「どこに価値をおくかで見える世界が変わる」。兼業主夫アーティスト、劔樹人さんの選択

主夫として子育てと家事を担う劔樹人さん。「得意不得意の分野が‟真逆”」だったからこそ選択できた、これからの夫婦のかたち。とはいえ、妻・犬山紙子さんとの収入格差は気にならないもの? 話を聞きました。
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ミュージシャン、マンガ家でありながら、主夫として2歳8カ月になる娘さんの子育てと家事全般を担う、劔樹人さん。「自分は、ビジネスというものに向いていない。独身のときからなんとなく気づいていた」と、自然体であっさりと話す。妻は、イラストエッセイスト・タレントとして活躍する犬山紙子さんだ。

ふたりは、2014年に結婚。ともに暮らしていくにあたって、基本的にお金に興味がない夫とお金まわりのことを考えるのが好きな妻は、「得意不得意の分野が真逆」だった。

そこで、劔さんが家事をするようになり、2017年に第一子が誕生すると、「もともと面倒見がいい性格(妻談)」という劒さんの生活は子育てが中心に。マンガや音楽の仕事をしながら、保育園の送り迎え、子どものお世話、寝かしつけ、炊事洗濯掃除…と家庭を支える。一方、妻は家族の経済面を支えつつ、家事が足りない分を外注することで補っている。

劒さん、犬山さんそれぞれの夫婦や家族についてのSNSでの発信を見ると、お互いを尊敬し合っていて、とても風通しがいい。何より居心地も仲も良さそう。

とはいえ、だ。「夫婦間の収入格差」は、劒さんにとって何かしらのコンプレックスになっていることはないのだろうか。

…そんな仮説から話を聞いてみると、それこそが、ジェンダーロールにおける偏見そのものだった。

「今の生活が、自分の仕事人生の中で最も無理がない」と劔さん。劒さんの夫婦のスタイルや考え方には、人と人が個を尊重して活かしながら、協力し合っていくための大事なことがたくさん詰まっていた。そこに男女は関係ない。

男性育児を取り巻く壁や感じていることについて、語ってもらった。

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もともとの自分の仕事に執着も使命感も抱いていなかった

━━著書であるエッセイマンガ『今日も妻のくつ下は、片方ない。妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました』(双葉社)では、2014年結婚を決める際に、妻である犬山さんから「家のことをして。それで自分の仕事はお金を気にせず本当にやりたいことをやって」との提案に戸惑われた様子を描かれています。「家のことを任せる!」と妻から言われた4年前、どんなお気持ちでしたか。

思いもよらない提案でした。貧乏暇なしで働いてきて、独身生活の食事は買ってきたお弁当や手軽な外食中心で、洗濯や掃除も本当に最低限のことしかしていませんでした。なので、いきなり家のことを任せると言われても「自分にその役目は果たせるのか!?」と困惑しましたね。

性格によるところが大きいですが、でもわりとすぐに、新しい挑戦として考えてみようと思えました。

━━ご結婚される前は、ロックバンド「神聖かまってちゃん」の名物マネージャーとしても業界では知られた存在でした。ご自身で生計を立ててこられたわけですよね。「家庭生活を支える」という役割にすぐ切り替えられましたか?

大学を出てからずっと、アルバイトも含めて当たり前のように働いてはきましたが、自分はどの時代もあまり大きく稼いだ経験がないんです。高収入だった時代がないので、仕事に対して何か自信があったわけでも、逆に「これは自分じゃないとできない仕事だ!」と使命感のようなものを抱いたこともなくて。

やりがいはあったし、楽しくもあったんですよ。でも、執着はありませんでした。

神聖かまってちゃんのマネージャーをしていた時期は、「バンドがもっと売れるためにはどうすればいいか」を一生懸命考えていました。ビジネスとして成り立たせる以上当然なのですが、だんだんと神聖かまってちゃんというバンドや楽曲の良さを届けることよりも、売ることが目的になっていくことに違和感が大きくなっていきました。

極端であるゆえに刺さる人には、深く強く届く。それが、神聖かまってちゃんというバンドです。このバンドやその音楽があるおかげで救われ、息ができるようなファンの方がいてくれました。

このバンドを通して「誰かにとって1番であることがとても尊い」と気づかせてもらえたんです。たくさんの人に受け入れてもらえることよりも、誰かにとって大事な存在になることが自分には重要だと。

━━ご自身もミュージシャンとして、フジロックはじめ大きなステージに立たれた経験もおありです。音楽活動ができなくなることへの葛藤はなかったのですか?

できなくなるとは思っていなくて、いまも十分やれていると思っています。ただ確かに、20代の自分はもっとギラギラしていました(笑)。成功したい! 音楽で認められたい!とはっきりとありました。

一方で、身のほどをわきまえているというか、自分に対してそう期待もしてはいませんでした。将来について考えるときも、「(音楽で認められるとしても)これぐらいの規模で、売り上げはこんなもんでなんなく生活していけるかな」などと冷静でした。

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夫婦間で「多く稼いでいるほう」が意識しないといけないこと

今の僕の収入は、マンガの連載数本とイラストの仕事。音楽の仕事はお小遣い程度です。都内で一人暮らしはできても、余裕を持って家族を養える額ではありませんが、今が社会人人生で最も、「仕事の量(時間)」と「収入」のバランスがいい。

子育てがあるから自分を抑え込んでいるようなことも、特にありません。犬山が、「テレビ出演含めて私は開かれた仕事が好きだし、あなたは自分のやりたい、いいと思うものを追求しないともったいないと思う」と言ってくれているのも大きいですね。

主夫だから家事力を高めようと、主夫業のテクニックを磨いたり、究めたりしていることもありません。スーパー主夫になりたいわけでは全くないので、育児家事は「生きていくためにやるべきこと」というだけ。最近は、娘との生活で妻の夕食まで手が回らなくて、「今夜はごはんがないのでUber Eatsでお願い」とLINEすることも多いです。

━━『今日も妻のくつ下は、片方ない。』では、パートナーである犬山紙子さんが、「私が得てきた収入は2人で稼いだお金」「安心して仕事できるのはあなたが家のことをしてくれるから」という意識をお持ちだと書かれていましたね。それをパートナーである劔さんにもきちんと言葉にして伝えていらっしゃることに感動しました。

二人とも、気持ちを伝えることには意識的かもしれませんね。「いかにあなたが素晴らしいか」は、気づいたら口にするようにしています。妻は僕以上に意識的です。

━━専業主婦の友人たちの話を聞いていると「自分は生活費を稼いでいないから」と遠慮している傾向が強いように思います。「稼いでいるほうがエラい」とのモノサシからどうすれば抜け出せるのでしょう?

「より多く稼ぐ人が優れている」と、世間では収入の高い低いで関係性が決まったり、人としての優劣を判断されたりすることもありますよね。その価値観にとらわれないためには、多く稼いでいるほうが気をつけて意識しないといけないと思うんです。

バンドも同じ。バンドのメンバー間で、ボーカルや作詞作曲をする人間のほうが、偉くて価値があると考えがち。周囲から注目されることも多いですからね。でも当然ながら、メンバー全員がそれぞれの役割を果たしているから「バンド」です。

目立つ立場にいる側の人間が「みんながいてくれるから自分はやれている」という気持ちでいないと成立しないところがあります。支えている側の人間から「俺らがいてこそバンドでしょ!」と訴えても説得力は薄くて。

支える側や、目立たない仕事の大切さ。取り換えがきくように見える役割であっても、必要な存在だったり、実は重要なバランスを担っていたりという、「目立たないけれど必要な存在」をいかに大切にできるかが欠かせません。

バンドのこの理屈をうちの夫婦を当てはめると、犬山には「支えている側」への心遣いと配慮が常にあります。一般的に、主婦の方の自己肯定感が低くなっているとしたら、パートナーの配慮の足りなさが背景にあるのではないでしょうか。

お金や経済的な側面に価値をおきすぎた認識を疑ってみるのもいいのかもしれません。よく稼ぐ方が優れている、売れないものより売れているもののほうが優れている、フォロワー数が多いほうが優れている…。そういうことではない部分がきっとあって。どこに自分たちが価値を置くのか。それによって見える世界を変えることができるんじゃないかと思います。

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「育児生活のリサーチ」を怠らない妻

━━犬山さんからの家庭における「『支えている側』への心遣いと配慮」とは、具体的にどういうことですか?

こちらの話を細かく聞いてきてくれます。うちの場合は妻の仕事量が圧倒的に多く、家にいないことも多いので、日々子育てに向き合っている時間が多いのは僕の方です。今はイヤイヤ期の子どもの理不尽に日々悩まされています。

そういう僕の家での状況を理解しようと、自分からいろいろと聞いて調整しようとしてくれます。「最近の仕事どう?」などと僕の仕事の現状、量や内容をこまめに確認してきて、それに対して現状の育児家事の負担は合っているのか。キツいと判断したら、「この週のこの時間は、家事代行サービスやシッターさんなどに来てもらおうよ」と提案して手配してくれます。 

「全体を見渡すのが好きで采配好き」という妻自身の性格もあるんでしょう。しんどくても自分から助けてと言えない僕の性格や資質も理解してくれたうえで、こまめに聞いてきてくれるのだと思います。彼女自身のこともものすごく主張しますけどね。

つい根性で乗り切ろうとしてしまう自分は、彼女からの細かなリサーチによって気づけたことも多い。外部サービスはこうやってうまく利用すればいいのかとか。だからなのか、自分の苦しい状況に対して「なんでわかってくれないんだ!」とパートナーの無理解に憤慨したことは一度もないんですよね。

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子育てにおける神話的なものを気にしていない

━━お互いに対する思いやりをすごく感じます。

人間なので、相手に対して自分が認められないところはあります。反対に、とてもいいなと思うところがあったりも。誰しも良いところと悪いところがあって、0か100かじゃないですよね。夫婦も一緒。ダメなところもあるし、素晴らしいところもたくさんある。当然だよね、というのが前提にあります。

「自分の状態や情報を話す」こと。今の仕事はどう? 量が多いんじゃない? だったら外部サービスや祖母の手を借りようかなどと、「相手を観察して聞く」。どちらかの我慢のうえに成立させていると、「しんどい」「苦しい」と不平等感が出てきてしまう。いい方法を考えよう、探ろうとできるか。お互いの違いをわかりつつ、いかにして両者が対等でいられるかなんでしょうね。

うちも探り探りで、その時々で微調整をしています。

━━男親が子育てしていることでの、不足感は抱きますか?

まったくないです。母親が中心で育てたほうがいいと思ったこともないです。

子育てにおける神話的なこと…例えば、手作りがいいとか、完全母乳がいいとか僕も犬山もまったく気にしていません。娘が離乳食の時期、僕が作ってもまったく口にしない事が多かったので、ベビーフードを多用して乗り切りました。落ち着いて考えたら、ベビーフードはその道のプロが研究を重ねた味付けや量、食材の安全性があるわけで、悪いわけがないというか。むしろ手作りでも味付けはベビーフードを基準にしていたくらいです。

オムツ替えスペースが女性トイレにしかないなど環境面で追いついてないことはまだありますけれど、まぁなんとかなっています。

━━8月に娘さんと2人でご実家に帰省された際に、父親である劔さんが誘拐犯と疑われて通報され、警察官から質問を受けられたことがSNSでも話題になりました。

どんな人が何を思って通報したのかの意図を知り得ないですから、結局のところよくわかりません。母親と子どもで新幹線を使って移動するのはよくある光景で、たまたまそれが男女逆だったから目立っただけなのだろうと認識しています。 

妻は重度の猫アレルギーで、猫がいる僕の実家にはいけないんです。だから、僕と娘にとっては2人で新幹線に乗ることも当たり前。これに懲りることもなく長野の実家にまた2人で帰ります(笑)。 

劔樹人(つるぎ・みきと)

マンガ家。ベーシスト。1979年生まれ、新潟県出身。大学時代から音楽活動をスタート。2008年にダブ・エレクトロユニット「あらかじめ決められた恋人たちへ」にライブメンバーとして参加。翌年からロックバンド「神聖かまってちゃん」のマネージャーとしての活動も開始し注目される。2014年にイラストエッセイストの犬山紙子さんと結婚し、主夫業と「ハロープロジェクト」のファン活動に重点を置く。2017年に女児誕生。Instagramでの育児エッセイ『きみ、かわいいね』はじめ、『小説推理』『みんなのごはん』などでマンガを描きながら、保育園の送迎、炊事、掃除、洗濯、子のお世話などメインで担う。

(編集:毛谷村真木 @sou0126

コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
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ぜひ、皆さんの「コンプレックスとの距離」を教えてください。

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