「モテ願望」。
それは、多くの人が心にこっそりと秘めているものではないだろうか。
合コンでちやほやされ、多種多様な男性に告白される……。
イラストレーターのあらいぴろよさんには、この「モテ」を実現し、多くの男性を翻弄していた過去がある。そんな日々を赤裸々につづったエッセイ漫画が『“隠れビッチ”やってました。』だ。
中学校の教室でモテる快感を知る
異性からモテ続けることで自分の承認欲求を満たす「隠れビッチ」。
あらいさんがかつてハマってしまったのは、相手の気持ちだけをもてあそんで、体の関係は断るというゲームのような恋愛を楽しむことだった。
男性に好きになるように仕向けて、最終的にはフッてしまう……。そんな、隠れビッチになったきっかけをあらいさんに聞いた。
「実際に私が隠れビッチだった期間は、20代前半です。最初にモテることが気持ちいいと気が付いたのは、中学時代。思春期になり、教室内に男女の欲望が飛び交ってきます。それを最初は『うわ〜、気持ち悪い』と思っていたのですが、いざ、自分に男子の気持ちが向けられたら、うれしいし気持ちがいい。この高揚感を得たいと思ったんです。ただ、学校という狭い世界で、複数の男性に好かれると、人間関係が破綻する。だから、高校を卒業してからモテようと、勝ちパターンを模索していました。」
あらいさんは、いかにも男性からモテる女性という容姿ではない。
チャーミングで個性的だが、服装はカジュアル。どちらかというと女子の友達が多そうなタイプだ。
「男性がみんなマリリン・モンローや女性アナウンサーが好きなわけではありません。私のようなタイプを好きな男性は絶対にいる。そこにリーチする外見を分析して、パーカー、スニーカー、ショートヘア、薄メイクの清楚な女性に擬態。そして、男性を落としていました。」
寂しくて、辛くて死にそうだった
最終的に交際をしたり、体の関係にはならない。それなのに、好かれる喜びで心を満たして、次に行く……。
そんな、不毛ともいえる恋愛を繰り返していたのは、なぜなのだろうか。そこには、あらいさんが育った環境という要因があったのだという。
「暴力を日常的にふるう父親、そんな父を子供より優先する母という家庭環境で育ちました。ですから、人から大切にされたり、好かれることに本能的に飢えていた。やらなければ生きていけないほど、当時の私は寂しくて辛くて死んじゃいたかった。最低だと思っても止めらなかったのです。愛を常に受け取っていれば、相手の男性のことを考えたうえで『気持ちいい』とか『相思相愛になれてうれしい』とかそういう気持ちになるのですが、私は愛をくれるなら、誰でもよかった。ただ、肉体関係にだけはならなかったのです。」
不安定な家庭で育ったことが原因で、依存的に体の関係を結んだり、「ダメ男」の言いなりになって抜け出せない女性も多い。
逆に、あらいさんがそうならなかったのは、なぜだろうか。
「私の父は、妻や子供に対して、殴る蹴るの暴行を繰り返していました。ただ、そんな父に耐えられず、母は一時的に離婚。5年間別居していたのです。この3歳から8歳までの期間は、兄2人と母と一緒に本当に幸せな毎日を過ごしていました。ただ、お金がなく暖房もつけられないほどの貧乏生活。それでも、とても幸せだった。この時期があったから、クズ男を判断し拒否できたのでしょうね。」
男性を年収や勤務先などスペックで見る女性もいる。しかし、隠れビッチだった自分はそういうタイプではなかった、とあらいさんは振り返る。
「ブランド品やリッチな生活、食事などに興味はありませんでした。ただ、私はスペックではなく愛を求めていたのです。母と生活した5年間で、お金は何とかなると思っていたんです。それよりも私は愛が欲しかった。私の白馬の王子様は、際限なく私を受け入れてくれて、私を愛してくれる男性です。もちろん、そんな人はいませんから、告らせてフッて傷つけることを繰り返す。男性に好きと言わせることが大切で、踏み込むことは怖い。そういう形の恋愛しかできない私は、愛を求めることに必死でした。」
とはいえ、人には性的な欲望もある。なぜ、セックスをしなかったのだろうか。
「もちろん、人肌が恋しいことはありましたが、それよりも嫌悪と恐怖がありました。嫌悪の根源は、父に性的な目で見られたことにあります。これはどうしようもなくイヤでした。恐怖は、性感染と妊娠のリスク、そして、セックスをしてしまうと、口説かれなくなるということです。男性は、肉体関係を持った女性をちやほやしなくなることはわかっていたんです。」
あらいさんが、隠れビッチを辞めたのは、23歳のときにある男性を好きになったことがきっかけだったという。
「モテ」を貪る生活。それを終えることができたのは、夢を追いかける男性と対照的な自分の姿を目の当たりにし、「ちやほやされる」よりも確かな手応えを感じることができるようになったからだという。
「相手は美容師になるという夢があり資格を取得し、就職先も決めて自分の人生を歩み始めていました。一方、私はイラストレーターになりたいと思いつつ、バイトに明け暮れて、ひたすら、ちやほやされることを追求する毎日を送っていたのです。彼と私の差は、日に日に広がっていく。一緒にいるからこそ、それがよくわかり、とても辛かった。そこで、私も夢に向かって進もうと、専門学校に入ったのです。自分の道を歩むうちに、自分を乗りこなせるようになり、ちやほやされるよりも、自分の力が付く手ごたえを、気持ちいいと思うようになったのです。」
隠れビッチを経て母になる
その後、あらいさんはイラストレーターになり、美容師の彼とは別の男性と結婚。出産し育児に仕事に忙しい日々を送っている。親から愛されなかった経験がある人の中には、愛に飢え、安定した心と生活を得られない苦しみにあえぐ人も多い。しかし、あらいさんは今「与え合う」愛のあり方に気づいたのだと語る。
「最終的に人を信じられるかどうか、というのは大きいかもしれません。いざ話してみると、悪い人はいませんし、社会に出ると、人は何かを与えたいし、受け取りたいということがわかりました。仕事はスキルとお金を与え合い、人間関係も愛を与え合いながら発展していく。隠れビッチ時代を経て、人が満たされないと思う正体は、この“与え合う”という関係が築けていないことにあると感じます。私は一方的に愛情をもらっていましたが、与えることをしていなかった。この関係は基本的に対等でなくてはならず、物質的なものもありますが、目に見えない価値の等価交換だと思うのです。」
恋愛関係では、相手に貢いでしまったり、体だけの不倫関係に陥ったりと、苦しい経験をしている人も少なくないのではないだろうか。相手との「フェアな関係」について、そして依存的ではないパートナーシップの構築方法について、あらいさんに伺った。
「私の場合は、自分の食い扶持を自分で稼ぎ、お互いに自立することでした。我が家は、生活費をそれぞれ分担していることが大きいと思います。これにより、相手と自分を区別できます。育児や生活のルールを決め、辛くなったら、話し合ってルールを変えていきました。これには時間がかかりますが、お互いに話し合いながら決めていくといいと思います。これはあくまでも我が家の場合で、その人それぞれのパターンがあります。自分の本能に正直に、フェアになれる関係性を追求することは、自分の人生を生きることでもあると思いますよ。」
(取材・文:前川亜紀 編集:泉谷由梨子)
あらいぴろよさん
1984年生まれ。イラストレーター、マンガ家であり一児の母。自らの体験を漫画にした『”隠れビッチ”やってました。』(光文社)が話題に。その後、『美大とかに行けたら、もっといい人生だったのかな。』(光文社)や、自らの育児経験を綴った『ワタシはぜったい虐待しませんからね! ― 子どもを産んだ今だから宣誓!』(主婦の友社)を発表。最新刊は『虐待父がようやく死んだ』(竹書房)。
漫画は佐久間由衣、村上虹郎出演で映画化され、2019年12月6日公開予定。
Twitter: @pchaning