか違いがあることを指摘した。これと同様に、時間に対する感覚や考え方についても国によって傾向があるのだ。
みなさんは、モノクロニックとポリクロニックという言葉を聞いたことがあるだろうか?
モノクロニック的な考え方とは「一度に集中するのは一つのこと」というもの。
アメリカやカナダ、そして北欧にその傾向がみられるという。一度に複数のことに対応するのではなく、一つずつが基本だ。
モノクロニックな考え方に当てはめると、時間に対してもスケジュールを順守する傾向が見られる。だから、モノクロニックな国では行政の窓口の前にいくら長い列ができていようが、受付時間が来たらピシャリと窓を閉めてしまうことが多い。
これに対して、ポリクロニックは「一度に複数のことに同時に対応する」という考え方。目の前に起きていることに臨機応変に対応しながら、しかも同時に対処していこうというものだ。中南米やアジア等にこの傾向があるという。時間の感覚もモノクロニック的な厳守ではなく、その場に応じて柔軟に考える傾向があるという。
では、日本人はどうか。私は両方の性質を持っているのではないかと感じている。なぜならば、日本の鉄道の正確さは本当に尊敬している。1、2分のダイヤの乱れにもお詫びのアナウンスが入ることに、来日当初は本当に驚いた。
ビジネスにおいても、一度決めたことを覆すのに時間を要する傾向が強いところなど、組織の大きさを考慮しても、ややモノクロニック的な考え方が浸透していると感じる。
その一方で、店舗前の“公共”の道路を掃除している人がいたり、大企業で様々な部署を渡り歩きゼネラリストとしての手腕を発揮している人も多いことを考えるとポリクロニック的な面も持ち合わせていると言えるだろう。
もし私の感じているように日本人がモノクロニック、ポリクロニック、二つの側面を併せ持つならば、俄然グローバルビジネスでは有利に働くだろうと私は思う。日本企業には、双方の強みをうまく生かしてほしい。
ちなみに私は、モノクロニック的な傾向にあるといわれるアメリカで育ったが、どちらかというとポリクロニック的に物事を考える。こんな風に書くと、「人による」という結論になってしまいそうだが、傾向はあくまでも傾向であることを踏まえつつ、先入観を一度横へ置いて対峙する「相手」をしっかりと見つめるしかないのかもしれない。
(編集:榊原すずみ @_suzumi_s)