誰もが一度はその名を耳にしたことがある福井県の名古刹、永平寺。
厳しい禅の修行道場として国内外に知られているその永平寺が今、斬新なまちづくりのチャレンジをしている。
それが、2015年6月から永平寺、永平寺町、福井県が協力して「禅」を体感できる環境づくりを進めてきた「門前の再構築プロジェクト」だ。
780年前に開かれた古刹が取り組む21世紀のまちづくりとは、いったいどんな取り組みなのだろうか?
興味津々、現地に足を運んでみた。
参道を歩くと「観光」客から「参拝」客に変わっていく
まず2018年夏に整備された「参道」を歩いてみよう。
目前に緑生い茂る山を眺めながら、緩やかに傾斜する道を進む。永平寺の山門まで続く石畳の参道だ。
足の裏をかすかに刺激する石の質感。次第に寺へ近づいていくと山のひんやりとした空気に包まれる。高い空に鳥の声が響く。
ふと、川のせせらぎの音が耳に届く。
参道の脇を流れる永平寺川は、かつてコンクリートで護岸を固められてしまっていた。しかし今回、石積にして自然石の護岸の姿に戻された。
所々で、川に降りていくこともできるようになっている。手で直接、水に触れることもできる。
永平寺川へ降りていける多自然型の親水設計。石にぶつかる水の音が耳に心地よい
奥深い自然を眺めながら歩みを進めていくと、心が少しずつ変わっていく。
自分自身の気持ちが、現世から禅の修行道場へと向かう。どこか神聖な気持ちへと切り替わっていく。
永平寺は今回の「永平寺門前の再構築プロジェクト」で、かつて山門の近くにあった石柱をわざわざ整備した「参道」の入口へと移動させている。
「この参道から永平寺に入ってください」と、参道を玄関口として位置付けたのだ。
「東京オリンピック・パラリンピック」開催を目前に地方は人を呼び込む絶好の機会を迎えている。福井県、永平寺町、永平寺の3者は永平寺門前の魅力を最大限に高めるため「永平寺門前の再構築プロジェクト」を連携して実施していくことを決めた。
県は参道との一体的な永平寺川の修景を、町は1600年代の古地図に基づく参道の再生を、そして永平寺は新たな宿泊施設の整備を推進し、いよいよ2019年夏に全てが完成した。
1600年代の古地図を基に門前を再整備
では、少し前まで参道はどのような姿だっただろうか。
5年ほど前に永平寺を訪れた時は、たしかにどこにでもありそうな観光地の風景が広がっていた。
高度経済長期、幅が細く曲がっている参道とは別に車のアクセスを考えて拡張されたアスファルトの真っすぐな道路。その両側に土産物屋や食事処がズラリと並び、拡声器による土産物屋の呼び込みが響きわたっていた。人々はバスを降りると、世俗気分のままどっと寺の境内へ。そんな物見遊山の観光客の姿があった。
しかし今回新たに再生した「参道」は、以前とは決定的に違う点がある。
それは、基本的に「歩くための道」として整備された、という点だ。
石畳は車の通行には適さない。
人がゆったりと歩きながら進んでいく参詣ルート、「道元の歩いたであろう道」が再生された。
参道の途上にある石碑に、道元の言葉がこう刻まれていた。
“濁りなき心の水にすむ月は 波もくだけて光とぞなる”--。
この参道はつまり、世俗にまみれた「観光」客から「参拝」客になってもらうための空間的な仕掛けではないだろうか。
今回のコンセプトは「1600年代の古地図を基にして、永平寺川沿いの参道を再整備する」。ここにプロジェクトの斬新さが表れている。事業は2013年から曹洞宗大本山永平寺が推進してきた「禅の里構想」の一つとして位置づけられている。
禅境のトータルランドスケープを再生する
参道の再生と永平寺川の改修が完成したのが2018年夏のこと。
「門前の整備プロジェクト」の監修を手がけたのは日本を代表する造園学の第一人者・福井県立大学進士五十八学長だ。それだけに従来のアーバンデザイン的なまちづくりや再開発を超えた、「歩く人の五感に語りかけてくる」独特な空間が現れた。
進士学長は語る。
「永平寺の開祖である道元は、水の音は仏の声だと言っています。それくらい、この空間にとって川は大切な構成要素なのです。コンクリートで固められていた永平寺川の護岸を多自然型の護岸に戻し、川底には石を置き、段差を作って水の音を響かせ、音の風景を再生したのもそのためです」
道元の歌に「春は花夏ほととぎす秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」というものがある。禅の修行にふさわしい環境としてこの土地を選び出したはずです、と進士学長。
「背景の山、杉の巨木群、渓流のせせらぎ、生息する動植物と一つ一つの要素が渾然一体と溶け合った境地を、道元は禅にふさわしい修行場と考えたのでしょう。 山あいの傾斜を活用して配置された七つの伽藍、参道と川。すべては連続していく禅境のトータルランドスケープです」
進士学長によると、よく、お寺の名前の前に『〇〇山』と付いているが、それは単なる名前ではなく、そもそも『山』とは「修行に適した豊かな自然環境のことを現す言葉だったという。
「そうした禅境・山の空間をもう一度、現代の人たちも体験し体感することができるよう再構築することが、プロジェクトの第一ステップでした」
そして、「今回の整備はいわば禅境という『核』の部分であり、まだ第一ステップに過ぎないのです」と強調した。今後さらに広域に亘ってアプローチを俯瞰し、志比谷や九頭竜川も含めて第二、第三ステップと景観を再生をしていくことが目標だという。
ひと味違う「ZEN」体験を提供する新たな宿坊も誕生
参道、川の再生。そして2019年7月にもう一つの見所が誕生した。旅館と宿坊の中間に位置する禅の宿「柏樹關(はくじゅかん)」だ。
柏樹關の屋根は列をなして飛ぶ雁のように、幾重にも連なる雁行型をしている。それが永平寺の山の風景に優しく溶け込んでいく。
柏樹關の内部に入っても山の峰や渓谷の響きの気配が感じ取れることが印象的だった。18ある和洋室の部屋すべてが川に面していて、窓を開ければせせらぎの音が響く。部屋を一歩出ると館内はほの暗い。陰翳礼賛を意識して光を抑制した空間は、客を瞑想に誘う。
宿の名前にある「關」という字には、俗世と禅の修行道場との境であり、その両者をつなぐという意味がある。
その「關」を掲げているだけあって、柏樹關は単なる宿泊施設ではない。希望によって坐禅、写経、朝のおつとめなどの体験ができ、寺の典座(食供養を司る)老師が監修した本格的な精進料理も味わうことも可能だ。
「お客さまと永平寺をつなぐのが私たち禅コンシェルジュです。早朝のおつとめも随行してご案内します」
と柏樹關の総支配人を務める志賀敏男さん。「禅コンシェルジュ」は永平寺による禅の試験に合格し知識を備えたスタッフだけが名乗ることができるそうだ。宿には現在6名が待機している。禅の心を伝える役割を担う「禅コンシェルジュ」もまた、一般人と永平寺とをつなぐ「關」なのだろう。
永平寺は従来から吉祥閣という宿坊施設を備え、参禅したい一般人を受け入れてきた。畳敷の大部屋で寝起きし、早朝から規律にのっとって生活することが定められている。しかし、そこまではできなくても禅に触れてみたい、というニーズもある。永平寺・小林昌道監院は「ご高齢の方など、諸般の事情から永平寺内の厳格な規則に則って起居することが困難な方も身を委ね、希望によって坐禅や法話に参加頂いたり、祠堂殿や法堂の御供養にお参り頂けるものとなります」(『傘松』平成29年1月号)と柏樹關について語っている。禅を体感したいが従来の宿坊のように畳の上で寝起きすることが困難な来訪者の受け入れを想定に入れているようだ。
そういった努力の甲斐があってのことだろうか。
「開業した7月末から約3ヶ月間ですでに外国人のお客様が100名を突破しました」と志賀総支配人。今、インバウンド消費において人気を集めるキラーコンテンツは「文化の体験」と聞くが、特に欧米系観光客の関心は「ZEN」に向かう。
柏樹關に一歩入ると、宿泊客を迎えてくれる巨大な「魚鼓(ほう)」に目を奪われる。
江戸時代から実際に修行に使われてきた、時を知らせる道具だという。檜の一木造で、下から見ると魚の腹の部分に宝暦年間と刻まれている。
「当初は玄関に花や屏風等を飾る計画もあったのですが、魚鼓を置いてみたら、その他には何もいらない、ということがわかりました」(志賀総支配人)。
建物内部の空間も独特だ。永平寺杉を活用した柱や梁などの小屋組が見える。かつて境内にあって倒木した永平寺杉なども活用されている。
また、越前和紙の壁紙やランプシェード、越前焼の洗面器、越前塗の箸、館内で着る作務衣(さむえ)など地産地消も徹底している。
コツコツと「禅の里構想」を練り上げてきた永平寺のこれから
江戸時代の門前町の面影を蘇らせつつ、今の人に響く魅力を放つ新空間として生まれ変わらせていく試み。それを支えた力の一つが実は六本木ヒルズなど大規模都市開発を重ねてきた森ビルだ。門前町の再構築の基本策定・総合調整を手がけたのが都市開発のトップランナーという点もユニークではないか。また、日本各地のホテル経営のノウハウを蓄積してきた藤田観光グループ・藤田セレンディピティが、「柏樹關」の運営を担当している。
地方創生に注がれるこうした新しい力は、今回の経験も活かして今後も土地固有の資源を輝かせ新たな提案していく推進力となっていくだろう。
永平寺「禅の里」に足を運んでみて、最も印象的だった点。
それは、現代の物見遊山的観光客・来訪客に媚びることなく、過剰に合わせすぎることないこと。
そして禅寺が本来持っているエッセンスを保ちながら伝え、本質を崩さない形で今に提供しようとする姿勢だ。
これは、修行道場と観光とを両立させようというハードルの高い挑戦とも言える。
そしてまた、寺だけを目指して参拝するのではなく、参道から山を眺めつつ、川の音に耳を傾けながら近づいていくというシークエンスを大切にしている点が興味深い。寺までの道程全体を一つのつながりとして体感し、修行道場としての神聖さを体に染み渡らせるためのアプローチ。「参道」を再生していく斬新なコンセプトもまた、そこから生まれたものだ。
もう、どこにでもあるような観光空間を再生産するのは時代遅れ。その場所にしかない独自の資源を活かし輝かせ、今に表現していくようなまちの再構築が評価される時代がきたと言えるのかもしれない。
(編集:榊原すずみ @_suzumi_s)