夏休みの観光シーズンに香港国際空港がデモ隊によって一時占拠されるなど、激しい攻防が続く香港。
中国政府はデモ隊を「テロ」と非難し、香港に隣接する深圳(シンセン)市の競技場に中国人民武装警察部隊の部隊を送り込んでいる。一方、中国との貿易摩擦が続くアメリカは、「我々は天安門事件を忘れてはいない」と牽制を強めている。
“火薬庫” の様相を強める香港のこれまでの経緯を、動画と写真を中心に振り返ってみよう。
香港って、どんな場所?
1842年のアヘン戦争後にイギリス領となった香港は、貿易の街として発展。中国から政治的迫害などを逃れて移り住む人も多く、1997年に中国に返還された後も、高い自治性を保ちながら独自の発展を遂げた。
中国本土では難しい天安門事件(1989年)の追悼が行われ、民主化を求める大規模なデモが起きることも珍しくない。
<香港返還 1997年>
中国国旗やユニオンジャック(イギリス国旗)が掲げられた香港返還式典で演説する中国の江沢民国家主席=1997年06月30日
<香港返還>
ビクトリア湾を彩る返還記念の花火
<反中デモも頻繁に…>
英領香港の旗を掲げ「香港独立」を訴える反中デモ参加者ら=2012年10月01日
<2014年には香港雨傘運動>
傘を手に香港中心街の幹線道路を占拠する民主派デモ隊=2014年10月01日
<天安門事件の追悼イベント>
香港は、マカオとともに、天安門事件(1989年)の追悼集会が許される中国でも珍しい場所。2019年6月4日、ビクトリア公園で行われた天安門事件30年の集会では、香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官や「逃亡犯条例」改正案への抗議を表明する垂れ幕も。
今はどうしてデモしてるの?
2019年現在は、香港は中国の一部であり、香港す住む人々は中国人だ。
だが、中国は社会主義国家だが、香港は「高度な自治」が許される特別行政区として、イギリス統治時代の法制度を残すことが認められている。1つの国に2つの制度が存在する「一国二制度」となっている。
民主化や反中のデモに参加している香港のデモ参加者は、自分たちのことを『香港人』と呼ぶ。中国ではなく、香港という特殊な背景を持った土地にアイデンティティを感じているためだ。
一方、香港政府のトップである行政長官は、親中派で構成された選挙委員会で選出される。
<林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官>
「逃亡犯条例」というのは、香港で罪を犯した容疑者の身柄を引き渡す取り決めのこと。今回の香港政府が示した改正案では、引き渡し先として「中国」本土も含まれていたことが問題となっている。
つまり、香港で民主化活動に関わったり、中国共産党にとって不利益な人物と判断されたりした場合、当局によって「容疑者」とされ、身柄が中国側に引き渡される恐れがあるためだ。
中国に身柄が引き渡された場合、中国で裁判を受けることになる。中国では裁判所にも共産党組織が作られていて、司法が独立していない。
<逃亡犯条例に反対するビラで顔を隠すデモ参加者>
デモが激化したのは、なぜ?
デモは次第に激化。
林鄭長官は6月15日の記者会見で逃亡犯条例改正案の審議を一時中断すると発表したが、完全撤回ではなかったことやデモ隊を「暴動」と呼んだことなどに対して、さらに反発が広がった。
これまでに道路はもちろん、立法府、地下鉄、空港……あちこちで激しい抗議デモが繰り広げられ、香港警察は催涙ガスが警棒で応戦。逮捕者やけが人が続出する事態になっている。
<最初の大規模デモは、6月9日>
参加者は主催者発表で103万人にのぼり、1997年の香港返還以来の規模に。
<香港返還22周年に当たる2019年7月1日>
デモ隊が立法府を一時占拠。後に香港警察の機動隊に排除された。
<香港国際空港も一時占拠…>
<デモ隊と警察の衝突は日増しに激化。負傷者や逮捕者も増えていく>