ローマ・カトリック教会のフランスシスコ教皇が11月23日、日本に来日します。
ローマ教皇が来日するのは、故ヨハネ・パウロ2世以来38年ぶりで、2回目です。
実はローマ教皇をめぐって、日本で長年“ある問題”がくすぶっています。「ローマ教皇」と「ローマ法王」どっちの表記が正しいのか、という点です。
多くのメディアで「ローマ法王訪日」という見出しが躍る一方、訪日に合わせて開設された日本語の特設サイト「Pope In Japan 2019」では「ローマ教皇」と表記しています。
なぜ2つの表記があるのでしょうか。一体、どちらが正しいのでしょうか。
日本のカトリック中央協議会から、メディアや外務省まで関係組織への取材や、辞書やルールブックの定義や説明まで、あらゆる手段を使って経緯や理由を探ってみました。
辞書の定義は?
まず、それぞれの表記、定義、使い分けを紹介します。
「困った時は辞書を引きましょう」と育てられたので、調べてみました。「たくさんのソースに当たるべし!」と指導されたので、編集部にあった3つの辞書の定義や表記を見てみます。
参照したのはこちらの辞書(三省堂ばっかり...)
・現代新国語辞典(三省堂)
・新明解国語辞典(三省堂)
・ベネッセ表現読解国語辞典
どの辞書にも「教皇」「法王」の両方とも記載されていました。ただ、「教皇」と引くと「法王」、逆に「法王」と引くと「教皇」。。ほぼ同義語で、堂々巡りの定義でした。新明解国語辞典だけは、「教皇」が正称で「法王」が通称・略称と説明していました。
どうやら「教皇」が正式名称らしいということが分かりました。
各辞書の定義は以下の通り
【三省堂の現代新国語辞典】
・教皇:ローマ・カトリック教会の首長。法王。
・法王:教皇。「ローマー」
・ローマ法王:「カトリックで」最高の地位(の人)。ローマ教皇。法王。教皇。
・ローマ教皇:記載なし
【新明解国語辞典】
・教皇:「ローマ法王」の正称。
・法王:「ローマ法王」の略称。〔その世界で最高の地位にあり、大きな権力を持つ人の意にも用いられる〕「ー庁」
・ローマ教皇:ローマ カトリック教会の最高の地位。ローマ法王。
・ローマ法王:ローマ教皇の通称
【ベネッセ表現読解国語辞典】
・教皇:〔キリスト教〕ローマカトリック教会で最高位の僧。類▶︎法王=きょうおう。
・法王:ローマカトリック教会で最高位の聖職者。ローマ法王◎法王庁。類▶︎教皇。
・ローマ法王:記載なし
・ローマ教皇:記載なし
カトリック中央協議会の見解は?
辞書でははっきり分からなかったので、本家のカトリック中央協議会に電話で聞いてみました。
「正式名称は『教皇』という立場です」
やっぱり「教皇」が正式名称でした。
担当者は「教皇の表記を使用してほしいと推奨しています」と説明していますが、「法王」という表記をよく見る気もします。
一般的にはどちらの表記が使われているのでしょうか。次にメディアの表記を確認してみましょう。
NHKに聞いてみた
各社、表記や使い分けについてルールを設けていました。参照したのはこちら。
「NHKことばのハンドブック第2版」
「記者ハンドブック」(共同通信社)
NHKのハンドブックは「正式名称は教皇」と前置きした上で「放送では一般に慣れ親しんだ『ローマ法王』を使う」と説明しています。
共同通信の記者ハンドブックも「カトリック中央協議会は、教皇としているが、原則『法王』とする」と定めています。
メディア側は、正式名称の「教皇」ではなく、原則「法王」で運用していました。
ただNHKハンドブックには「特に必要と考えられるときは、(教皇を)使ってもよい」とも書いてありました。実際に「教皇」と表記していた例を探してみると、かなり前ではありますが、2004年に放送されたNHKスペシャルは「ローマ教皇、動く~イラク戦争とバチカン外交~」でした。
ニュースと、番組・特集で使い分けているのでしょうか。NHKに運用ルールを尋ねてみると...
「お尋ねのあった『法王』と『教皇』の使い分けについては、放送では一般的に使われている『法王』を使うことを原則としていますが、番組ごとの判断で『教皇』を使うこともあります」
それぞれのルールはこちら
【NHKことばのハンドブック第2版】
・法王:カトリックにおける正式名称は「教皇〔キョーコー〕」だが、放送では一般に慣れ親しんだ「ローマ法王」を使う。場合により、「法王」と略しても良い。→「教皇」
・教皇: カトリックにおける正式名称。特に必要と考えられるときは、使ってもよい。〔キョーオー〕とは言わない。
ただし、放送では一般に慣れ親しんだ「ローマ法王」を使う。
→「法王」
【記者ハンドブック】
法王〔ローマ・カトリック教会の最高位〕ローマ法王
〔注〕カトリック中央協議会は、教皇としているが、原則「法王」とする。
そもそも正式名称ではない「法王」が、「一般的に使われている」のはなぜでしょうか。
外務省、政府は...
「法王」表記を用いているのは、メディアだけではありません。バチカンの駐日大使館の名称は「ローマ法王庁大使館」となっています。
外務省の担当者は理由について「大使館の設置当時に、現在の『ローマ法王庁』という表記で申請があったからです」と明かしています。
相手国からの要請があれば、呼称の変更を検討すると、担当者は説明しています。
「ローマ法王、教皇の呼称については過去に国会でも質問が出たことがあります。例えば『ジョージア』の例では、相手側の要請に応じて『グルジア』から国名の表記を変更しました。相手国からの要望があれば、内部で調整した上で対応を検討しますが、今のところバチカン政府からそうした要望は受けていません」
国会でもやり取り
外務省が言っていた国会質問は、2018年2月9日の衆議院予算委員会でした。立憲民主党の山内康一衆議院議員が、河野太郎外務大臣(当時)に対して、次のように質問していました。(一部省略)
山内康一委員:ローマ法王庁大使館、バチカンの大使館の名称が実はカトリックの人たちにとっては余り望ましくない。日本語名称をローマ教皇と呼んでほしいというのがカトリック教会の公式な見解のようです。バチカン市国の大使館の名称変更を相手の政府に対して相談、協議する、もし相手が望むのであれば変えていくことをお考えになる余地はありますでしょうか。
河野外務大臣:駐日ローマ法王庁の大使並びに大使館及びバチカンに問合せをいたしましたが、いずれからも名称変更を求めていないという御返答でございましたので、特にその後のアクションはとっておりませんが、いずれの大使館からも名称変更の要請がありましたときには、外務省としてしっかり対応をする。
「法王」⇒「教皇」に方針転換
こうした背景もあり、外務省・日本政府はバチカンとの国交が樹立した1942年以来、大使館の表記にも習う形で「法王」の呼称を用いてきました。
ところがローマ教皇訪日目前の11月20日、方針転換を決めました。外務省・日本政府は今回の訪日に合わせて呼称を「教皇」に変更すると発表し、担当者は理由を次のように説明しています。
「今回の訪日に当たって準備を進める中で、書物などで一般的に教皇を用いる例が多く見られたためです。バチカンやカトリック教会側から要請があったわけではなく、日本側の判断です」
バチカン側にも、呼称を「教皇」に変えることに問題がないと確認がとれたと話しています。
過去の文書などの表記換えはしませんが、今後は公式の文書やホームページ、報道発表などでは「教皇」が用いられることになります。
方針転換するまでは、国交樹立当初の「法王」を継続して使用してきた日本政府・メディアと、「教皇」を正式名称とするカトリック教会との間で、表記が混在していました。
経緯をつらつらと書きましたが、カトリック中央協議会の公式サイトに、表記が混在した理由が載っていました。(お付き合いありがとうございました)
「教皇」「法王」の呼称の使い分けについて疑問に思う人は多いようで、サイト内の「よくある質問」の欄で解説しています。
日本とバチカンが外交関係を樹立した当時の定訳は「法王」で、日本のカトリック教会の中でも、「法王」「教皇」の両方が使われていたようです。
「日本の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、『ローマ教皇』に統一することにしました。『教える』という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからです」
教会側は「教皇」での統一化を図りましたが、日本政府はその後も申請上の「法王」の呼称を使い続けて、メディアもそれに倣う形で「法王」と報じてきました。
こうした経緯で、日本のカトリック教会が使う正式名称「教皇」と、日本政府やメディアが用いる「法王」が併用されてきたのです。
ただ前述したように、政府が呼称を「教皇」に変更すると発表したことを受け、後ろ支えがなくなった各メディアが今後、どちらの呼称を用いるのか注目したいところです。すでに「教皇」表記に変えているメディアもちらほら見受けられます。
まとめ
長くなったので、まとめましょう。
・日本とバチカンの国交樹立当初の定訳は「ローマ法王」
・駐日のバチカン大使館の設置時に「ローマ法王庁」という名称で申請され、これを受けて日本政府は「法王」の呼称を用いて、メディアもそれに倣う
・日本のカトリック教会の中でも「教皇」「法王」の両方が使われていた
・日本のカトリック教会が1981年、「ローマ教皇」に統一
・日本政府はそのまま「法王」と表現し、メディアも既に浸透していた「法王」を継続
・「教皇」「法王」の2つの呼称が生まれる
・日本政府が呼称を「教皇」に変更すると発表
今までは「法王」が一般的とされてきましたが、今後は正式名称の「教皇」が浸透することになるかもしれません。