生きるための「孤独な対処スキル」としての子どもの自傷。大人ができることは?

援助のゴールは「自傷しなくなること」ではなく、子ども自身が本音や怒りの感情を伝えることができるようになること。
精神科医・松本俊彦さん
精神科医・松本俊彦さん
不登校新聞

不登校の子どもの多くは、学校へ行かない自分を責め、そのつらい気持ちと毎日向き合っています。ときに、それはSOSとして、さまざまなかたちで発せられます。「自傷行為」もそのひとつ。子どものつらさにどう寄り添うべきか。精神科医・松本俊彦さんのお話から考えます。

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本日は「自傷行為」について、お話したいと思います。自傷行為の一例として、自らの手首を刃物で切る「リストカット」がありますが、なぜそんなことをするのか、理解できないという方もいらっしゃると思います。

そこで、私たちは自傷行為をどう理解し、どう援助すればよいのか、考えていきたいと思います。

はじめに、私たちが行なった調査をご紹介します。中高生を対象に、自傷行為をしたことがあるか否かを聞きました。すると、「中高生のおよそ1割が自傷行為の経験がある」ということがわかりました。しかも、地域差はほとんど見られませんでした。

つまり、日本のどの地域でも、中高生の10人に1人が自傷行為を経験しているということになります。

この話をすると、「ささいな好奇心からふざけただけの人もいるでしょ」「誰かのマネをしただけかもしれないよ」といった批判を受けることがあります。

たしかに、そうした可能性もあり得ますので、もう少し掘り下げてみます。

さきほどの1割の生徒に自傷行為の回数をたずねたところ、そのうちの6割が「10回以上ある」と答えました。全校生徒500人の学校があったならば、自傷行為の経験者が50人いて、そのうちの30人は10回以上の自傷行為を経験しているという計算になります。

それを1人ないし2人の養護教諭で対応するとなれば、とてもたいへんなことだと思いませんか。

そんな状況下でなぜ学校はまわっているのか。理由はかんたんで、ほとんどの子どもが助けを求めていないからです。

平成18年に文科省が行なった「保健室利用状況調査」によると、中学生の自傷経験率は0・37%、高校生だと0・33%という結果が出ています。

私たちが行なった調査結果とはだいぶちがうと思いませんか。

孤独ゆえに

私たちの調査は無記名の自記式アンケートで行なっていて、じつはここが重要なポイントです。

海外の先行研究でも指摘されていることですが、面接調査など匿名性を確保しないなかで実施する場合、自傷行為の経験率は非常に低い結果が出ることがわかっています。

「対面では正直に話しづらいけど、匿名性が確保されていれば本音が言いやすい」ということは、自傷行為は子どもたちにとって、恥ずかしい問題または他者に言いにくい問題として認識されているのではないかということが推察できます。

いずれにせよ、私たち大人が気づいているのは、氷山の一角だということであり、ほとんどの自傷行為は他者に気づかれていないということになります。

子どもたちはなぜ、孤独な状況下で自傷行為をするのでしょうか。私たちの調査によると、半数以上の子どもが「不快感情の軽減」を理由に挙げています。激しい怒り、恐怖感、緊張感、不安感などに襲われたときに、誰の助けも借りずに、自分だけで解決する方法が自傷行為だ、ということです。

死にたいくらいつらい今を一時的にやりすごすために、生きるための「孤独な対処スキル」として自傷しているということです。

ここで、疑問に思う方もいるかと思います。自分の身体を傷つけると、どうしてつらい気持ちが楽になるのでしょうか。

1980年代、自傷行為をくり返す人とそうでない人を集め、一斉に自傷してもらい、その前後で血液中の成分がどう変化するかを比較する実験が行なわれました。現在では倫理上、絶対できないでしょうね(苦笑)。

結果から言うと、自傷行為をくり返していた人たちにだけ見られた反応がありました。自傷行為のあとでは、ある物質の数値が上昇していたんです。

かんたんに言えば「脳内モルヒネ」、もっと俗っぽく言ってしまえば「脳内麻薬」と呼ばれる物質で、非常に強力な鎮痛効果をもたらします。

とてもショックな出来事が起きたとき、身体に痛みを与えることで「脳内麻薬」が分泌され、自分の意識をつらい感情から少しだけ切り離せるようになるわけです。

自傷行為をしたあとの気持ちを尋ねると「ホッとする」「スーッとする」といった安堵感や爽快感を挙げる子が多くいます。これはある意味で、自傷行為が持つメリットだと言えます。

では、どんどん切らせてもよいかというと、それはまた別の問題です。自分を傷つけながら生きていくということは、一時しのぎでしかなく、根本的な問題解決になりません。

もちろん、根本的な問題解決なんて、誰しもできるわけではありません。子どもにしてみたら、つらい現実を変える手立てなんてそう多くありません。でも、そこで抱えたつらい気持ちだけは自分で変えることができる、これが自傷行為の生き方です。

でも、この状況は折れた骨はそのままで、痛み止めを毎日飲んでその日をやりすごしているようなものです。長期的に見た場合、子どもが置かれている困難さはどんどん増してしまう。これが自傷行為における最大のデメリットです。

デメリットはそれだけではありません。ひとつは「慣れ」です。自傷行為には鎮痛効果があるとお話しましたが、くり返すうちに慣れが生じます。

当初と同じ鎮痛効果を得たい場合、自傷の回数が増えるほか、自傷の程度も深刻になることから、命に直結する事故につながってしまうわけです。

もうひとつは「ストレスへの脆弱性」です。以前ならばやりすごせていたストレスに対し、自傷しないとやりすごせなくなってしまうのです。

ここで気をつけなければいけないことは、「自殺」のリスクが急激に高まることです。

イギリスで行なわれた研究によれば、10代で自傷行為を経験した若者を10年間追跡調査してみると、未経験者と比べて、自殺リスクが400倍から700倍高いことが明らかになりました。長いスパンで見た場合、かなりの子どもが自ら命を絶っているということになるわけです。

先ほども触れましたが、自傷行為をする子どものほとんどは、他者に助けを求めません。

つまり、自傷行為とは、たんに自分の身体を傷つけることだけを指す言葉ではないということです。傷を放置したり、誰かに相談できないこと、これらを総じて自傷行為と理解すべきだと私は思います。

子どもの自傷行為に気づいた際、大人はえてして「自分を傷つけるという行動だけ」を取りのぞこうとします。

しかし、彼らがそうせざるを得ない背景に、どんな困りごとがあるのか。まずはそこにアプローチしなければならないわけです。

私が何を言いたいかというと「リストカットを甘く見ないでほしい」ということです。「リストカットくらいじゃ死なないよ」と言う人がたまにいますが、「リストカットする奴は死なないよ」と言えるでしょうか。

ここまでの話を聞いていただいた方には「そのリスクはむしろ高くなるんだ」ということがわかっていただけると思います。

援助のゴールは

つぎに、自傷行為の援助について考えていきます。自傷行為をする子どもたちへの援助のゴールは「自傷しなくなること」ではありません。援助者との関係を壊さず、穏やかに子ども自身の本音や怒りの感情を伝えることができるようになること、というのが私の考えです。

にもかかわらず、支援者のなかには「あなたのためを思っているから怒っているんだ」と叱責したり、「なぜこんなことをするんだ」と理由を問いただす人がいます。

なかには、支援者自身の生命観や倫理観をもって、子どもに説教する人もいます。こうした関わり方は今すぐやめてください。効果がないからではありません。有害でしかないからです。

私たちがまず考えるべきことは「将来の自殺のリスクを少しでも下げること」であって「自傷行為をただちにやめさせること」ではないということ、それを心に留めておいていただければと思います。

ふだん私が診察する際にも、「死にたい」と子どもが口にする瞬間があります。それは治療が一段深まった証拠です。

自傷行為をしていないときはいつも死につながることを考えている子どもが、その本音を打ち明けてくれるようになったことを意味するからです。

安心して死にたいと言える関係性は、自傷行為の援助において、とても大切な一歩です。

「死にたい」という言葉の向こう側、あなたをそこまで追い詰めていることについてもう少し聞かせてほしい、と聞き返せることが大事であって、自殺が良いか悪いかなんていう哲学的な議論をする必要はないんです。

また、子どもの自傷行為にまわりの大人が気づいた際、「親には絶対に言わないで」とお願いされる場合もあるかと思います。

子どもが恐れているのは、自傷の事実を親が知ることではありません。知ったとき、親がどういう反応をするのかを恐れているのです。

ですから、「親が知ったら、どうなると思う?」と子どもに聞き、子どもがいちばん恐れていることは何かを見定め、それに対する手立てをきちんと打つことを子どもに示してあげること。

その信頼関係のなかで対応にあたっていただきたいと思います。

2大NGワード

子どもが恐れている親の反応は大きく分けてふたつ。ひとつは「過剰な反応」です。「なんてバカなことをするんだ」と叱りつけたり、ビンタをしたりというものです。 

しかし、もっとも多いのは、親が自責するパターンです。自身の子育てに後ろめたさがある場合、「やっぱり私が悪かったんだ」と自分を責めてしまう親がいます。

しかし、それがかえって子どもを追いつめます。

子どもからしてみれば、学校でイヤなことがあったとしても「親に苦労をかけたくない」という一心で、でもどうにもならないという葛藤のなか、自傷することで生き延びているわけですから、親が自分を責める場面などに直面した場合、子どもは激昂するわけです。

子どもが恐れるもうひとつの反応、それは「過小な反応」です。わが子が自傷行為をしていると知ったら、ふつうの親は慌てます。

しかし、診察していると、「うすうす気づいていました」なんてことを言う親もいます。その横で、子どもは開いた口がふさがらない、という顔をしているのです。

私たちが気づいている子どもの自傷行為は氷山の一角だというお話をしましたが、子どもはなぜ第三者に相談したがらないのでしょうか。

多くの子どもたちは「誰かのマネと誤解されるのがイヤだから」「関心を引こうとしているだけだと思われたくないから」と言います。

言い換えれば、この2つは、自傷行為をする子どもに絶対言ってはいけないNGワードだということです。それを大好きな親から言われたらどんな気持ちになるか、想像していただきたいのです。

これもよく誤解されてしまうことなんですが、自傷行為は誰かのマネや関心を引くためのものではありません。その子なりに戦ってきたなかで出てきた行動なわけです。

そのことを理解したうえで、どうしたらいいかを考える必要があります。

関係性の構築を

そろそろ本日のまとめに入ります。中高生の1割に自傷行為の経験があるという話をしました。彼らの多くがどのような問題を抱えているのか、その特徴をおさえておく必要があります。

たとえば、自分の体型に不満を持っている場合、摂食障害の傾向があるかもしれません。そのほかにも、飲酒、喫煙、市販薬の過剰服用など多くの問題を抱えています。

いわば、生き方全体で「自分を大事にできない子どもたち」なんです。

ところが、彼らの存在は周囲の大人には「困った子」と映ることが多いのです。しかし、これまでの話を聞いていただいたみなさんであれば、「困った子」ではなく「困っている子」であり、支援が早急に必要であるということがおわかりいただけていると思います。

自傷行為を頭ごなしに否定せず、即座にやめさせようとしない。「自傷行為に今は支えられている部分もあるけれど、悪い面もあるよね」ということを、子どもと支援者とでおたがいに話し合える関係性を築くこと。そのなかで、子どものサポーターを増やしていくこと。

それが自傷行為の援助において大事なことであり、結果として、彼らの将来の自殺リスクを下げることにつながっていくのだと思います。

そして何より、忘れてはいけないことがあります。それはさまざまな自傷行為のなかで、一番の自傷行為は何か。それは「誰にも助けを求めないこと」です。

そう考えれば、自傷行為を通じてSOSを出してきてくれた子どもに対し、私たち大人がすべきことは、彼らのこれまでをねぎらうことです。

そして、「目に見える傷の背後には、目に見えない傷がある」ということを心に留めておくこと。そこをはじまりとし、次もその次も来てもらうためにはどうしたらいいのかを考えていく必要があります。その際、支援者がひとりで対応しないような体制を整備することも重要です。

このように、家庭や学校や地域のなかで複合的に考え、子どもたちを支えていくという取り組みが大事だと思います。

(抄録/「登校拒否を考える会・佐倉」30周年記念講演会より)

精神科医・松本俊彦さん
精神科医・松本俊彦さん
不登校新聞

【プロフィール】
(まつもと・としひこ)1967年生まれ。国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長、自殺予防総合対策センター副センター長。おもな著書に『薬物依存の理解と援助』(金剛出版)、『自傷行為の理解と援助』(日本評論社)、『アディクションとしての自傷』(星和書店)など多数。


(2019年09月13日不登校新聞掲載記事「中高生の1割が自傷経験有。見えない「心の傷」に気づいて支える方」より転載) 

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