台湾発の長編アニメーション映画『幸福路(こうふくろ)のチー』が11月29日から公開される。
台湾出身で、京都大学とコロンビア・カレッジ・シカゴで映画製作を学んだソン・シンイン監督が、自身の半生を基にした半自伝的映画だ。「幸福路(こうふくろ)」という台湾に実在する通りで暮らす一家の娘である主人公が、様々な挫折や葛藤を経て成長していく姿を描いている。
物語は、成人し、アメリカで暮らす主人公が祖母の葬式で帰国する際、幼少期からの思い出を反芻する形で展開していく。小学生時代の楽しい思い出、家族との苦労話、デモや政治活動に明け暮れた青春時代、社会人になってからの忙しく辛い日々から、渡米後の出会いなど、一人の女性の生き様をリアルに描いた人間ドラマだ。
蒋介石の死や、陳水扁の政権交代、台湾大地震(921地震)にひまわり学生運動など、激動の台湾現代史を背景に一人の女性の夢と希望、挫折と幸福を丹念に描いた本作は世界中の映画祭で絶賛され、国と人種を超えて「これは自分たちの物語のようだ」と絶賛された。
この映画の何が人々の心を捉えたのか。その秘密を探るため、来日したソン・シンイン監督に話を聞いた。
個人史と台湾現代史が織りなすハーモニー
アメリカ人の夫とニューヨークに暮らす台湾人のチーは、祖母が亡くなった知らせを受け、長らく疎遠になっていた故郷、幸福路に帰る。久しぶりの故郷は様変わりしており、まるで異国の地のように感じるチーは、幼少期の自分を思い出し、人生を振り返る。
「あの日思い描いた未来に、私は今、立てている?」
夢と希望にあふれていた子ども時代、政治デモに明け暮れた青春時代、社会に打ちのめされた新聞社時代を振り返り、大きな決断をする主人公。挫折もたくさん体験し、後悔もある人生だけれど、それでも幸せのために進む主人公の姿が印象的だ。
本作は、シンイン監督の実体験が「50%から60%」くらいで構成されているそうだ。主人公のチーの歩みは概ね監督自身の歩みと重なるそうで、多くの個人的な実感や体験を作品に盛り込んでいる。
「チーは小さい頃に王子様が助けに来てくれる妄想をしていますが、それは私がキャンディ・キャンディなどの昔のアニメや、ラブロマンス小説に憧れた気持ちが反映されています。当時の女の子だったら、そういう想像をしたことがあるんじゃないでしょうか」
ほかにも、友達とガッチャマンごっこに興じる姿なども描かれ、将来への夢と希望に溢れた子ども時代と、その理想とかけ離れた現在のチーとが交錯して一人の人間のリアルな人生を浮かび上がらせていく。
そんな個人的な体験や実感を、台湾の激動の現代史を背景にして物語は進んでいく。
例えばチーの高校時代、台湾独立派に対する不当な暴力的拘束事件「独立台湾会事件」への抗議に参加する様子や、陳水扁の娘と同級生になり、台湾初の民選総統となった陳水扁を支持するデモに参加する様子が描かれている。シンイン監督は「台湾人は何かにつけてデモをしますし、普通のこと」とこともなげに語る。確かに特別感はなく、当たり前の青春の1ページとして描かれているのが印象的だ。
そして、社会人となったチーが新聞社に勤めていたころに、今度はデモで抗議を受ける側になる姿も描かれている。デモに参加したのも、抗議される側になったのも監督の実体験を基にしているそうだ。
「私が勤めていた新聞社がデモの抗議の対象になった頃、私は新人だったので、オフィスに居残りさせられていました。上司はみな、デモを察知して帰ってしまったんです。残されたのは私ともう一人の若い女性社員だけ。デモがあろうと、翌日の新聞は発刊しないといけませんから、仕事を押し付けられたんです。職場のいじめだと思いましたね」
ちなみにこの時のデモは、学生時代のものとは異なり、政権を獲得した陳水扁に対する批判のデモだったらしい。
「私の学生時代、陳水扁は民主派として多くの人に支持されていたんですが、彼が権力の座についたら今度は批判される側になったんです。このあたりの時代のうねりは、当時を知る台湾人なら思うところがあると思います。持ち上げたと思ったら、今度は批判する。台湾の歴史はいつもその繰り返しです」
政治的背景を作品に盛り込みながら、本作から特定のイデオロギーの匂いを感じさせないのは、そんな時代のうねりに翻弄された個人をぶれずに見つめている点と、シンイン監督の優れたバランス感覚によるものだろう。
台湾のマイノリティ、米国のマイノリティ
チーの小学校時代の同級生で、台湾と米国人の両親を持つベティというキャラクターが登場する。金髪に碧眼という外見で台湾に生まれ育った彼女とチーは親友になり、成人後のチーにとって大きな存在となる。このベティにもモデルが存在するそうだ。
「ベティは小学校時代の同級生をモデルにしています。すごく仲の良い友達だったんですが、4年生の時にベティが転校して以来、行方がわかりません。彼女の母親は水商売をやっていたので、彼女もどこかで水商売をやっているという噂が流れたことはありますが定かでありません。台湾には米国軍人と台湾女性の間に生まれて母子家庭で育った子どもがたくさんいるんです。大人になったベティは、そういう人々のドキュメンタリーなどでたくさんのリサーチを重ねて作り上げました」
大人になったベティには、ある台湾人女優の姿も重ね合わせているという。
「ベティとよく似た雰囲気を持った女優がかつて台湾にいたんです。ベティと同じく金髪・碧眼だけど、生まれも育ちも台湾なので、言葉は台湾語しか話せない人でした。その外見のため、大きな役を得られず、端役しかできなかったそうなんです」
ベティが台湾における人種的マイノリティの苦労を象徴しているとすれば、渡米後のチーは米国におけるその象徴と言えるかもしれない。
「チーがアメリカで、男性に物を投げつけられて出血したという話をしていますけど、これは実際にシカゴで私が体験したことです。それから、チーがニューヨークでクリスマスツリーのオーナメントを見上げるシーンは、私のいとこの体験です。ニューヨークのクリスマスツリーを彩るそのオーナメントは台湾製なんです。台湾の貧しい家庭では、アメリカに輸入するためのオーナメントをよく作っていたんです。台湾はキリスト教の国でもないのに、アメリカのためにたくさんのオーナメントを作っていたなんて、変な話ですよね。チーは母が作っていたオーナメントをアメリカで見かけて『なんだかなあ』みたいな気分になるわけです」
「上手く行かない時、人間は何かのせいにしたくなるもの」とシンイン監督は語る。台湾とアメリカ両方でマイノリティの苦労を描くことで、世界のどこでも同じ問題に直面するのだということを描く本作。それこそが、世界中で「これは自分たちの物語だ」と受け止められた理由なのかもしれない。
原題は「幸福路上/On Happiness Road」
「結局、誰も夢を叶えられなかったね」
苦虫を噛み潰したような笑顔でチーは語りかける。にもかかわらず、この映画にはシニシズムともニヒリズムとも無縁だ。
この映画のタイトルに「幸福路」を用いた理由をシンイン監督はこのように語る。
「これは私の故郷の隣町にある実在の通りの名前ですが、この名前を使いたくてここを舞台にしました。この映画のオリジナルタイトルは『幸福路上/On Happiness Road』ですが、それは、私たちは幸せに通じる路の上を歩いている途上なんだ、幸せがゴールじゃなく、歩きながら見つけるものなんだという意味を込めています」
インタビューの終わり際に、シンイン監督は英語で「It’s always on the road」と言った。「On the road」とは「路上」のほか、「~の途上で」という意味がある。私たちの人生はいつでも途上だ。人生の酸いも甘いも噛み締めながら、歩き続けること。本作は、それだけで人生は素晴らしいと教えてくれる温かな人生讃歌だ。
(編集:毛谷村真木 @sou0126)