上園海(かみぞのまりん)
沖縄県出身。グラフィックレコーダー。会議や勉強会、カンファレンスなどで起こる「生の場」をイラストと文字を用いてリアルタイムで可視化する仕事。独学でグラレコを習得し、現在は東京を中心にAdobeやPR TIMESなどのイベントや社内の主要な会議にて実施。IT企業や大手芸能事務所など多数のクライアントを抱える。東京を中心に全国で描いている。
グラフィックレコードについて、詳しくはこちらをどうぞ。
どんなコンプレックスだった?
お金がない、というのがコンプレックスでした。
小学6年生の頃に両親が離婚して、弟と妹も母に引き取られたんですが、母ひとりの収入だったので家にはあまりお金がなかったんです。だから「お金がかかることはできないな」と思いながら育ちました。
小学校から入ってたダンススクールも、中学校に入ってからはやめて、進路選択も卒業後すぐ働けるように商業を選びましたし。その頃から物事を決めるときの基準がお金になってたんです。何をするにもお金がかかるかどうかだけで判断するようになり、その考え方は私の行動を厳しく制限するものになりました。
どうやって乗り越えた?
自分でお金を稼いで、やりたいことを選択できた経験が大きいです。
そのきっかけは、難病で倒れて入院したことがあります。高一の夏休みを全部使って療養しながらずっとお金や将来のことを考えていて。その難病、発病してから入院まで突然だったんですよね。そこで健康って急になくなるんだと実感して、やりたいことができなくなる前にやりたいことはやっておこうと思ったんです。それから働けるときにできるだけ働いてお金を貯めて、お金を理由に諦めなきゃいけないことがないようにしようと決めました。
退院して居酒屋でバイトを始めて、掛け持ちしてたときは朝4時まで働きながら月8〜10万円稼いでました。時給平均700円くらいで。稼いだお金で教科書や制服を買ったり、商業高校で取れる資格の検定料や携帯代などを払ったりしてましたね。
当時、自分が難病を抱えていることで、働くことに対する漠然とした不安があったので、自分と同じように難病をもつ人たちの就職支援をするNPO法人を立ち上げたいという思いがありました。そのために大学進学をしようと決めて、気づいたら貯金も100万円あったので57万円の初年度納入金やもろもろ全部、自分で払って進学しました。
これが、わたしの中で大きな成功体験でした。自分のやりたいことが見つかって、やりたいことのためにお金を使えた、自分の力で大学進学ができたという経験が、お金がないというコンプレックスを乗り越えさせてくれたんです。自分で稼いで使うなら、お金は自分の人生の可能性を広げてくれるものなんだと気づいた瞬間でした。
今、グラフィックレコードの仕事をされているのはなぜ?
自分の無力さを痛感したからです。
わたしは中学の頃からみんなの相談役ポジションで、中高大といろんな友人の相談に乗っていました。わたしの中学の友人にはやんちゃな子が多く、16歳くらいで子どもができて結婚した友人もいます。お互いの準備ができてないまま結婚してしまうケースもあるので、ケンカが絶えず別れてしまう夫婦も珍しくありません。
そのようなケースと似た相談を、中学時代の友人から受けていたことがあるんです。その旦那さんが彼女にキツく接してしまう人で、わたしは彼女のグチなどを聞きながら、少しでもふたりの関係が良くなればと一緒に考えていました。
ある日、彼女から1枚の写真が送られてきたんです。そこには青あざができた彼女の腕が写っていて、「殴られた」という一文が添えられていました。それを見て思ったんです。わたしは結局なにもできていなかったんだと。友達の身にDVが起きてしまった。自分は無力だった。それを痛感しました。
その経験をして、物事を解決するには話を聞くだけではダメなんだとわかりまして。だから何か、聞くこと以外でアプローチできる武器を身につけたいと考えました。「この分野だったらわたしに任せて!」と言えるくらいの武器があれば、もしかしたら彼女にDVは起こらなかったかもしれない。とにかく何かないかと探して、当時好きでやり始めていたグラレコ(可視化)が武器になるかもしれないと思ったんです。グラレコができればDVを防げたと考えたわけではないですが、とにかく自分の武器と呼べるものがほしかったんです。
いろんな分野での会議やイベントの内容を、リアルタイムで絵と文字を用いて可視化していくグラレコでは、今までわたしが趣味でやってたデザインや、専攻してきたマーケティングの知識、聴覚障がいをもつ学生の横に座って一緒に授業に出席し、教授が話していることを要約・筆記するボランティアで身につけた要約力が活きています。
現状、わたしのグラレコは、わたしにしかできないものと評価してもらえるものになってきました。何もできなかった自分が何かできるようになりたくて、グラレコをしています。
過去の自分に対して、今はどんな気持ち?
お金がないからと言って腐ることなく、稼ぐ努力をしてくれたことに感謝しています。
小学生の頃は「高校は行かないで働く」と言ってたし、中学のときはゆるくグレて、警察と追いかけっこするような、ここには書けないことをたくさんしてました。今思うと、遊んでいた仲間は自分と同じ相対的貧困層と言われる家庭環境の子たちで、その仲間たちと寂しさを紛らわせたくてそういう遊びをしてたんだろうなと思います。
その頃のわたしに会えるなら、お金がないからといって「どうせわたしなんて」と人生を諦めずに、周りの友達や大人たちとちゃんと関係を築いてくれて本当にありがとうと伝えたいです。家族のような雰囲気のなかで働かせてくれた今までの職場の人たちから学んだことや、そこでの社会経験がいまのわたしを作ってくれていますから。
同じコンプレックスを抱えてる方にメッセージをお願いします。
自分にしかできない、人の喜ばせ方を考えましょう!そのために情報を取りに行きましょう!
当時のわたしも含めて、お金がないと思ってる人はその環境で一生懸命がんばってます。でも、いったん立ち止まって自己投資をしないと、自分にできることは増えません。わたしは高校のとき、大学進学や結婚、出産などを踏まえて、今後の人生でかかるお金を全部シミュレーションしたことがありまして。時給1000円くらいで計算してみると、ただ生きていくことしかできないじゃん!って気づいたんですよね。
だからいろんな情報を集めて、いろんなチャレンジをして、自分の武器を見つけました。今はグラフィックレコーダーとして、1時間2万5千円で仕事をしています。簡単に見つけられた道ではなかったですが、縁を大切にしながら自分のできることを丁寧にやり続けた結果だと思っています。
自分の価値は、自分が提供したもので誰かに喜んでもらう経験を積み重ねると上がっていきます。自分に何ができるかは、人に聞くとか本を読むとか、ネットで調べたり、たくさんの情報に触れることで見えてきます。その上で、今できることをやってみる。怖いけど一歩踏み出してみることが必要です。
わたしは、わたしと同じように貧困層の家庭で育った人、病気を持っている人など、スタートラインが違う環境でも、やりたいことを諦めないでほしいと思っています。とくに社会問題を多く抱える地元沖縄で、そのお手伝いができないか模索中です。そのために、東京にいる今は自分の武器を増やす修行の期間だと思っています。
以前は「難病を抱える人のために」と思っていましたが、今ではその対象が広がりました。将来的には誰もが諦めないでいい社会を、わたしの身近にいる人たちから実現していきたいです。
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お話に出てきた難病について
上園さんが抱える難病は、全身性エリテマトーデス(SLE)というもの。長時間日光にさらされたり感染症にかかったりすると、免疫機能に異常をきたし自分の免疫細胞が自分の体を攻撃してしまうという病気です。お話のなかでは「倒れた」という内容がありましたが、それは前触れがなく発症したために対応ができなかったからです。現在はSLEに有効な薬を服用して免疫機能を抑えているので、突然倒れるという危険性はありません。日常的にも、問題なく過ごすことができています。詳しくは、下のリンクからどうぞ。
本記事は、2019年01月11日の『コンプレックス大百科』note掲載記事
より転載しました
コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人…。
それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら…。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。
ぜひ、皆さんの「コンプレックスとの距離」を教えてください。