東京都目黒区のアパートで2018年3月、当時5歳だった船戸結愛(ゆあ)ちゃんが亡くなった。
結愛ちゃんが両親から虐待を受けて死亡したとされるこの事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)の公判が東京地裁で開かれている。
4日目となる9月6日の公判では、証人として呼ばれた精神科医が、DVが与える影響を説明。その後、優里被告の父親で結愛ちゃんの祖父でもあった男性が、証言台に立った。
自身の父親が語った当時の様子に、だんだんと感情が整理できなくなっていった様子の優里被告は、泣き始めた後に何かが途絶えたように無表情になり、目の焦点が合わないままボーっと下を見つめていた。
裁判長が呼び掛け、最後に、優里被告の被告人質問が再び始まった。
糸が切れたように呼びかけに反応しなくなった優里被告
少しふらつく様子で証言台に向かい、イスを引いて腰を下ろした優里被告。
裁判長が「では、弁護人どうぞ」と審理を再開した。
意識が定まらないようなボーっとした表情の優里被告に、弁護人は「大丈夫ですか?」と、質問ができるかどうかを尋ねた。
(弁護人)ーー少し聞きます。事件後のこと。逮捕されるまでの間、今お父さんが言ったように実家に帰られていましたよね。…大丈夫?優里さん大丈夫?聞いている?実家に帰って、四十九日まで一緒に居たんだよね。大丈夫かな。
優里被告は、ぷつんと糸が切れたようにただじっと座っていた。
裁判長が、異様な雰囲気に、休ませたほうがいいのではないかと弁護人に確認を促す。弁護人は「簡単な確認だけですから」と質問を続けた。意思確認は、頷くかどうかで判断すると弁護人と裁判長が申し合わせた。
(弁護人)ーーその間に、どんなことを考えていたのかということを聞きたいんですが、答えられますか。
30秒ほどの沈黙が続く。優里被告からの反応はない。泣くわけでもなく、取り乱すわけでもなく、目の焦点が合わない様子でじっとしている。
ーーじゃあ、具体的に聞いたほうがいいかな。どんなことを考えていたか、思い出せませんか。
さらに沈黙が続く。弁護人がこの質問をあきらめ、より具体的な内容に移った。
ーー葬儀には、参加したんですよね。
10秒ほど沈黙する。
「つらい質問なのか、分からないけれどもだからえーっと…あるいは休廷して喋るのか、あるいはもう喋りたくないのか、というのが」と裁判長が確認した。
進まない審理。突如泣き出し「死にたい」と思いを吐露
弁護人は「もう喋りたくない?」と優里被告に話しかけた。「もう話さない?」「ダメ?」「あともう少しだよ」と再度念を押す。
「あともう少しで終わるから」と言いかけたところで、優里被告が聞き取れないほどの音量でぽつりと話した。
「……たい」と何度かつぶやくと、優里被告はせき上げるように急に涙をこぼし始めた。
「いま…もう、結愛のところに行きたい」
小さくそう言うと、弁護人が諭し始めた。
(弁護人)ーー今は違うんじゃないの。
(優里被告)いま、も、ずっと……。結愛と一緒、いたい。
押し殺すような泣き声と、鼻をすする音が、しんとした法廷で耳に残る。もはや質問に答えられるほどの冷静さはない。弁護人がなだめるように、話しかけていた。
ーー結愛さんが亡くなってから、ずっと死にたいと思っているの。がんばってほら。お父さんも証言してくれたじゃない。
泣き声が激しくなる。
ーー雄大さんと、離婚できたんじゃない。
優里被告は、弁護人のほうを見て頷いた。
ーー息子さんの親権者になったんでしょ。ほら、大丈夫?これからは、息子さんの子育てについて考えることはありますか。
再び頷いた。3回ほど、首を縦に振る。
ーーあるよね。品川児相の人が、拘置所まで訪ねに来てくれているよね。
は、はい。
ーー息子さんのこと、報告受けているよね。
優里被告は、また3回ほど頷いた。「大丈夫?」という弁護人の言葉に、ゆっくり息をして再度頷いた。
ーーそろそろ息子さんの誕生日なんだけど、どうしようと思っていますか。
む、息子に……本……。
しゃくりあげるように肩を揺らし、浅く息を吐く。
本を、あげたい。
裁判長が「本?本をあげる?」と聞き直す。優里被告が頷く。
ーー誕生日プレゼントを、用意しているんだよね。今後ね、息子さんとの生活を、(優里被告の)お父さんは支えるよって言ってくれたよね。
言って、言ってくれた。
ーーもしあなたが、いずれ出ると思うけど、息子さんの養育に関してはどうするつもりかな。
も、もし。もし、私が、ちゃんと、生きれ、たら……。
児相の人、とかみんな、みんなに、助けて、もらって、私だけじゃ……私が生きてたら、たくさんの人を、傷つけ、るので、私が生きてることで、息子も……傷つけて、ないかが、心配、で……。
だから、みんな、に、支えて、息子を、育てたい、です。
一声ずつに音が詰まり、メモを一読しないと文面がつかめないほど途切れ途切れで、言葉になっていなかった。
嗚咽を抑えようとしている様子だったが、余計に感情がコントロールできなくなっていたように見えた。
ーー結愛ちゃんにとってもね、「あなたしかいなかったじゃないか」という先生(香川県で通院していた医療機関の医師)の証言もあったよね。泣いちゃったんだよね。でも息子さんにとっても、あなたは唯一のお母さんなんだよね。
でも…今、すごく困ってて。
結愛だって寂しい思いしてるのに!
それで、結愛、結愛にも……抱きしめて、してあげたいのに、でも息子だって、こんな私でも、必要にする時が、絶対、来ると思うので、だから……死んで、償うのがいいのか、それとも、そう、じゃない、別の道が、あるのか……とっても、困ってます。毎日、考えて、でも、答えが、出ない。
なので……息子も、守りたいし。結愛も、守りたいし……。
優里被告は呼吸が浅くなり、口が震えはじめた。肩を大きく上下させ、ひきつけを起こしていた。
弁護人は焦り「大丈夫、ごめんね」と諭した。「大丈夫、です」と優里被告が頷くと、弁護人は質問を再開した。
ーーそういう気持ちに、ずっとなっていて、やっとでも今度証言するって、本当のことを言うって決めたんでしょう。「死にたい、死にたい」って言っていたのに。ねえ。
でも、命を粗末に扱ってるつもりじゃなくて、結愛の……気持ちが、とっても。刑務所に、20年とか30年とか、そんな、入っただけじゃ償いにも、何にもならなくて。
でも、死刑になったくらいでは、軽々しすぎて。だから、どうやって、罪を償えばいいか、分からなくて。
だから……「船戸優里」に、一番怒っているのは私が一番(怒っているの)で、一番恨んでいるのは私で、「船戸優里」を一生許さない、気持ちも、私が一番だと思っていて。
だから、とても悔しくて、でも、この怒りとか、そういう思いって、雄大にぶつけるべきじゃないし、育ってきた環境のせいとか、誰かとか、何かのせいでもない。
あたし、一人だけが悪くて、だから、本当、どうすればいいか……助けて、ほしいんです!
でも、助けてほしいって言っても、私は被害者じゃないから、自分では、いつも、毎日、一生懸命に考えているんですけれど、答えが、出なくて……。
優里被告は、時折叫ぶように声を張り上げながら、質問に答え、そのまま泣き崩れた。「分かった、もう分かった、もう終わりだから」と弁護人が近寄り、優里被告の背中を数回叩いた。
検察官は「聞きたいんですけれども、いまこの状態ではなかなか難しいかと」と困惑した表情を見せた。「難しいよな」と裁判長も様子をうかがう。
数十秒、すすり泣きが聞こえていたが、「大丈夫です」と深呼吸し、優里被告が息を整えた。
それを見た裁判長が「時間もあるし」と審理を再開しようと検察官のほうを向く。「ごめんなさい」と優里被告が頭を下げた。
しかし、落ち着こうとするとさらに呼吸が浅くなる。
傍聴席からは、先ほどまで証言台に立っていた精神科医が「優里さん、フーっと。長く息を吐いて、長く吐いて、フーっと、です」と落ち着いた声で呼びかけた。
「離婚したいのは、本当の気持ちなのか?」逮捕後に、雄大被告に問われ……
裁判長は、休廷を判断しようかと思ったが、優里被告は「大丈夫です、ごめんなさい。はい」と居ずまいを整えた。
「慌てるとね。今まで頑張って話してくれたので、だいぶ裁判所としてもね」と裁判長が優里被告を鎮静する。検察官も、質問は長くないとして「休廷していただいても構わないですよ」と話していた。
ただ、休廷を挟んだとしても気持ちの動揺が抑えられるかは分からないと判断し、裁判長は「これは、というところで手短に」と質問を続けるよう検察官に命じた。
検察官がイスを立つ。
(検察官)ーーじゃあ、ちょっとだけ、確認させていただいてよろしいでしょうか。
はい、はい。はい。
優里被告は、強く何度も頷いた。
ーー雄大さんとね、離婚したのは今年の4月くらいでいいですか。
はい。
ーーこのタイミングで、離婚になったのはどうしてですか。
え、えっと。最初、は、えっと。
弁護士先生から、聞いた、話しで。
私が、やっぱり、支配というか……そういうのから、抜け出せて、いなかったみたいで、先生が、私の体調をみて、(2018年)10月、逮捕されて、4、4カ月後に、離婚を、申し込んだんですけど。
雄大が「離婚したいのは、本当の気持ちなのか?」って、弁護士先生を通じて、雄大が、ちょっと、不満みたいだった、ので、私の先生も、何度も、催促して、くれて、4月にやっと離婚、できました。
ーー分かりました。息子さんの話も出ましたけどね。今後ね、その息子さんの育児のことで、離婚しているとはいえね、雄大のほうが、よりを戻したいとかね。それで、あなたがよりを戻すことはないんですか。
ないです。
ーーそれはどうしてそう言えるんですか。
いま、さっきの先生(証人として出廷した精神科医)とか、今回、お世話になった、ソーシャルワーカーの方とか、弁護士先生も、裁判終わっても、刑務所に、来てくれるって、支えてくれるって、それで、たくさんの人に、支えてもらいます、ので。
ーー最後に、あなた自身の性格はどう思っていますか。
あたし……。
私……性格?
人見知りで、感情表現に乏しくて、気遣いがヘタクソで、そんな、感じです。
ーー一番最初ね、刑事さんにした話の中で、供述にあなたの性格の話が出てくるんですけれども、「短気で面倒くさがり屋」ってことを言ったことはありますか。
あります。そういう性格も、ありました。
ーー「どうでもいいやと思ってしまうと自分で考えるのをやめて、他人の意見に従ってしまう性格」だという話もしているんですけど、そういう性格はあるんですか。
前の、結愛の、本当のお父さんの時とかは、そういう性格でした。
ーー性格は変わったの?
性格は、変わっていくかは分からないですけど、たぶん、「あなたの性格は」って聞かれたときに、その時に、一番、自分が気にしている部分を言うだけであって、トータルして、私の性格はこうだ、っていうのは、言えない……です。
ーーそれ以外に、こういう面がありますと言いたいことはありますか。
まず、今回、こういう事件が起こったのは、私自身が、自分を、ちゃんと理解していなかったから、雄大に支配というか、そういうことを、されて、結愛を、守れ……死なせた……から、自分のことは、理解……できていません。
裁判長の「じゃあ、終わったからね、席のほうに」という呼びかけに、優里被告は、「すみません、すみません」と頭を下げてまた嗚咽した。
証拠整理の手続きが始まり、証拠の採用について裁判所と検察、弁護側で説明があった。
「きょうはここまでにします。次回の公判期日は、週明けの9月9日午前10時から、ここで同じ法廷です。論告弁論を行った後、被告人からも最後の言葉を聞きます。本日はこれで、終わります」
裁判長がそう呼びかけ、全員が起立して一礼。今回の公判での調べがすべて終了した。
9月9日には、検察側からの求刑、そして弁護側の弁論が行われ、結審する。判決は、17日の予定だ。
5歳児を追い込んだ虐待の背景は。公判で語られた事件の内容を詳報します
2018年、被告人らの逮捕時に自宅アパートからは結愛ちゃんが書いたとみられるノートが見つかった。
「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」
5歳の少女の切実なSOSが届かなかった結愛ちゃん虐待死事件。
行政が虐待事案を見直すきっかけにもなり、体罰禁止や、転居をともなう児童相談所の連携強化などの法改正が進められた。
この事件の背景にある妻と夫のいびつな力関係、SOSを受けとりながらも結愛ちゃんの虐待死を止められなかった周囲の状況を、公判の詳報を通して伝えます。
この記事にはDV(ドメスティックバイオレンス)についての記載があります。
子どもの虐待事件には、配偶者へのDVが潜んでいるケースが多数報告されています。DVは殴る蹴るの暴力のことだけではなく、生活費を与えない経済的DVや、相手を支配しようとする精神的DVなど様々です。
もしこうした苦しみや違和感を覚えている場合は、すぐに医療機関や相談機関へアクセスしてください。
必ずあなたと子どもを助けてくれるところがあります。
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