中央線に飛びこんで、傍迷惑な奴だと言われてー。
女子中学生に扮し、車内でギターを掻き鳴らす。バンド「神聖かまってちゃん」の最新アルバム『児童カルテ』は、実際にあった出来事を元に構想した一曲目『るるちゃんの自殺配信』が、コンセプトを貫く重要なモチーフになっている。
00年代インターネットカルチャーの申し子と言ってもいいバンド。そのヴォーカリスト、の子は今、こう語る。
「インターネット、最近は好きだけど嫌いですね」
数年前、ある女子中学生が自宅マンションの敷地内で飛び降り自殺をした。同じ日、飛び降りる様子を動画サイトで配信していたJC(女子中学生)と名乗る人物がいた。
その後も、自殺の中継らしき動画は、定期的にネット上に出現している。
「自分の存在を知らしめたい、わかってほしい」
人間たちの渇望が満たされる舞台、インターネット。時に誰かの命さえも、その舞台を輝かせる『燃料』として捧げられる。そして、目にした人から「迷惑だ」という中傷を投げかけられるのも、また、寒々しい舞台上での日常だ。
現代の「闇」と言われるかもしれないこと。しかし、音楽だけでなく「ネット配信」での過激なパフォーマンスでも世間を騒がせてきた、神聖かまってちゃんにとっては、むしろ身近とも言えるテーマなのかもしれない。
「最近よくTwitterでも飛び降りる動画とか見ますよね。うまくいけば、一個人でも自分の存在を無から世の中に叩きつけられるものだから。僕はやっぱり、良くも悪くも『使えるな』って思っちゃう派ですね。だから死にたければ死ねばいいし、リスカしてもいいし、それを配信するのも、全然やればいい。自分もそうだったし、それは復讐に近い怨念があるから。僕の考えはそう。でもメンバーそれぞれ違いますし、逆に、世の中の他の人はどういう考えで見てるのかな?っていうのが、逆に興味があることで」(の子)
「私は自殺はしないけど、お葬式を面白くして配信するとかはやってみたいかな。人生のすべてをエンターテイメントにするっていう考えで。それはポジティブに受け止めてほしいからだけど」(みさこ)
自殺さえも「傍迷惑」と切り捨てる社会。その中に生きる自分という存在のあやふやさ。少女「るるちゃん」が吐き出す切なく苦しい言葉たちが、美しい旋律に乗って届けられる。
それでも、「死にたさが浄化された」「生きるの頑張る」――。コメント欄に並ぶのは、誰かの「救われた」という言葉たちだ。
過激なパフォーマンス、攻撃的な歌詞や言動。心に差し込まれる衝動の一方で、優しい毛布をかけてもらえるような時間。神聖かまってちゃんの音楽は、そんな体験なのだ。
「僕自身も、それで自分の居場所を作ってるから。自分に近い人がそう思ってくれているんじゃないでしょうかね。自分も10代の頃とか、先輩のミュージシャンの曲を聞いたことによって、吐き出せたものがあったから。別に救おうとしてやってるわけではないけど、救われたとかそういった感覚はわかりますね。影のある部分は出してるんだと思いますけど、その出し方、切り取り方がやっぱり独特だし、『神聖かまってちゃん』すごいなって改めて思いましたよ」(の子)
同時に、語られたのは、音楽シーンへのフラストレーション。
「でもこういうアーティストって、ほぼいなくなりましたって感じじゃないですか?今、若いバンドは本当にストーリー性を感じない。『みんな良い子だな』って思う。『もっとやってやればいいのに』『もっと行ってやればいいのに』『人間味を見せろ』って思うよ。すごく『気をつけてやってんな』っていう背景が透けて見えるから」(の子)
その背景にある時代の空気感、それこそが、冒頭の「インターネット」への愛憎を語った言葉につながっている。
「インターネットポップロックバンド」。それが、神聖かまってちゃんが名乗ってきた肩書だ。2008年に結成。YouTubeやニコニコ動画などに、メンバー自身が楽曲や自作のミュージックビデオをアップロードし、口コミで人気を広げていった。
ネットを通じて発信したのはMVやライブにとどまらなかった。インタビューを受けている様子、風呂、食事、結婚式、ネットを通じてあらゆる時間を視聴者と共有する、新しいスタイル。その先駆者が神聖かまってちゃんだ。それなのに、だ。
二曲目の『毎日がニュース』。正義を振りかざし、他人の罪を裁くことに明け暮れ、ご近所さんが「グロくなっていく」。そんな人々の姿を、「主人公になれやしない社会さ」と歌う。
「特にTwitterは嫌いですね。理由は詳しくは言いたくない。けど、皆が思ってることと同じですよ。何でもかんでも振り切って、過剰に、過激なまでに行っちゃうと、ちょっと引いちゃうんです。中間の視点が持てていればいいんですけどね」(の子)
「文面だからニュアンスもわからないですしね。受け取り方で全然変わってしまうのは恐ろしい」(mono)
「めっちゃぬるいですね、私の投稿も確かに。好きなアニメとかの話はできても嫌いなものの話はできない。何となく皆、そうなんだろうなっていう。自由が行き渡りすぎて、逆に空気読まなきゃいけなくなってるの、ネット全体にある」(みさこ)
神聖かまってちゃんも、今で言う「炎上」を繰り返しながら熱狂的な支持を獲得していったアーティストだ。多くのバッシングも浴びたはず。しかし、その時と今の状況はまた違うと感じているのだという。
「昔はもうちょっと、炎上させるっていうか盛り上げることで、悪い方行ってもメリットがあったような気がする」(の子)
「ラジオで言うところのはがき職人みたいな、面白リスナーみたいな人が一定数いて、精鋭たちが集まっているという感じがしましたからね」(みさこ)
「面白い人が集まってたね。当時はもっとインターネットに人々は恐れていたというか、そういう時代にやっていたので注目を浴びたんですけど、10年経ってみると、すごい力があるような、そうでもないような」(ちばぎん)
「あの頃のほうがわくわく感はありましたね。今はインターネットにうるせえヤツばっかり増えて。でも、それでも、バンドシーンはもう少しアクションがあってもいい。最近は『つまんねえな』って。個性の塊みたいなヤツがアーティストにもいないじゃないですか」(の子)
ロックンロールという、反逆の音楽を奏でる表現者さえも萎縮させてしまうような、時代の空気。
理解はできるとする一方で、「つまんねえな、まだまだやれるだろう。もっとやってやれよ」。彼らは、シーンをそう鼓舞する。
「若者の代弁者」として、私達の前に鮮烈に現れた神聖かまってちゃん。
学生時代のいじめ、生きづらさ、死んでしまいたいという気持ち、復讐心、そして、ロックンロールに出会った頃の衝動をテーマにした楽曲が、とりわけ、心を掴んできたからだ。
そんなメンバーたちも30代半ばになった。ちばぎんが2020年1月のライブを最後にバンドを脱退すること、その理由が結婚や子どものためであることも発表されている。
「枯れてしまったのか?丸くなってしまったのか?」そんな声も少なからずあった。
しかし、そんな世間の邪推を払いのけるかのように叩きつけたのが、もう一度、若者の鬱屈とした感情や、救いのあり様に正面から向き合った今作だ。
10年を超えるキャリアを重ね、得られたテクニックと自信。しかし、根幹にあるのは、自分と向き合ってきた時間の長さだ。
「衝動は減ってますよ、確かに。年齢とともに。だからこそ、視点の変え方が試されてますよね。どっから見てどう切り取るかっていう。芸術は特に、切り取り方がすべてだと思うから。でも、自分だけの世界観を持つには結局、自分と向き合うしかないんで。自殺配信みたいな題材は、僕の中ではやっぱり特別なところもあって。でも、青春時代の気持ちのようなものは、基盤としてずっと自分の中に残ってる。だから、創造性に限界があるっていう考えはない。そういう考えは、嫌ですね。好きじゃないから、そういうのは」(の子)