はめられた日本企業の憤り…。「金正恩のベンツ」不正輸出事件を追う

「金正恩のベンツ」は数カ国を経てドイツから北朝鮮へ不正に密輸された。そして日本には、知らぬ間に密輸の「黒幕」へ仕立て上げられた1人の男がいました。
北朝鮮/北朝鮮の高級車
北朝鮮/北朝鮮の高級車
時事通信社

北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が使用する高級乗用車「メルセデス・マイバッハS600ロングバージョン」は、ドイツで製造された後、オランダのロッテルダムに輸送され、その後、中国の大連、日本の大阪、韓国の釜山を経てロシアのナホトカまで海上輸送され、ウラジオストクから北朝鮮へ空輸――つまり、「密輸」された可能性がある……。

「黒幕」に仕立て上げられた社長

2019年7月16日、米国の研究機関「C4ADS」が公表した報告書「LUX & LOADED」は、世界に衝撃を与えた。金委員長が果たしてどのようにして、国連禁輸品の高級乗用車を調達していたのか。長らく解明されなかった謎に、ついに解明の糸口がもたらされたというのである。

そして報告書が不正輸出の中心人物として名指ししたのが、大阪西区に所在する「美濃物流株式会社」と徐正健社長である。

報告書の発表後、徐社長と美濃物流は、世界中のメディアで「制裁違反者」として実名が報道された。しかも日米等の金融機関等から資金洗浄容疑をかけられてしまい、今や深刻な打撃を受けており、会社の存続が危ぶまれる事態にすら直面している。

徐社長は自らの無実を晴らそうと、真相究明のために弁護士チームや筆者に調査を依頼してきた。その後、徐社長の全面協力の下、調査が進み、今回の事件の意外な全貌が明らかになっている。

調査の結果、後述のB氏にベンツ輸送を依頼していた「真の黒幕」は、ロシアと中国にいることが判明している。いずれも北朝鮮と深い関係にある人物だ。そして不正輸出には、韓国・釜山市に配置された協力者や、イタリア・ローマ市所在の疑惑の企業も関与していた。

北朝鮮の非合法ネットワークは、複数の国々を巻き込みながら、複数の「層」からなる調達ルートを築き上げて、首謀者は一番背後に隠れていたのである。彼らは書類改ざんなどを通じて不正輸出に対する自らの関与の痕跡を消し去ったうえで、事情を知らない第三者である徐社長を巻き込んで、ベンツの「荷主」に仕立て上げていた。

徐社長は、自らが知らないうちに北朝鮮の非合法ネットワークにがっちりと絡めとられていた被害者だったのである。

日本企業が北朝鮮の非合法活動に知らずと巻き込まれてしまうリスクは、今も厳然として存在する。他の日本国内の企業や金融機関にとっても、この事件は決して他人ごとではない。

徐社長はどのようにしてはめられたのか。本稿でその一端を紹介する。

事件の始まり

「この貨物はとっても急ぎなの」

2018年8月24日、大阪市西区にある美濃物流株式会社の徐正健社長宛てに、中国・大連市所在の物流会社(A社)の中国人女性(B氏)から、中国のメッセンジャーアプリ『WeChat』を通じて連絡が入った。

B氏は、徐社長の知り合いから紹介された人物だった。徐社長が初めて連絡を受けたのは8月2日。B氏は「家族と旅行で2日間、大阪にいた」とのことだが、徐社長はこの人物と会ったことはない。当初、B氏からは、日本から中国に酵素飲料を輸入したいので、「日本側で通関手続きなどを請け負ってほしい」との要望だった。

B氏が徐社長に送った名刺には、大連A社の「总经理(社長)」とあった。大連A社は中国で合法的に登記されており、会社情報は中国語のインターネット上で簡単に見つけられる。

当時の通信記録を見ると、B氏は徐社長に対して取引を積極的に持ち掛けていた様子が見える。

「早く進めましょう」「今後、御社の取引量は増えますよ」

やがて8月14日に突然、話の流れが変わった。

「大連から日本向けの貨物輸送業務をお願いしたい」

メルセデス・ベンツ2台を大連港から大阪港までコンテナで送るので、それを他の船に積み替えてから、中国の上海港まで輸送してもらいたいという。大連港での車両の積み替えに関する税関の手続きが複雑なので、一度、中国から第三国へ急に輸送しなければならなくなったという。

奇妙な話

ベンツを中国から日本まで運んで、そのまま別の船に積み替えてまた中国に戻してほしい、とは実に奇妙な話である。だがB氏によると、大連港で「顧客」が、オランダから運んできたベンツを自社の在来船に積み替えたうえ、その船に中国国内で購入した鋼材も一緒に積載して輸送しようとしたところ、中国税関から許可が出なかったという。大連港では、「中国製鋼材」という「内貨物」と、ベンツという「外貨物」を在来船に一緒に積載することが認められないとの話だった。

一見もっともらしい説明だが、果たしてこれが真実かどうかは、中国当局のみが知るところだ。

しかし、そもそも徐社長には車両の取り扱い経験はなく、しかも日本の港で貨物を他の船に積み替えるだけではほとんど儲けにもならない。当初、この話に消極的な徐社長は「ほかの会社を探す」とB氏に説明していたが、ついにB氏の強い要望に押し切られてしまった。

当時の通信記録を検証してみると、B氏の説明には他にも不自然な点があった。

「コンテナの中身は見てない」

例えば8月24日、徐社長がコンテナ内のベンツの写真をB氏に要請した際、次のやり取りがあった。

B氏「必要な書類は何? 積載貨物リスト? 契約書?」

徐社長「そうです。あと写真も必要です。車の型番等の情報も」

B氏「車の写真は添付の通り」

徐社長「バンニング(筆者注:コンテナ内に貨物が詰められた状況)の写真は?」

B氏「この貨物はほかの国から輸入してきたの。私も実物を見ていません。バンニングの写真もありません。ベンツS600 黒色」

徐社長「バンニングの写真をもらってないの?」

B氏「外国でコンテナ積み込みしたので写真はもらってないです」

ベンツS600といえば、1台2000万円以上もする高級乗用車である。傷がつけば、大変な責任問題になるはずだ。にもかかわらず、B氏は、自分はコンテナ内の貨物を確認していないという。しかも、徐社長の要請にもかかわらず、コンテナ詰めされている貨物の写真は必要ないとさえ主張していたのである。

船荷証券には、貨物のベンツ2台は「メルセデス・ベンツS600セダン・ロング・ガード・バージョン9」と記載されていた。これは通常のセダンタイプだが、もしかしたらコンテナの中には、C4ADS報告書が指摘する通り、セダンではなく、ロングタイプのリムジン車「PULLMAN」が入っていたのかもしれない。まさに金正恩氏の乗るタイプの高級乗用車であり、もしそうであれば、税関当局の関心を惹いたことだろう。

さらに加えて、この時点ですでにベンツは防弾仕様の装甲車両に改造されていた可能性も考えられている。金委員長や朝鮮労働党の幹部が乗る車であれば、防弾仕様への改造は必須のはずだ。もしコンテナ内の写真があれば、改造された高級ベンツ車両ということがわかるため、日本の税関当局の関心を惹いていたのではないだろうか。そのようなリスクを回避する意図もあった可能性がある。

Large ship seen from the front in the port. Gulf of La Spezia, Liguria, Italy, Europe(イメージ写真)
Large ship seen from the front in the port. Gulf of La Spezia, Liguria, Italy, Europe(イメージ写真)
Getty Creative

謎のイタリア企業

8月27日にも、奇妙なやり取りがあった。

徐社長「大連側の貨物の荷主はどの企業?」

B氏「荷主に使っているのは、オランダの会社。大連ではない」

徐社長「送り状にはローマの住所が書いてあるけど?」

B氏「まあ、外国の荷主よ」

B氏の説明のいい加減さは言うまでもないが、中国では残念ながらこのような業者が非常に数多くいる。

本来、B氏の大連の会社こそがベンツの「荷主」のはずだ。ベンツはロッテルダム港から大連港まで運ばれた際、B氏の会社が貨物を引き継いだはずだからである。

しかし、B氏はなぜか、「オランダの会社」を荷主にしたままだという。つまり、B氏はベンツを大連港で引き受けていなかったことになる。この時点で、すでに船荷証券等の書類から、なぜかB氏の大連の会社名は消しさられていたようである。

【海上輸送関連書類から消されていた中国企業の情報】

■本来あるべきベンツの「荷主」の流れ

オランダ・ロッテルダム港:「オランダ企業」 

⇒ 中国・大連港:B氏の大連企業 

⇒ 日本・大阪港:徐社長の会社

■書類変更後のベンツの「荷主」の流れ

オランダ・ロッテルダム港:「イタリア企業」 

⇒ 中国:B氏の大連企業(仲介企業の記載なし) 

⇒ 日本・大阪港:徐社長の会社

ちなみに、この「イタリア企業」は実際に存在する会社だ。なぜこれがベンツの「荷主」だったのか。徐社長と筆者がこの会社に照会をかけているが、これまでのところ一切返事はない。

同社の営業責任者に『Facebook』の「メッセンジャー」で連絡したところ、「俺たち知り合いだっけ?」との短い返信だったので、「調査へのご協力をお願いしたいので、書簡の送り先を教えてほしい」と伝えたところ、先方は黙ってしまった。

ちなみにこの営業責任者が『Facebook』にアップロードした自身の写真の中には、2012年9月に撮影された、在イタリア北朝鮮大使・キム・チュング氏とのツーショット写真がある。このイタリア企業と北朝鮮との関係が推測されうる。現在、調査継続中だ。

B氏が中国税関や船舶会社に提出していた書類では、徐社長は知りもしないこのイタリア企業からベンツ2台を購入したことにされていた。B氏の後の説明によれば、中国の税関側の手続きを円滑に終えるために、便宜的にそうしていただけだという。これまた、実にいい加減な説明である。

ただしこの時点では、B氏の説明には、いかにも中国の中小企業らしいいい加減さこそ見受けられたものの、何か不正行為を行っている気配があったわけではない。しかも、B氏は貨物輸送を「とても急いでいる」と徐社長を急かし続けていた。

さらに徐社長には急がなければならないもう1つの理由が増えてしまった。

巨大台風21号が関西に接近していたのである。

巨大台風に襲われた「金正恩のベンツ」

「ねえ、あなた、いったい何してるの?」

2018年8月30日、B氏はしびれを切らして、怒りのメッセージを徐社長に送ってきた。台風の影響で、上海向けの貨物船の大阪港への到着が大幅に遅れていたのである。

翌31日、ようやくベンツ計2台を乗せたコンテナ2隻が大阪港に到着した。当初の予定では、そのまま大阪港でベンツ2台を別の船に積み替えて、貨物は9月6日に上海に向けて大阪港を出発するはずだった。

しかし、その直前の9月4日に巨大台風21号が大阪を襲ったのである。このため、港湾機能が完全に麻痺してしまい、ベンツの日本からの輸送は予定通りにはいかず、困難を極めることとなった。

「うちのコンテナは大丈夫なの?」

9月5日、B氏は徐社長に心配そうに問い合わせてきた。B氏はその後も連日、徐社長を急かし続けた。

「通関できる? 船は確保できた?」

「待つしかないの?」

「契約違反よ!」

「予定を教えて! 私、怒ってるのよ! この件で病気にかかったわ!」

当時の通信記録には、連日、B氏に責められ続ける徐社長の苦悩ぶりが浮き彫りになっている。

その過程で、徐社長が初めて、ベンツの「顧客」が実はロシア企業であったことをB氏から知らされたのは9月14日のことだった。

徐社長は、新たな貨物船の手配や、貨物保管の延滞料金の支払いを巡って、B氏からさんざん責められて急かされながらも、9月27日、ついにB氏の要望通りに、上海の代わりに新たに釜山に向けてベンツを輸送するに至った。9月28日、B氏と徐社長との間で、最後のチャットが次の通り記録されている。

B氏「徐社長、こんにちは! 昨晩、船が出ました?」

徐社長「はい」

徐社長にとってはこれで全て終わりのはずだった。だが、後に徐社長は痛恨の念で当時を振り返ることになる。

「途中で何度も断ろうと思ったけど、問題がどんどんでてきて断れなかった。混乱していたので、先方の要望通りに従った結果、まさかこんな大問題に巻き込まれるとは……」

当時、彼がまだ知らなかった事実があったのだ。

ベンツ2台が向かった先の韓国・釜山港では、北朝鮮と親密な関係にあるロシア人と、その地元協力者が待ち受けていたのである。

「韓国-ロシア」の北朝鮮コネクション

徐社長がB氏の要望通りに作成した船荷証券には、釜山側の「荷受人」として「貨物船DN5505号の船長」と記載されている。ベンツ2台は、釜山港に着いた後、この貨物船に積み替えられて、その後、ロシア極東方面に輸送されたことが判明している。

だが徐社長は、この船もその船長についても何も知らない。船長とは、ベンツ2台の釜山港での受け渡しについて、一度、『WeChat』で交信したことがあるだけだ。全てB氏の指示である。

実はこの「DN5505号」こそ、非常に問題の大きい船舶だったのである。この貨物船は、北朝鮮産石炭を韓国に不正輸入しようとした容疑で、2019年2月以降、韓国政府当局により浦項港で拘束されている。

DN5505号は、見るからにオンボロ船である。スクラップにした方がよいのではないかと思えてしまうほど、古い貨物船だ。そもそも、こんな船に高級ベンツ車両のコンテナを積むこと自体、あまりにも不自然でいかがわしさを感じさせる。

巨大台風21号が関西を直撃した直後の9月7日、B氏は徐社長に、DN5505号が大阪港にきてベンツ2台を引き取ると通知してきた。しかし、その後、17日には、「船が釜山で故障して大阪まで来れなくなった」と通知してきた。ベンツ2台は結局、大阪から釜山港まで運ばれたのである。

DN5505号は、たしかに釜山港で修理を受けていた。「エンジン修理」とのことだったが、真相は不明である。もしかしたら北朝鮮産石炭を洋上で瀬取りするために、船体に何らかの改造が施されていたのかもしれない。

この貨物船は釜山を出港した後、2018年9月末か10月初めに先述のベンツをロシア極東に輸送したと考えられている。その後、DN5505号は「ロシア産石炭」を積載して、11月1日に再び韓国に戻ってきた。国連専門家パネルは2019年9月公表の報告書の中で、これが北朝鮮産石炭であった可能性に言及している。

この際の石炭の輸入者は、ソウル市内の企業(C社)であった。C社も問題の多い企業で、その約半年前にも、北朝鮮産石炭を「インドネシア産石炭」に偽装したうえで、韓国に不正輸入を図っていた容疑がかけられている。

要は、徐社長がベンツを輸送した相手方の貨物船DN5505号は、北朝鮮制裁違反容疑の「常習犯」のネットワークが使用する船舶だったのである。現在、C社もDN5505号も、制裁違反容疑で韓国警察と国連の捜査対象である。

DN5505号の所有・運航会社は、マーシャル諸島に登記された「ドヤン・シッピング社」。

ドヤン・シッピング社は、パナマ籍の石油タンカー「カトリン号」も所有・運航していた。この船舶にも、北朝鮮に不正に石油精製品を洋上で「瀬取り」した国連制裁違反の疑いがある。2019年2月以降、韓国政府はカトリン号を釜山港で拘束していたが、6月か7月初め頃に、なぜかこの船は廃船処理されてしまったという。国連安保理決議では、制裁違反容疑の船舶に対して、そのような対応は許されていないはずなのだが。

筆者と面談したC社の社長によれば、ドヤン・シッピング社の代表者は「ダニエル・カザチュク氏」と名乗るロシア人だという。

カザチュク氏は、釜山に拠点を置く正体不明の「韓国系ロシア人」とともに仕事をしていた事実も分かっている。この人物は、釜山の貿易会社(D社)に勤務していたとの情報がある。このD社こそ、徐社長が釜山港に輸送したベンツ2台をDN5505号に積み替えた業者だった。

韓国国内には、明らかに北朝鮮の非合法ネットワークが根付いている。韓国警察は、ドヤン・シッピング社やカザチュク氏、C社、D社のいずれに対しても捜査を行ってきたが、その経過や結果については何ら公表していない。

もし韓国政府が透明性をもって公表していれば、徐社長のような被害者が出る事態も防げたのではないだろうか。

韓国の闇は、深い。

大連企業はでたらめばかり

2019年7月、「C4ADS」の報告書が公表された後、B氏は様々な言い訳で釈明している。

前述した通り、徐社長が入手したB氏の名刺には、大連A社の「总经理(社長)」とあった。しかしその後、B氏によると、「実際には私は社長じゃなかったけど、その肩書の方が印象が良いので使っていたの」とのことである。しかも、この名刺に印刷されていた会社のロゴも、実は青島に所在する全く別の会社のロゴを勝手に使用していたという。

大連A社は、中国で合法的に登記されており、会社情報は中国語のインターネット上で見つけられることもすでに述べた。そこでは、A社の登録住所として、「大連市中山区港湾街20A号」にある高層オフィスビルの一室が登録されている。

しかし、最近わかったことだが、実際にはA社の所在地はここではなく、同じビルの高層階である。家賃はかなり高いはずだ。高収益の企業と推測されるが、なぜか公開情報では真の所在地を辿れないようになっている。果たしていかなる事業を行っている企業なのだろうか。

現在、B氏は、自らの不正輸出への意図的な関与を全面的に否定している。

「あの輸送は、私が知り合いに頼まれて個人として手伝っただけで、会社は関係ない」「私は、知り合いに言われた通りのことを徐社長に伝えていただけ」

B氏は、「知り合い」に全ての責任を擦り付けている。

中国とロシアの「黒幕」の正体

徐社長の協力の下、筆者の調査により、B氏の「知り合い」こそ、北朝鮮と長年にわたる親密な取引関係を有してきた中国人(E氏)であることが判明している。

E氏は、遼寧省を拠点とする漢方飲料の製造会社の社長である。もちろん、この会社は車両ビジネスとは無関係だ。しかし、この会社のホームページによると、漢方飲料は、北朝鮮の「純天然」原材料を使用して製造されているという。

E氏は1978年10月7日生まれ。写真で見るE氏は若く見える。まだ40歳という若さだが、他にも中朝国境の丹東市を中心に、中国国内に複数の会社を所有・経営している。中には、北朝鮮との取引を主とする貿易会社やコンピューター製造会社まである。

うち1社は、筆者がかつて国連専門家パネルに勤務していた頃、捜査対象としていた企業だ。この会社は、北朝鮮との輸出入が主なビジネスであり、そのうえ日本や韓国とも交易していると、自社のホームページ上で宣伝していた。

私たちはE氏とも連絡を取ることができた。私たちからの照会に対してE氏は、「ベンツ輸送はあるロシア人の依頼に基づいてB氏に依頼した」と認めたのである。

だがE氏も、「自分はロシア人とB氏をつないだだけで、輸送には何も関与していないので、何も知らない」の一点張りで、制裁違反への関与を全面的に否定している。取引に関する記録など何も知らないという。

他方、B氏は「E氏からの指示に従って輸送しただけ」と説明しており、E氏の説明と完全に矛盾している。

B氏が以前、E氏から聞いていたところによると、E氏が言及した「あるロシア人」とは、「DMITRII」というファースト・ネームの人物だという。

DMITRII氏の旅券の写しを入手した。顔写真を見ると、七三分けの髪型で、やせ形の顔つきだ。精悍な目つきのロシア人男性である。彼の生年月日は「1973年9月20日」。ベンツ輸送の当時、45歳だったことになる。

B氏によると、DMITRII氏の所属も、あの「ドヤン・シッピング社」だという。先述のカザチュク氏の会社である。このDMITRII氏こそ、ベンツ2台の最終的な「荷受人」だったわけだ。

黒幕たちの「致命傷」

つまり、不正輸出事件の全容を要約するとこうなる。

不正輸出事件の中核にいた共謀者は、少なくとも計3名いた。E氏と、その取引相手であったドヤン・シッピング社のカザチュク氏と「DMITRII」氏のロシア人2名である。

そして3名は、E氏の長年の知り合いである大連のB氏を輸送実務の担当者として巻き込んだ。

さらに3名は、イタリア企業に欧州でベンツの購入および運送の手配にあたらせていた可能性がある。このイタリア企業と北朝鮮との関係についてはさらなる調査が必要だ。

B氏によると、E氏からベンツの取引話が初めて出てきたのは、2018年2月だったという。ちょうど、金委員長が国際舞台で外交戦を展開し始めた時期と一致する。その後、金委員長は、今回「密輸」したと見られる同型のベンツ車をシンガポールやハノイ、ウラジオストクで開催したドナルド・トランプ大統領、ウラジーミル・プーチン大統領との首脳会談で使用している。

ロシア人と中国人の計3名は、ドイツで製造されたベンツを購入し、どこかで防弾仕様に改造したはずである。その後、2018年6月14日、ベンツを乗せた貨物船はロッテルダム港を出港し、7月31日に大連港に到着した。

3名は当初、ドヤン・シッピング社の貨物船DN5505号を用いて、中国からロシアに向けて直接ベンツを輸送する計画を立てていた。ただ、おそらく実際には、DN5505号は大連を出港した後、ロシアに向かうふりをして、北朝鮮の港に直行するつもりだったとも憶測されうる。それまで北朝鮮は、高級乗用車を中国から直接、不正輸入するのが一般的であったからだ。大連港でDN5505号にベンツと一緒に積載する予定だった鋼材というのも、北朝鮮向けだったのではないだろうか。

ところが大連港の中国当局は、DN5505号がベンツを積んで出港するのを許可しなかった。もしかしたら中国当局は、すでにこの貨物船を警戒対象にしていたのかもしれない。中国政府当局は、2017年頃から対北朝鮮制裁の履行体制を強化しており、北朝鮮向け貨物の取り締まりを大幅に強化している。真相は中国当局のみが知る、だ。

この時点で、3名の計画は変更を余儀なくされた。

そこで彼らは急遽、代替案として、日本を介在させて、大連港ではなく上海港に貨物を送る迂回ルートを新たに設定した。

B氏が徐社長にアプローチしたのは8月2日。B氏は当初、酵素飲料の取引を徐社長に持ち掛けたうえで、その後14日に初めてベンツ輸送について話を切り出した。7月末から大連港で起きていたベンツ輸送を巡る問題や、ベンツの最終顧客がロシア企業であったことなど、事情をよく知らない徐社長は、こうして事件に巻き込まれたのである。

しかし、3名の計画はその後も変更を余儀なくされた。

経由地の大阪港は巨大台風に襲われて、さらにDN5505号が釜山で修理に入って、大阪まで来れなくなったため、大阪→上海のベンツ輸送計画も断念せざるを得なくなった。次に、彼らは協力者がいる韓国の釜山港にて、DN5505号の修理が終わり次第、この船でベンツを回収することにした。

結果的に、彼らにとって「部外者」である徐社長を巻き込んだうえ、当初の予定だったと思われる「オランダ⇒中国⇒ロシア⇒北朝鮮」という輸送ルートに、さらに日本と韓国を経由地として加えてしまった。これが後で彼らの致命傷となる。このために、彼らは不正輸出発覚のきっかけを残してしまったのである。

いかに3名が自らの関与の痕跡を輸送関連書類から消し去ろうとしても、結局、私たちに見つけられてしまったのだ。

北朝鮮「非合法ネットワーク」を壊滅せよ

2019年7月、「C4ADS」の報告書が公表された当日、徐社長はあまりにも予想外の事態に唖然とするしかなかった。ある日突然、自らが北朝鮮制裁の重大な違反容疑者に仕立て上げられてしまったのである。

日米などのメディアから問い合わせが殺到する中、徐社長は急遽、当時の輸送関連書類をとりまとめて、経緯の説明資料を作成した上で、書類一式をメディア各社の記者に手渡して説明した。

しかし、追跡取材する記者など、民放1社を除けば、他には誰もいなかった。おそらく手渡された資料の内容を理解できた記者はいなかったものと思われる。海運業界や貿易実務の専門知識がなければ、理解できるはずもない。

アメリカの優秀なシンクタンクである「C4ADS」ですら、この専門知識が不完全だったがゆえに、「黒幕」が各地にばらまいていた海上輸送関連情報をつかまされたうえに、それを鵜呑みにしてしまい、結果的に徐社長と美濃物流株式会社を誤って不正輸出の中核人物に仕立て上げてしまったのである。「C4ADS」の最大のミスは、報告書で徐社長と美濃物流の実名を公表する前に、徐社長に連絡して事実確認をとらなかったことである。

唯一の例外は、とある民放テレビ局1社の外信部のみである。本件に関するスクープ番組を近日中に放送予定だ。

徐社長は憤りを隠せない。

「私は被害者なのに、犯罪者のように国際社会から制裁されています。本当に不公平だと思います。黒幕の企業に対してこそ制裁をかけるべきです。早く実名を公表してほしいです」

北朝鮮の非合法ネットワークが日本企業をはめた事実を、私たちは決して許してはならない。徐社長のような被害者を二度と出させないためにも、黒幕に対してこそ、その実名を公表して、制裁しなければならない。

筆者の調査結果については、完成次第、別の機会に発表する。

古川勝久 国連安全保障理事会・北朝鮮制裁委員会(1718委員会)専門家パネル元委員(2011年10月~2016年4月)。1966年シンガポール生まれ。1990年、慶應義塾大学経済学部卒業。日本鋼管株式会社勤務後、1993年より平成維新の会事務局スタッフとして勤務。1998年米国ハーバード大学ケネデイ政治行政大学院(国際関係論・安全保障政策)にて修士号取得、1998~1999年米国アメリカンエンタープライズ研究所アジア研究部勤務。1999年読売論壇新人賞優秀賞受賞。2000年より米国外交問題評議会アジア安全保障部研究員、2001年よりモントレー国際問題研究所研究員を経て、2004年から2011年まで科学技術振興機構社会技術研究開発センター主任研究員。『北朝鮮 核の資金源ー「国連捜査」秘録ー』(新潮社)で2018年、新潮ドキュメント賞を受賞。

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(2019年9月25日フォーサイトより転載)

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