11月22日に公開されたディズニー最新作『アナと雪の女王2』の勢いが止まらない。
公開10日目での興行収入・40億円突破は、『トイ・ストーリー4』を超えて、ディズニー・ピクサー制作の全作品の中で最短記録となった。
前作『アナと雪の女王』から5年。これから続編を観る人は、「アナとエルサの“姉妹愛”がどう描かれるのか」「また子どもたちを巻き込む社会現象になるのか」などと様々な期待を抱いて観ることだろう。
だが、作品を見終えた後の私は、この続編は“大人のためのアナ雪”だったと感じた。
ネット上の感想をみても、「前作より大人向けだった」との声はかなり多い。
なぜなのだろうか?
その理由を紐解くと、ディズニーが“裏テーマ”として作品を通じて伝えたかったメッセージが存在するように思えてくる。それは何なのか、考えてみた。
(※ここから先は、内容のネタバレを一部に含んでいます)
昨今のディズニー作品には、“ある共通点”が存在する
『アナと雪の女王2』が描く最大のテーマは、「なぜ、エルサは力を与えられたのか」というもの。その謎に迫っていくという展開で、ハッピーエンドで終わった前作の3年後が舞台だ。
自らが治めるアレンデール王国で平穏に暮らすエルサはある日、“不思議な歌声”を聴く。その歌声に自身の力の謎を解くカギがあると感じたエルサが、妹のアナや仲間と共に旅に出るというストーリーとなっている。
「触れた物を凍らせる」という不思議な力を持つがゆえに、妹を傷つけ、周囲を怖がらせ、終いには自らの存在意義も分からなくなるという、エルサの“生きづらさ”を象徴した歌こそ、前作の劇中歌『レット・イット・ゴ〜ありのままで〜』だった。
抱え続けてきた生きづらさは、もはや、プリンスとの幻想的な恋(従来、ディズニーが描いてきた最も得意とする手法)では解決できないのだ。
だからこそ、エルサにとってはアナという妹、そして姉妹の愛が必要だったのだと、私は思った。
最新作『アナ雪2』でも、そのエルサの“生きづらさ”の描写は冒頭から随所にみられる。
エルサにだけ聞こえる“不思議な歌声” は、平穏な暮らしを望むエルサに「あなたのいるべき場所は、ここではない」と知らせる“お告げ”のようなもの。
アレンデール王国を治めるという使命を背負いながらも、一方では「自分は何者なのか」というルーツがやはり気になる。
だからこそ、その心の葛藤が、劇中歌『イントゥ・ジ・アンノウン〜心のままに』の中で表現されているのだろう。
愛する人たちは、ここにいるの
危険をおかすこと 二度としないわ
冒険にはもう うんざりしてる
それでも あの声は求めてる
未知の旅へ 踏み出せと 未知の旅へ
『イントゥ・ジ・アンノウン 心のままに』より一部抜粋
ところで、2019年に公開されたディズニー全作品を観た筆者が振り返って分析してみると、とても興味深いことに気が付いた。
ヒットした作品の大半が、主人公を通して、人生における“生きづらさ”を描いていたのだ。
例えば、6月に公開され大ヒットとなった『アラジン』では、アグラバー王国の王女であるジャスミンが、圧倒的な“男性優位社会”の中で自らの思いを抑えるように促される。
そんな抑圧された境遇から自由になることを望み、最後には王国の伝統や慣習を変えて国王となっていく姿が、多くの人(特に女性)の心を動かしたことは過去に書いた通りだ。
また、7月に公開された『トイ・ストーリー4』は、主人公のウッディが、持ち主に使われなくなることで生きづらさを感じる中、新たな存在意義を見出す旅に出るという話だ。
おもちゃの話ではあるが、ある日突然自分が必要とされなくなることへの虚無感や、生きがいをどう見つけ直すかという大人にも通ずる問いが多くあった。
さらに、10月に公開された『マレフィセント2』は、悪の妖精マレフィセントが無償の愛を注ぎ、娘のように大切に育ててきたオーロラ姫に対して、「血の繋がっていない自分は、人間界で生きる彼女の“本当の母”になれるのか、なるべきか」という問いの中で、もがく姿を描いた。
様々な形の“生きづらさ”を作品の中でどう表現するのかというテーマは、最近のディズニー作品にみられる大きな特徴だ。
当然、子どもたちが楽しめるように作られてはいるが、最近のディズニー作品は、ある程度の年月を生きて、それぞれの“生きづらさ“を抱えた大人こそが、物語の主人公に感情移入できるような気がする。
“姉妹愛”のウラで描かれた「民族浄化」への批判
圧倒的な映像美と個性豊かなキャラクターの存在、そして何よりアナとエルサの“姉妹愛”は、言うまでもなく『アナ雪2』の物語を煌びやかに彩っている。
一方で見過ごすことができないのは、続編では、迫害や強制排除といった「民族浄化」の問題が色濃く描かれていたことだ。
自分にだけ聴こえる“不思議な声”の正体を突き止める旅で、エルサは“ノーサルドラ”と呼ばれる、先住民族の住む場所へと辿り着く。
この先住民族は、自然の守り神からの恩恵を受けながらひっそりと暮らしていた。
元々エルサの祖父が納めていたアレンデール王国とノーサルドラは、かつて友好関係を結んでおり、その証として大きなダムが建設された。
だが、物語が進んでいくと、ダムが建てられた真の目的は精霊の力を弱めて先住民を迫害し強制的に排除することであり、エルサは祖父がノーサルドラ民族の長に罠を仕掛けたという事実を知ることになるという、衝撃の展開が待っていた。
もっとも、このノーサルドラという民族はもちろんフィクションだが、実はモデルが存在する。
ノルウェー・スウェーデン・フィンランドなどの北欧やロシア北部などに住む先住民族「サーミ」だ。
北海道を主な居住圏とするアイヌ民族やネイティブ・アメリカンといった先住民と同様、サーミにも、北欧の他の民族からの差別や迫害に苦しめられてきたという負の歴史がある。
19世紀に入ると、北欧の国々はトナカイの放牧を生業とする移動民族であるサーミに対し、独自の文化や言語を放棄させようと同化政策を進めてきたのだ。
ディズニーは、『アナ雪2』を制作するにあたって、サーミの文化を尊重し、彼らの生活を作品により反映させるため、彼らと契約まで結んでいたのだ。
実際、劇中のクリストフやトナカイのスヴェンは、サーミからインスピレーションを受けている。
架空の先住民族・ノーサルドラが登場するシーンには、アニメーションを制作する彼らの「過去に少数民族が迫害を受けた事実をなかったことにせず、その反省のもとで多様性を尊重していく」という強い意志が込められていたのかもしれない。
『アナ雪2』は、“姉妹愛”をベースに前作で描かれたエルサの“生きづらさ”を繊細に描くことはそのままに、さらに“多様性”という視点を入れたことで、より一層見応えのある大人向けの物語となったのだ。
最近のディズニー作品では、現代の社会が抱える政治的な課題を物語の中に盛り込む傾向が特にみられるようになった。
このことは、ディズニーの「プリンセス・ストーリー」の見え方を今後さらに変えていくかもしれない。
(小笠原遥/Twitter @ogaharu_421)