上原崇利(うえはらしゅーと)
好きな食べ物は米。ラッキーカラーは黄色。子どもの頃の好きなアニメはアンパンマン。ご連絡はお気軽に!
どんなコンプレックスだった?
僕、小さい頃から自分の存在意義がなくなるのが怖いんです。そう思い始めたきっかけは、妹が生まれたことでした。お兄ちゃんあるあるかもしれないですが、それまで全身で受けていた両親からの愛情を、やはり妹にほとんどもっていかれるんですよね。親父があまり家にいない時期があったり母親も夜遅くまで働くことが増えてきたりで、どうしてもぼくが両親の愛情を感じられる時間は少なくて。だから小中学生になると、自分の存在意義を高めようとして、目立ちたがりになっちゃいました。とにかく目立ちたいので、他人より自分のほうが優れてるというマウンンディングをよくしてました。例えば、初めて彼女ができたときなんか『彼女ができた俺すごいぜ!!』みたいな感じで人と接してましたね。いま思えば、やかましい言動だなと思います。
どうやって乗り越えた?
高校のとき僕をおもしろいと言ってくれて、笑ってくれて、離れずにいてくれる友達ができたのが大きいですね。彼らに対してわざわざ自分の存在意義を無理に高めるとか、人に求めるとかしなくても素直に僕のことを認めてくれる仲間だ、という感覚をもちました。今でもそう思ってます。彼らの振る舞いのおかげで安心感を得たので、自分から他人に対して何かをすることで自分の存在意義を感じられるようになりました。それからエイサーを始めて人に教えたり観光客向けに踊るバイトをしたりして。自分を必要としてくれる居場所ができてきた実感がありました。そうやって自分の存在意義を自分で作れるようになったので、無理に目立たなくてもいいと考えるようになって乗り越えられたんだと思います。
存在意義を必死に求めてた頃の自分は好きですか?
どちらかといえば可愛いという感覚ですね。そういう後輩がいたら、つい手を貸したくなるようなそんな感じです。とはいえ今でも、住んでいた団地の8階から地面を見下ろしてたあのときのように、寂しくなって自分の存在意義を見つめ直す瞬間はあります。でもそうやって寂しさと向き合ってきたおかげで、自分らしい仕事を選べたと思ってるんですよ。僕は春からブランディングコンサルタントとして様々な企業の理念や社会における存在意義を意味付ける仕事をするんですが、それは今まで僕が生きるためにやってきた知り合いへのアドバイスの延長線上にあるような仕事で。企業という、場合によっては何代にも渡る長い時間軸のなかに「しゅーとのおかげ」という言葉が残っていくような、そんな仕事なんです。自分の存在意義を最大化できる道を見つけられたのは、昔の自分のおかげだなと思ってます。
同じコンプレックスを抱える方に、メッセージをお願いします。
今、どんなに寂しさを感じていても、あなたのことを考えてくれて、認めてくれる人は絶対にいます。もしそう言われて「そんな人いないよ!」と思うのなら、まだ、あなたの価値を誰も、自分でさえも気づいていないのかもしれない。だからぜひ、多くの人に会ってください。僕も学生団体に入ったりしてましたし、そのなかで「しゅーとにしかできない」「しゅーとにやってほしい」と言われることがありました。
あなたは確かに価値を持っていて、人から必要とされる存在になります! 僕は、あなたが輝く姿を楽しみにしていますよ!
本記事は、2018年12月19日の『コンプレックス大百科』note掲載記事
より転載しました。