多くの学校で新学期がはじまって数日が経ちました。
この時期に子どもたちが感じる「学校に行きたくない、行けないかもしれない」という気持ち。そんな子どもたちに向けて、タレント、歌手の中川翔子さんが語ってくださいました。聞き手は、自分たちも学校へ行くのが苦しかった不登校経験者の方々です。
* * *
――今日は「生きる理由」をお聞きしたいと思っています。私は今、中学2年生で不登校をしています。中学に入ってからは、ずっと学校へ通うのがつらかったです。今は、ほとんど家にいます。友だちもいないし、ゲームをしてもアニメを観ても楽しくないし、この先も不安です。私には生きる理由がわからないです。死んじゃったほうが楽になるんじゃないか、とも思います。でも、きっとこの世界は楽しいはずだという思いもあります。だから、中川さんの「生きる理由」をお聞きしてみたいです。(14歳・アオイ)
今、真夜中のまっただなかにいる感じなんだね。
私も13歳のころ「思い描いていた自分の未来じゃない」と思っていました。心のなかでの口グセは「どうせ私なんか」でした。
中学に入ってから、いじめを受けていたからです。靴を隠されたり、キモイって目の前で言われたり、今思い出しても、すごくつらくて、悔しいことがたくさんありました。
いじめてきた人に「言い返してやればよかった」「仕返しをしてやる」とか、そんなふうに思いながらも、教室に入るのが怖くて学校へ行けなかったことがあります。
学校へ行けなくなってからも苦しい日は続きました。「学校へ行きなさい」と言う母親とドア越しに怒鳴り合ったこともありました。親と言い合うのって、すごくつらいですよね。
学校へ行けない日は自分の部屋で朝までネットをして、お風呂にも入らずダラダラして、でもなんだかイライラしてきて、拳で壁に穴をあけて「何やってんだろう」ってうなだれたりしていました。
大人の言葉は届かなかった
そんなとき、まわりの大人はよかれと思って「卒業しちゃえば楽になるから大丈夫だよ」と言ってくれました。
そういう大人に当時の私は「無責任なことを言いやがって」と心のなかで悪態をついていました。子どものころは学校と家がすべての世界。
それ以外の場所や世界なんて想像ができないです。大人はすぐに「それ以外がある」「その先がある」って言うけど、そんな言葉、届かなかったです。
「私には将来なんてないんだ」「この先の夢なんてないけど、どうしても学校には行かなきゃいけない」、そういうことばっかり考えていました。
だから「もうムリ!」「死にたい!」っていう衝動には何度も何度も襲われました。
それが私の10代だったので、あなたが「生きる理由」を聞きたい気持ちもわかる気もします。きっと同じようなことがあったかもしれないし、私よりひどいことがあったのかもしれません。
私は、たまたまオタク気質で、当時から戦隊モノやアニメやカンフー映画が大好きでした。
いじめてきた人たちも見返してやりたいって気持ちもあり、オーディションを受けたこともありましたが落ちまくりました(笑)。
ジャッキーとの運命の出会い
見かねた母が貯金をはたいて、私の誕生日に香港へ連れて行ってくれたことがあります。
そしたらね、たまたま入った香港のレストランにカンフー映画の超大物俳優ジャッキー・チェンがいたんです。
しかも座っていたのが私の斜め前。憧れのジャッキーが目の前にいて……、もう号泣です。騒いじゃいけないと思ったから、声を殺しながらの号泣でした。
そしたら、ジャッキーが「どうしたの?」って声をかけてくれました。
その声にまた感激して、ふり絞るように「私はあなたのことが大好きです。今日は私の誕生日で、あなたに会えてうれしいです」と伝えました。
そしたらジャッキーは、撮影で骨折した足を引きずりながら、店の奥へ消えてハッピーバースデーと書かれた花束を持ってきてくれました。
そのとき心の底から思いました。「生きててよかった」って。昨日まで、「死んでやる」と思っていた私が、です。人生は何があるかわからないです。
その後数年たって、ジャッキーとCMで共演できることになりました。そのときに、あらためて「あのとき香港で優しくしてもらったから、私は死ななかったんです。ありがとうございました」と伝えることができました。
そしたらジャッキーは「そうか。よかったね」と頭をポンポンとしてくれて。
そのとき、私は自分の人生を「壮大なオールOK」にすることができたと思ったんです。ツラいことも苦しいこともあったけど、今ジャッキーに感謝を伝えられて、頭を撫でてもらえた。それでもうOKだろう、と。
アオイちゃんにもいつかそんな「OK」が訪れると思います。そしてそのためにはひとつだけ条件があります。「死なないこと」です。
今、しんどかったり、私の言葉が伝わらないかもしれない。でも、いつか、心が震えるほど「死なないでよかった」と思える日が必ず来ます。それだけは言えます。だから、頼むから死なないでください。
――はい……(泣)。
あー、なんていい子なんだ(泣)。
今、楽しいことが見つからないかもしれないけど、ほんの少しでもいいから、「好き」を寄せ集めてみてほしいんです。
「このチョコ、おいしい」とか、「このゲームは前作よりおもしろい」とか、そんな程度でいいんです。
それを積み重ねていって、いちばんひどい日を乗り越えると「そうでもない日」が来ます。
死にたいって気持ちばかりじゃなくて、夕暮れがきれいだなとか、本を読んで夢中になっちゃったなとか、気持ちが少しやわらぐ「そうでもない日」がやってきます。
「そうでもない日」が続いた先に、思いがけない「死ななくてよかった」と思える日が来るはずです。
私はそうやって死にたい日を一日ずつ先延ばしにしてきました。死にたい夜をたまたま乗り切って、無理やり生き延びてきた気がします。だから、どうかあなたも生き延びてね。
私のブログは“明るい遺書”
――私は今、作業療法士をしています。私も不登校をして、その後、高校、大学へと進みましたが、今でも「明日」がつらい日があります。中川さんは苦しかったときに、どういうふうにして前を向くことができたんですか。(24歳・ヒナ)
中学校に行けなくなった15歳のころ、所属事務所をクビになってしまった18歳のころ、それから仕事でつらいことが重なった29歳のころが私の「三大どん底」でした。
とくに18歳のころのどん底は私の人生の転機になりました。
というのも、このまま死んでしまうのではなく「私という人間がいたんだよ」「私はこういう人だったんだよ」という証を残したくて、遺書のつもりでブログを始めたんです。
最初はグチや呪いを書こうとしたんですが、万が一誰かが読んでくれた場合、「暗い人だな」と思われたらイヤだから、「好きなことだけ書く」というマイルールを決めました。
遺書は遺書でも「明るい遺書」にしよう、と。猫がかわいいから載せよう、好きなメイクして写真とって載せよう、これがおいしかった、コスプレしちゃおう。
そんな感じで一日に何度もブログを更新していました。それは若さゆえの衝動だったと思うんですけれど、やっているうちに、好きなことばかり書いているからか、だんだん楽しくてハイになってきちゃったんです。ヒャッハーって。
ブログはたくさんの方に読んでいただき、評判もよかったんです。おかげで「死のう」は一回横に置いておこうと思えました。それ以来、前を向けるようになった気がします。
今苦しい人に届いてくれたら
――最後の質問ですが、新著『死ぬんじゃねーぞ!!』に込めた思いを聞かせてください。(25歳・ゆりな)
この本が誰かの「隣る人になれば」と思っています。「隣る人」というのは、児童養護施設の職員が使われていた言葉で、文字どおりに隣にいて支える人です。
私がいじめで靴を隠されたり、しんどいときに、さりげなく隣にいて、いっしょに絵を描いたり、話してくれたりした子がいました。
その子の存在が本当にありがたかった。そういうことって大人になっても、なかなかできないことだと思うんです。私にとってはその子が「隣る人」だったんですね。
私も誰かにとって、そんな人になれたら素敵だなという思いで書きました。今、苦しくて学校へ行きたくない夜を迎えている人に届けばうれしいです。
――ありがとうございました。
(取材者一同/撮影・矢部朱希子)
【プロフィール】
中川翔子(なかがわ・しょうこ)1985年東京都生まれ。2002年、ミス週刊少年マガジンに選ばれ芸能界デビュー。タレント、女優、歌手、声優、漫画など、多方面で活躍。著書に『死ぬんじゃねーぞ!!いじめられている君はゼッタイ悪くない』(文藝春秋)などがある。
少しでも自殺を考えてしまったり、周りに悩んでいる人がいる人たちなどに向けて、以下のような相談窓口があります。(ハフポスト日本版編集部)
(この記事は2019年09月01日不登校新聞掲載記事『死にたいあなたへ今伝えたい「生きててよかった日は必ず来る」【中川翔子】』より転載しました)