1941年12月7日午前7時55分(日本時間8日午前3時35分)。日本軍による真珠湾攻撃で、アメリカ海軍基地から白煙が立ち上った。
太平洋戦争の開戦の火蓋を切ったあの日から、きょう12月8日で78年目を迎えた。
当時、現地では何が起きていたのか。現存する資料写真とともに振り返る。
最初の攻撃対象とされているのは、真珠湾内にあるフォード島基地や、オアフ島本島のヒッカム飛行場。日本軍の航空部隊が奇襲で爆弾を投下すると、爆発・炎上し、白煙が立ち上った。
●奇襲攻撃を受けるフォード島基地
![日本海軍機動部隊から発進した航空部隊の奇襲攻撃を受けつつある米ハワイ諸島オアフ島真珠湾内にあるフォード島基地。手前は水上機、飛行艇基地。爆発あるいは炎上しているのは艦船群(アメリカ・ハワイ)12月7日](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8bf3321000066df34f14f.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
●真珠湾に臨むヒッカム飛行場から、白煙が立ち上った
![真珠湾攻撃で、奥のヒッカム飛行場から白煙が上がる。](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8ae5521000058df34f12b.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
●ヒッカム飛行場の11番格納庫
![オアフ島への奇襲で、日本の爆撃機が”爆弾”を投下したヒッカム飛行場。11番格納庫の光景](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8b0271f0000f231df0823.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
●爆破された後、ヒッカム飛行場にたどり着いたアメリカ軍の爆撃機
![日本海軍機動部隊から発進した航空部隊の奇襲攻撃を浴び、撃破されたホノルルの米陸軍ヒッカム飛行場のB17重爆撃機(アメリカ・ホノルル)(資料写真)1941年12月7日(日本時間12月8日)](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8bfe6250000b03cd2f3c0.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
その後、太平洋艦隊が誇る「カリフォルニア」「ウェストバージニア」「オクラホマ」そして「アリゾナ」といった戦艦、駆逐艦「ショー」も標的となった。
日本軍機が投下した爆弾や魚雷によって爆撃され、辺りはまたたく間に黒煙に包まれた。犠牲者はアメリカ側の約2400人に対し、日本側は約60人だったという。
●戦艦「ウェストバージニア」が炎上
![日本軍の攻撃を受け、爆発炎上する米戦艦ウェストバージニア(アメリカ・ハワイ)](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8e898250000b03cd2f426.jpeg?cache=yqKS6J2K8d&ops=scalefit_1280_noupscale)
●爆撃され、沈む戦艦「アリゾナ」
![日本軍の空襲で沈む戦艦「アリゾナ」(12月7日)](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8e9ac1f00004836df089b.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
●駆逐艦「ショー」爆発の瞬間
![アメリカ海軍駆逐艦「ショー」の爆発の瞬間。12月7日、日本軍による2回目の攻撃で、前方弾薬庫が爆発した。](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8ebaa1f0000f231df08a2.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
真珠湾攻撃に向けて、日本軍は入念な準備をしていた。主要基地である真珠湾を攻撃することで、アメリカ人の戦意を喪失させ、短期決戦を狙っていた。後に真珠湾攻撃で撃墜された日本軍機からは、アメリカ軍の戦艦の配置を示した図も見つかっている。
奇襲により、アメリカ軍の戦艦8隻を撃沈または行動不能とする戦果を挙げた。だが、その後に引き上げられた「ウェストバージニア」を始め、6隻が戦列に復帰。空母3隻はハワイを離れていたため無傷で、決定的なダメージを与えることはできなかった。
●空母から出発の準備をする日本海軍の九九式艦上爆撃機
![12月7日、空母から出発の準備をする日本海軍の九九式艦上爆撃機。奥に映るのは空母「蒼龍」。](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8ec3d21000066df34f1b9.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
●真珠湾攻撃に向かう戦闘機を見送る空母「翔鶴」の乗組員
![12月7日、真珠湾攻撃に向かう戦闘機を見送る空母「翔鶴」の乗組員。には、空母の外壁には、パイロットへの攻撃指令が漢字でつづられている。](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8ecd2250000c741d2f430.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
●山本五十六海軍大将(1940年)
![(資料写真)1940年、日本海軍連合艦隊司令長官時代の山本五十六海軍大将。1941年12月7日(日本時間12月8日)、太平洋戦争劈頭〔へきとう)のハワイ所在の米海軍真珠湾軍港奇襲攻撃を立案し、指揮下機動部隊を訓練してこれを実行させた。](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8ed5d250000b03cd2f433.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
●アメリカ軍の船艦の配置を示した図
![アメリカ軍の船艦の配置を示した「敵船隊の停泊位置についての報告」。真珠湾攻撃で撃墜された日本軍機から回収された。](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8ee151f00004836df08a6.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
開戦通告が遅れて「騙し討ち」となった真珠湾攻撃は、アメリカの士気を高める結果となった。アメリカ政府は「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」とスローガンを掲げ、開戦ムードへと傾いた。
そして真珠湾攻撃の翌日8日。フランクリン・ルーズベルト大統領は日本への宣言布告の署名をし、ここから3年9カ月に及ぶ太平洋戦争に突入して行った。
●フランクリン・ルーズベルト大統領
![12月8日、日本への宣戦布告の署名をするフランクリン・ルーズベルト大統領。](https://img.huffingtonpost.com/asset/5de8eee8250000b43cd2f437.jpeg?ops=scalefit_1280_noupscale)
【参考文献】
・「図説 太平洋戦争 16の大決戦」(編:太平洋戦争研究会、著:森山康平、河出書房新社)
・「図説 太平洋戦争」(編:池田清、著:太平洋戦争研究会 、河出書房新社)