東京都目黒区のアパートで2018年3月、当時5歳だった船戸結愛(ゆあ)ちゃんが亡くなった。
結愛ちゃんが両親から虐待を受けて死亡したとされるこの事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)の公判が開かれている。
9月6日の公判では、被告人質問が行われ、結愛ちゃんに与えられていた異様な食事の実態が明かされた。
検察側からは、父親の雄大被告(34)と優里被告とのLINEのやり取りについて、追及が続いた。その後は、短い休廷を挟み、弁護側からの質問もなされた。
「結愛が悪いんやって(笑)」雄大被告とのやり取り。「雄大の機嫌を良くすることで…」
検察官が、表になったLINEのやりとりを提示する。画面に映しだされたのは次の内容だった。
(優里被告)目黒の児童相談所のやつ来たし。関わりたくない旨伝えて帰ってもらったけど。
(優里被告)マークはされ続けるでしょうね(笑)
(雄大被告)あらら
(優里被告)ほんま気をつけような😢💔
(雄大被告)すみませんね
(優里被告)結愛が悪いんやって(笑)
2月9日、品川の児童相談所職員が一家の住むアパートに訪ねてきた後、そのことを優里被告が雄大被告へ報告したとみられるものだった。
検察官が、質問を続ける。
(検察官)ーー品川児童相談所が来た時のやり取りなんですけども。これは、あなたとして、まず「目黒の児童相談所のやつ来たし」って言うようなLINEが送られてますよね。
で、雄大が「あらら」って帰ってきて、そのあとあなたが「ほんま気を付けような」ってLINE送っているんだけど、これはどういう意味で送ったんですか。
それはさっき言ったとおり、雄大の責任は、全て私の責任なので、本当に、二人で気を付けようねって。
ーーそしたら雄大からは「すみませんね」って謝るようなLINEが返ってきていますよね。それに対してあなたは「結愛が悪いんやって」っていうLINEを返していますけれども、どうしてあなたは「結愛が悪いんやって(笑)」っていう風に返したんですか。
香川に居たときから、説教中に、「私は自分がアホでバカで」って自分を見下す、自分を否定的に言う発言をすると、すごく雄大が喜んで機嫌が良くなるので、それからやっぱり私が結愛のほうにも、そういう、結愛のことを「悪いんやって」とか、「私も悪いんやって」とか否定的な言葉を使うことで、結愛に対しても暴力、攻撃が雄大を機嫌良くすることで攻撃が無くなると思って、「結愛が悪いんやって」って結愛のせいにしました。
ーーなんであなた自分のせいにはしなかったの。「私が悪いんやって」っていう風に書かなかったの。
たぶん、その時々で、自分か結愛かって使い分けるんだと思うんですけど、それは分からないです。
暴行を目にして「そんな男とは別れようって思いませんでしたか」
検察官が証言台横に置かれた書画カメラから、LINEの文面がまとめられた表を取り外す。席に戻り、優里被告をもう一度見つめて質問を変えた。
ーーもともとあなたは雄大のどこが好きで結婚したんですか。
やっぱり、知識があったことです。
ーー一番最初、昨日話に出ましたけど、平成28年(2016年)11月に、結愛ちゃんがお腹を蹴られたっていうことがありましたよね。その時点でそんな男とは別れようとは思いませんでしたか。
別れようと思って、何度も離婚話をしました。
ーー平成29年(2017年)9月25日に、四国の医療センターで、「離婚したほうが楽なのかな」って話したことありましたよね。ただそれと同時にね、「でも世間体もあるし、夫の人脈とか、頼りがいもあるし、自分を守ってくれるのもある。離れられない」とも言っていますね。それはどういう意味ですか。
どういう意味…?うーん。
離れたい気持ちがあるのに、もうどうしても離れられないというか、自分でもよく理解できていなかった。なんで離れられないのか、理解できなかったです。
ーー結局、好きだって思いはあった?
好きっていうのはないです。ただ、離れられないんです。
ーー先ほどのね、「でも世間体もあるし、夫の人脈とか、頼りがいもあるし、自分を守ってくれるのもある。離れられない」ていう、その言葉だけ見るとね、「夫が自分のためにいろいろしてくれるし、夫がいれば夫の持っている人脈の恩恵も受けられるし、離婚してそれを失うのが嫌だ」っていう打算があったようにも聞こえるんだけど、そういう打算があったんじゃないですか。
えっと、もう一回、お願いします。
検察官が、ゆっくりと同じ質問を繰り返す。その後は念を押すように、丁寧に言い直した。
ーーそういう、自分の利益を考える気持ちがあったんじゃないですか。
自分の利益……。一番は、「結愛のためにやってやっているんだ」っていう、「お前みたいにならないように、結愛を育てるんだ」って「結愛を幸せにしてやりたいんだ」ってずっと言っていたから、私もバカで、その言葉を信じてしまっていて、とにかく結愛が、このまんま行けば結愛が幸せになるんじゃないかなって。
確かに、自分も、自分一人では何もできなくって、無知だし、世間知らずだし、だから「この人といれば大丈夫なんじゃないかな」って思いはありました。
ーー本当に離婚したかったのであればなんですけどね。先に夫が東京に行って、1カ月(結愛ちゃんと優里被告が)実家に居て、その時に離婚すればいいじゃないですか。そういうことは考えなかったんですか。
とにかく、雄大の機嫌が良くなったので、これからは、「東京に行けば幸せに暮らせる」って。「雄大は良くなったんだ」って思ってしまいました。
ーー最後に、1点だけ聞きます。結愛ちゃんの手紙の話です。結愛ちゃんの「ごめんなさい。おねがいゆるしてください」っていう手紙ですけれども、もともと結愛ちゃんが書きたくて書いた手紙ではないっていうのは、その通りですよね。
あなたが一緒に書いたって話もあったんですけれども、こんな手紙を書かないといけないほど結愛ちゃんがね、あなたと雄大が結愛ちゃんを追い込んでいたっていう自覚はあるんですか。
あの時は、やっぱりその、文章とか見たらふつうの人だったら、あの文章見たら、絶対……助けを求めるはずなのに、あの時、(自分が)そうしなかった、というので今思えば、私と雄大が結愛を追い込んでいたとしか思わないです。
優里被告は、時折下を向き、語勢を強めた。
検察官は、裁判長のほうに体を向け「以上です」と伝え、短い休廷に入った。
再び法廷に優里被告が戻ると、弁護人の質問が始まる前に、検察官は追加で1問だけ質問した。結愛ちゃんが亡くなってから6日後、優里被告が語った供述調書の内容について訊ねた。
『病院に結愛を連れて行ったら、医者はプロなのでどういう原因でアザができものを吐くようになったかが分かってしまう。そうすると、夫が暴力を振るったせいでそうなったのだと分かってしまう。もしそうなれば、警察に通報され、夫だけでなく夫の暴力を見過ごした私も同罪として逮捕されてしまうかもしれないと思い、結愛を病院に連れて行くのはやめました』(2018年3月8日)
ーーこういう記載があるんですけども、そういうことを話したことはありますか。
警察で、話しました。それは、私の口で話しました。
ーー当時の自分の思いを語ってこういう調書になったということですね。
はい、そうです。
「全部私の責任なのに」
検察官が1問だけ追加の質問をし終わると、弁護側の質問に移った。
「では弁護人」と、裁判長が呼び掛ける。
弁護人が立ち上がり、続けて優里被告へ話しかけた。弁護人とのやり取りは、優里被告が質問の意味を考えこみ、捉えがたい場面が多く難航した様子だった。
(弁護人)ーーいまの話の続きから聞きますけれども、あなたにとって「同罪だと思います」という風に言ったね、3月8日ごろのこと。結愛ちゃんが亡くなってから6日くらい経った頃。もう少し「同罪だ」っていうのは、どういう意味なのか。
同罪?
優里被告が小さな声で聞き直す。弁護人は、表現を変えて伝えた。
ーーうん。あなたは、結愛さんが亡くなったことに対して、自分の責任は、どういう責任だと思う?
……うーん…。
雄大が、結愛に直接こう、暴行したのと、私はそれを止めれなかった。ていうことは私が結愛を殴ったっていうのと、同じ罪。
ーー「止められなかった」というのは、あなたの目の前で暴行があったのを止められなかったからというのを言っていますか。
優里被告は、首をかしげる。弁護人が続ける。
ーーあなたの目の前で、結愛さんに対する雄大の暴行を止めることができなかった、という意味で、「止めれなかった」、止められなかったという風に言っていますか?という意味。
アザを見たので?
ーー要するに、雄大さんが暴行してしまったと。「雄大さんを、そういう風に追い込んだのは私の責任」だと言うことですか。
はい。そうです。
ーーあなたはね、(結愛ちゃんが)亡くなった直後、雄大さんと、病院で2人だけになりましたよね。その時に、雄大さんに…
検察官が立ち上がり、「弁護人、誘導尋問にならないように聞いてください」質問を差し止めた。
ーーええ、すみません。雄大さんに、何を言ったか、覚えていますか。
いっぱい……。
優里被告は、弁護人のほうをボーっとした表情で眺め、言葉を止める。10秒ほどの沈黙が続く。
この前まで覚えていたんだけど……。
ーー覚えてない?「こうなったのは、私の責任だと」…
検察官が再び立ち上がり、制止する。「すみません!それは開示を受けていないです。前提が正しいかどうか、判断できないことを聞くのはやめてください」と強い口調で述べる。
裁判官が「何か証拠に基づいて聞いていることですか」と弁護人に確認する。弁護人は、質問を変更した。
「もう少し聞きますね」と前置きし、調書について聞いた。
ーー雄大さんが逮捕された直後の調書が、3月ごろまとまっています。あなた自身が逮捕されてからの調書、これが6月ごろまたまとまっています。区別されていますね。いい?雄大さんが逮捕された直後の事件は、雄大さんの刑事事件。結愛さんを殴ったという刑事事件のこと。これは分かっていますか?
……うん?
長い沈黙の後、優里被告が首を傾げた。
ーーあまり分かっていない、区別がついていませんか。
分かんない。先生の質問が分かんない……。
ーーあなたは3月ごろの、取り調べのとき、どのような精神状態でしたか。
雄大を逮捕させてしまって、申し訳ないと。
全部私の責任なのに。そんな感じです。
ーーまた「全部私の責任なのに」って言葉が出てくるんだけど、あなたの責任って、もう少し教えてくれないですか。
何から何までです。
その、雄大の暴行と、児相との関わりを持ち続けてしまったこともそうだし、結愛を生んだ時点で、母親としての知識とか、うーん……覚悟とか、強さっていうのを、身につけていなかったっていう、結愛が生まれた時点での責任すら、全部含めて、あたしの責任。
ーーうーん。そうすると、結愛さんをあなたがしつけてなかったこと、あなたが生んだことも自分の責任?雄大にしつけを任せたこと、そういうことも含めて責任って言っているの?
結愛を生んだこと?結愛を生んだことは、うれしかったこと。
責任……。
ーーあなたがね、全部あなたに責任があるって言ったことの、あなたの責任ていうのは、どんな風なことを考えているのかな?って。
全部。
「『バカ嫁』に関しては、その通りだなと…」自己評価の低さが際立つ優里被告の問答
弁護人は、質問を変え、雄大被告からの結愛ちゃんと優里被告の呼び名や、関係性についてきいた。
その受け答えからは、優里被告の自己評価の低さが目立った。
ーー雄大さんにね、「こうなったのはお前のせいだ」って言われてましたよね。どういう風に、具体的には言われていたの。
結愛をしつけなかった。私がちゃんとしつけなかったのが、しつけなかったせいでこうなったって。
ーーあなたと結愛さんは、どういう風に2人そろえて呼ばれていたんですか。どんなお嫁さんで、どんな娘さんだって呼び方で。
ああ。「バカ嫁」と「バカ娘」って言われていました。
ーー最初のころから?
最初。うーん。雄大の友達にそう言いふらしていたっていうのも、雄大が言ってきました。あたしに。
ーー雄大さんが逮捕された、3月ごろの調書。その時には、まだそういう意識、「バカ嫁」と「バカ娘」のせいで、雄大さんがこういうことになってしまったっていう風に思っていましたか。
「バカ娘」とは私は一切思ってないけど!
……「バカ嫁」に関しては、その通りだなって思っていました。
優里被告が少し口調を荒げ、弁護人を見る。質問の語尾に重なるように返した。
4月の入学を前にランドセルを背負ったり、飾ったりしていたという結愛ちゃん
続けて、質問は逮捕後の供述と取り調べに関する事柄に入っていった。
その中で、雄大被告と優里被告の記憶のずれも浮き彫りになった。そのきっかけとなったのは、結愛ちゃんが「ランドセルを背負っていた」光景を優里被告が覚えていたことだった。
ーー6月に、あなたが逮捕されます。その時にまた調書ができますよね。その時に、どういう事実があったかと、今度はあなたの逮捕事実ですね。雄大さんが、どういう暴行をしていたかということは、思い出していますか。
あたしの頭の中では、あんまり記憶が無かった。
ーーでも3月に雄大さんが逮捕された具体的な事実がどういうことがあったか、雄大が何をしたから逮捕されたってことは?
雄大の調書を読んでもらったので、それで後から証拠も入ったので、それで知りました。
ーー雄大さんが傷害で逮捕された3月のときも、それからあなたが6月に本件で逮捕されたときも、雄大さんが具体的にね、どういうような暴行をしたのかというのは、直接的な記憶は無かったの?無かったのにも関わらず、取り調べで聞かれますよね?そうしたとき、「知ってる」とか「知らない」とか言いますよね。どういう風に検察や刑事にどういう風にしていた?
えっと……。
優里被告は内容が分からなかったのか、弁護人の方を見てさらに首を傾げた。
弁護人は、再度言い直す。
ーー暴行のことについて、刑事さんに色々質問されますよね。でもあなたは知らないですよね。そうすると、刑事さんはどうしました?
どうした?
(数秒考えこみ)この日辺りに、こういうことがあったんじゃないか?っていう、そんな感じの話。
ーー刑事さんのほうから、日付を特定して言われたんですか。
うーん。刑事さんていうよりかは、雄大の調書?
そんな感じになってたみたいで、でも私としても、(2月)26とか27日とかその辺りから、さっきから言っている(結愛ちゃんの)目のところが黒くなったとかいう認識はあったので、それで、何かそういう。
「そうだった」って。
ーー今ね、「雄大の調書にあったので」って言いましたけど、あなたは自分の取り調べの時に雄大さんの調書を読みましたか。
取り調べ?うーん。
目の前っていうか、刑事さんが持ってたので、ちらっと見たりとか読み上げてもらったりとかありました。
ーー今度はね、(3月の)雄大さんの調書の時のことを聞きますね。雄大さんの調書、読み上げられた調書ですけども。具体的な事実について、あったことと無かったことがありましたよね。昨日から読み上げられて、事実と違うところはありますか?思い出せるかな……。一つずつ聞いていくね。
裁判長が遮り「弁護人。雄大の調書は、(優里被告の)合意があっても争うことがあるの?」と訊ねる。弁護人は「争いがあることはあります。事実、彼女の証言と違っているところがあります。そこを聞きます」と返す。
(弁護人)ーー(雄大被告が)シャワーを、浴びせた。このことはあなたが知らないと言っていましたね。この日のことではない、とあなたが調書について思われることはありますか。
この日…この日?
ーーあなたが調書読んで、明らかにこれ違うなって思ったところはどこなの。
うーんと…。
ランドセルの話。(シャワーをかけた)その事件ていうのは、(2月)25、26日とか、そんな話になってた。
その時に「ランドセルを頼んであるから」って書いてあるんだけど、ランドセルはその時すでに届いてたというか、結愛も背負ったり、飾ったりしていた。2月の上旬の時点で飾っていたので、2月の下旬の話ではないのと……。
うーん、あとは調書の最後のほうに「優里に看病を任せた」って書いてあったんだけど、私、看病任されたんだけど、5分くらい任されて「いつまで結愛のそばに居るんだ!」って怒られて、すぐに結愛のそばから離されたので、看病を任されたっていう意識はない。
「小学校に入ったら、もう雄大が絶対結愛に優しくなるって…」
質問を繰り返し聞き直し、優里被告は要領を得ない回答が増えてきた。弁護人は言葉を変えながら、当時の心境について優里被告の回答を聞き出していた。
雄大被告の暴力は「小学校までの辛抱」と考え、結愛ちゃんとも2人でそう語っていたと話す優里被告。
そして最後に、結愛ちゃんと手紙のやり取りを始めた理由を、語り始めた。
ーー次のことね。いま、検察官から聞かれたことで、若干捕捉したいことがあるから聞くね。あなた、結愛さんを幼稚園には入れたかったんですよね。
はい。
ーーどういう努力をしました?
香川に居るときに、もともと世田谷区っていうところに、なんか住む予定だった。そこから、幼稚園と保育園のパンフレットを取り寄せて、幼稚園と保育園にそれぞれ何件か連絡したりとか、そういうことはしました。
ーーで、どうだったの。
結局のところ、住所をちゃんと変更してからじゃないと、まだ香川県に居る段階ではダメだって言われて。住所を変更して、その次にちゃんと見学に来て、初めて入園申し込みができるって言われて。
東京に行っての2か月の間に、その手続きをしているうちに、もう小学校入学になっちゃうから入れられないかなぁって思ってました。
ーー小学校に入ったら、どうなるって思ったんですか。
小学校に入ったら、もう雄大が絶対結愛に優しくなるって思ってて、学校の先生とかもいるし、これからお友達とかもできて、いっぱい楽しく過ごせると思ってました。
ーーあなたは、結愛さんをどういう風に励ましていたんですか。
「あと少し頑張ろうね。小学校上がるまで頑張ろうね」って、2人で言ってました。
ーーもう一つ、違うことね。(香川県で)第1回目の、一時保護の時の認識を聞きますね。あなたは「無知だから」って言っていたけど、その当時のあなたにとってDVってどんなもんだったんですか。
殴る蹴る。アザができる。
ーーそれはあなただけの認識だったんですか。警察官からはどう言われましたか。
警察の人も、「アザが無いといけません」って言われました。
ーー昨日から出ていた、あなたへの暴力、暴行。頭を叩く、それから鼻をつまむ、あごをゆする。耳を引っ張る。他にもう一つ思い出せませんか。上から押さえつけるようなことは?
うーん。
ーーそれから、その時に警察官もしくは児相の人のそばで、あなたと2人で並んでいるところで、雄大さんがね、あなたに対するDVを否定する発言は無かったですか?香川に居るとき。
優里被告は、「児相?」「警察官?」と数回質問を聞き直し、その都度弁護人は同じ質問をした。放心して固まったように弁護人を見つめ、回答しなかった。弁護人は話を変えた。
ーーもうひとつだけね、じゃあ。結愛さんがあなたに対して、助けを求めないということは、あなた自身は気が付いていましたか。
その当時は、気づけなかったです。
ーーいつ頃?児相に保護されている頃?第2次保護のころは児相から聞かされていませんか。これは開示されているけれども。覚えてませんか。
(長い沈黙が続き)もう一回質問……。
ーーうーん。結愛さんが、あなたに対して、「パパが怖い」とか、叩くとか、訴えられない、理由を、結愛さん自身が、誰かに言ってないですか。覚えてないですか。
うーん?分からない…。
ーー証拠が出てきたら、聞きますね。結愛さんと一緒に勉強してるって言いましたね。それは東京に来てからのこと。裁判長のほうからも、「一緒に勉強してたんだよね」って聞かれましたよね。それは、いつ、何時くらいのことですか。
その日によって、違います。お昼に、勉強することもあるし、雄大が起きた瞬間に勉強やっているってところを見せなきゃいけないから、その時にやることもあります。
ーー昨日、検察官の反対尋問で出てきたので、補足したいんだけど、この文章は2月5日だという風に思うというあなたの文章が出てきたよね。そこに「お手紙書いてね」っていう文があるんだけど、これどういう意味なの。
結愛も私も、口というか口で表現する、言葉で表現するのが苦手で、だから手紙で書く。
結愛は手紙を書くのが好きだったから、手紙でだったら、何かこう、結愛の本音というか、そういうのを引き出せるかなって。だから「手紙書いてください」って。
ーーあなたは、結愛さんとの手紙の交換っていうのは、香川時代からやっていました?どんな風にやってましたか?
どんな風に?
私が結愛に手紙を書いて、結愛が私に手紙を書いてって。
ーー勉強の代わりにしていた?
とりあえず雄大に「勉強している」っていうのを見せなきゃいけなくて。でも、やっぱずっと勉強って大人でもできないことで、だから結愛の大好きな手紙とか。手紙だったら絵も描けるし、結愛の好きな絵も描けるから、勉強の時間を減らして、手紙の時間になるように、やりました。
ーーそれが「手紙書いてね」って文章になったのね。同じページの上の方にあった「ママ」というのは、それに対する返信ですか?
違います。日付が全然違うから。
ーー手紙書いてっていったのは、2月5日。それは(結愛ちゃんを)取り上げられる前だったわけですか。昨日の反対尋問でも出ていましたから。「ママへ」というあなた宛てのお手紙になっているのは、2月20日ごろ?
記憶ではそうです。
時間が迫り、弁護人は「はい、いいです」と切り上げた。午前の審理が終わった。
午後には、6人の裁判員から、それぞれ優里被告へ質問がなされた。
その後、証人として呼ばれた精神科医が、DVが与える影響を説明。また、優里被告の父親が出廷し、結愛ちゃんとのやり取り、そして亡くなってから遺骨と過ごした日々を語った。
5歳児を追い込んだ虐待の背景は。公判で語られた事件の内容を詳報します
2018年、被告人らの逮捕時に自宅アパートからは結愛ちゃんが書いたとみられるノートが見つかった。
「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」
5歳の少女の切実なSOSが届かなかった結愛ちゃん虐待死事件。
行政が虐待事案を見直すきっかけにもなり、体罰禁止や、転居をともなう児童相談所の連携強化などの法改正が進められた。
この事件の背景にある妻と夫のいびつな力関係、SOSを受けとりながらも結愛ちゃんの虐待死を止められなかった周囲の状況を、公判の詳報を通して伝えます。
この記事にはDV(ドメスティックバイオレンス)についての記載があります。
子どもの虐待事件には、配偶者へのDVが潜んでいるケースが多数報告されています。DVは殴る蹴るの暴力のことだけではなく、生活費を与えない経済的DVや、相手を支配しようとする精神的DVなど様々です。
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