19世紀のベトナムを舞台に、大富豪のもとに14歳で第三夫人として嫁いだ少女を描いた映画『第三夫人と髪飾り』が10月11日より上映される。
監督は、これが長編映画デビュー作となるアッシュ・メイフェア。ベトナム出身で、アメリカで映画製作を学んだ後、自身の曾祖母の体験をもとに脚本を執筆。スパイク・リー監督などの目に留まり、製作された本作は世界で51もの映画祭に招待され、絶賛された。その卓越した映像センスは新しい巨匠の誕生を予感させる。
しかし、国際的には大きな注目を浴びたものの、ベトナム本国での上映はわずか4日で打ち切られることになった。しかも、その決断はメイフェア監督自身によってなされた。理由は、ネット上で起きた大規模な嫌がらせ。そのターゲットとなったのは、撮影当時13歳だった主演女優の母親だった。
なぜそのようなことが起きたのか、そしてそれほど苛烈な反応を呼び起こし、世界で絶賛された本作は何を描いていたのか、メイフェア監督に話を聞いた。
公開前から炎上、上映中止のなぜ
19世紀の北ベトナム、桃源郷のような山間にある大邸宅に、メイは14歳の若さで第三夫人として嫁いでくる。穏やかで優しい第一夫人と、美しい大人の色香を漂わせる第二夫人とその子どもたちとの生活が始まる。男児を生むことだけが女性の務めとされた時代に、気高く生きた女性たちの強さと悲劇を水墨画のような美しい筆致で描いた作品だ。
なぜ、メイフェア監督は待望のデビュー作、しかも自身の曾祖母の体験をもとにした思い入れある作品の公開中止を決めねばならなかったのだろうか。
「この映画がベトナムで公開されたのは5月なのですが、公開前から炎上状態でした。
ある報道をきっかけに、主演女優のグエン・フオン・チャー・ミーとその家族、特に母親に対しての嫌がらせとバッシングが巻き起こったのです。母親は金のために娘を売ったという言いがかりをつけられたのです」
本作は日本ではR15+のレイティングで上映されるが、その理由は映倫によると「刺激の強い性愛描写がみられ」るから。母親を批判する人々は、そんな映画に未成年を出演させたことについて「娘を売った」と言っているのだ。
しかし、本作の撮影は全編を通して法律を遵守し、彼女自身の性的なシーンがあるわけでもない。撮影時には家族も同席し、男性スタッフを現場に入れずに撮影するなど、細心の注意とケアを持って行われていたそうだ。
本作の性的シーンはあくまでも成人男性と成人女性によるものだ。一度は本国ベトナムで正式に上映許可が下りているものの、この騒動の後、なぜかベトナム政府は、作品の再提出を求め、いくつかのシーンをカットするように要請してきたという。
しかも、それは13歳の主演女優の出演シーンではなく、別のシーンに対して要請されたそうだ。
主演女優の母も、公式にコメントを発表している。
「この映画はベトナムの家父長制の時代に生きた女性のリアルであり、彼女たちの運命を描いたものです。それは未だ世界に残るものであり、あらゆる女性にとって無関係ではないものです。アッシュ・メイフェア監督は、娘を素晴らしいチームとの仕事を体験するチャンスを与えてくれ、とても感謝していますし、この映画と娘を誇りに思います」
しかし、母親のコメントで炎上が沈静化することはなかったようだ。
お門違いであろうと、人々は一度振り上げてしまった拳を下ろすことはなく、最終的に監督はアーティストとして再編集の要請には応じず、上映を取りやめることを選ばざるをえなかった。
メイフェア監督は、一連の中傷の根底には映画の内容への嫌悪感があるのではないかと語る。
「この騒ぎで政府が神経質になっていました。元々、こういう内容の映画を上映させたくなかったのだろうと思います。なぜならこの映画はベトナムの歴史の恥部をさらけ出しているからです。グエンの母親への批判も本質的なものではないと思います。そういう内容の映画が、女性監督によって作られ、しかもそれが国際的に注目を浴びていることに憤慨した人々がいたということです」
つまり、この映画をバッシングする人々は「倫理的に弱そうな部分」を探してターゲットにしたということだろう。
結果的にそれが、ベトナム社会に今も残る女性への差別意識を浮き彫りにし、本作の鋭い批判は、現代社会をも的確に射抜いていることを証明したといえる。
それでも監督が絶望していない理由
ベトナムでの上映は残念な結果に終わってしまったが、メイフェア監督は「それでも絶望していない」と言う。なぜだろうか。
「確かに4日間という短い上映期間になってしまったことは残念ですが、たった4日で4万人の観客を動員することができました。アート系の作品がベトナムでこれだけの観客を集めることは非常に稀で、十分に成功したと言えるでしょう。
私はこの映画を公開することでベトナムの若いアーティスト、とりわけ女性アーティストを勇気づけたいと思っていました。そして、実際に彼女たちからインスピレーションを受けたという声ももらいました。
主演のグエンは今やベトナムで最も有名な女優と言ってもいいですし、本作は国際的にも高く評価され、世界でも有名なベトナム映画の1つとなりました。
女性が高く評価されること、女性が批判的な発言をすべきでないと考える人々がいるということは確かでしょうが、私の作品はそんな風潮を覆したと思います。
作品がつまらなければ、誰も何も言わなかったでしょう。しかし、良くも悪くも多くの人の心を動かしたのは事実です。
そして、本国では上映中止にはなりましたが、ベトナム以外の国の多くの人が映画を観てくれています。議論はまだ終わっていません。
これからベトナム社会にどんな変化が訪れるのか、私はアーティストとして楽しみにしています」
父権社会に苦しむ男性も描く
本作は女性にとって過酷な時代の物語だが、境遇の悲惨さや父権社会への批判ばかりを全面に押し出した作品では決してない。
メイフェア監督は、「ベトナムの暗い歴史の一部であっても、ベトナムの美しさを見せる」ためにこの映画を作ったと語る。
一夫多妻の物語だが、日本の『大奥』のように女性同士の妬みや権力争いは描かれず、3人の夫人が互いに支え合い協力して困難を乗り越える姿が描かれているのは、大きな特徴だ。
これについてメイフェア監督は、 「私も曾祖母に喧嘩することはなかったのか尋ねたのですが、生活が忙しくて喧嘩している暇なんてなかったそうです。子どももたくさんいましたから、みんなで協力し合う必要があったと彼女は言っていました。それを聞いて私は心を打たれたんです」と話す。
そして、本作は女性の困難だけでなく、男性の受難を描くことを忘れていない。第一夫人の息子は内に思いを秘めた女性がいるが、自由恋愛の許される時代ではないため、彼は家同士が決めた結婚を強制させられる。
家父長制は女性だけでなく男性からも自由を奪う。
傷つけられた男性は女性を傷つけ、傷つけられた女性はさらに悲劇を生み出してしまう。本作は、そんな悲劇の連鎖を断ち切る力を秘めている、そう感じさせる作品だ。
余談だが、メイフェア監督の言葉選びで印象に残ったことがある。
それは、映画を批判する人々について、決して「男性」を主語にして語らなかった点だ。「保守的な人々」や「女性が活躍するのが許せない人々」といった表現を徹底していた。こうした慎重な言葉選びにもメイフェア監督の聡明さと公正さが感じられた、とても意義あるインタビューだった。
(編集:毛谷村真木 @sou0126)