私は四股を踏んだ。
腰と膝を曲げ、たっぷりと重心を足元に下ろして立った。そして私は頭から夫に向かって行った。このとき爆発した怒りは、相撲で解決するしかないと本気で思ったのだ。
すり減った魂を抱えて、自分をチューニングする
コンプレックスは人と人とが関わることで生まれる。
だって、もしあの子を知らなければ、私より美しい顔を持った人がいるなんて知らなかった。もしあの人を知らなければ、私と同じ悩みを軽々クリアしている人がいるなんて知らなかったのだから。
コンプレックス=誰かと比べることで生まれる劣等感とするならば、私に劣等感を与える相手は、常に私のそばにいた。ピッタリと寝起きを共にする相手、そうそれは夫だった。
私は海外で夫は京都で、生活拠点が異なる私たち。基本的にはそれぞれの拠点で生活をする、いわゆる別居婚というやつだ。それでも時々私は日本に帰り、夫が暮らす家でしばらく生活をする。私が日本と海外を行ったり来たりすることで、夫婦の時間を作っていた。
そんな別居婚の中、せっかく帰国して、同じ屋根の下で生活をしているにも関わらず、彼といると、次第に私は激しい劣等感を抱くようになった。夫は誰とでも仲良くなる。笑顔で人の輪に入り、いつの間にかその輪に必要とされるようになる。色んな人の相談を受け、人と人をつなげ、悩みを解決していく。住んでいる京都の「地域づくり、小商い」の分野ではちょっとした有名人だ。
夫のスケジュールには毎日人と会う約束が入っている。毎回違う仕事の、違うタイプの人たちと会い、話をして、友だちになって帰ってくる。
では、隣にいる私はどうだ?
前述の通り、私たちは基本的には別居婚で、フリーランスの私は海外に住んでいる。けれど、ときどき日本に帰ってきて自宅で仕事をする。ひとりで。誰にも会わず。夫が出張でいないとき(誰かに会いに遠くへ行っているとき)、夜に「風呂でも入るか」とつぶやいた一言が、1日で唯一発した言葉だったりで。我ながら呆然とすることもしばしば。
人が好きで、人が苦手だ。
仕事でもプライベートでも誰かと知り合ったとき、まずこの人はどんな「私」と仲良くなりたいんだろうと考えてしまう。
海外に住んでいる、グローバル感がある私?
メディアの編集長をしている私?
33歳の女性としての私?
明るい私? アート好きな私? 関西人の私?
直接初対面の相手に聞くわけではないけれど、私はすばやく「求められているだろう」私を察知し、自己をチューニングする。チャンネル周波数が合って初めてクリアな音声が流れてくるラジオのように、人や場に合わせて私は自分をコロコロと変えていく。
小さい頃からずっとずっとずっと、相手と場に合わせて自分を変えてきた私はいつしか「素の自分」が分からなくなっていた。とにかく誰かを不快にさせないように、その誰かが聞きたい耳障りの良い言葉だけを使って人間関係を作ってきたのだ。
当たり前だけど、これ、本当に疲れるのよ。
会合や交流会や打ち合わせが1日数件重なると、家に帰ったときには放心状態。それでも暮らしは止まらないから、すり減った魂をそのまま抱えて、次の日もジジジジとチャンネルを合わせて生きていた。
夫と一緒にいれば、私も変われると思った
そんな私にとって夫は宇宙人のような存在だった。私とは全く正反対で、誰とでも臆することなく打ち解けられる。私にはないものを持っていて、だからこそ彼に惹かれて結婚を決めた。
結婚を決めたとき、軽やかに人とつながる彼から学び、私もありのままの自分で沢山の人と仲良くできるようになろう。上辺だけの演じた自分に疲れない、人間関係を紡いでいこうと思った。
彼と一緒にいることで、私は変わっていけると思ったのだ。
でも違った。これは大きな間違いだった。
何十年も積み重ねてきた「自分」は、一緒に住む人を変えたことですぐに変わるはずなんてない。私の隣でうまく人付き合いをしていく夫を見ながら、人付き合いに疲れひとりでいる時間が増えた私は、ただ劣等感を増やしていくだけだった。
変わっていけるんだ!
キラキラした希望は、徐々に濁りイライラへと変わっていく。うらやましい、私はできない、なんで? ムカつく。
いつしか夫が人と会うと聞いただけで、イライラするようになった。あぁ、またそこで友だちを作ってくるんだね、あぁそうですか。私は今日もひとりで過ごすけどね、なんて。
夫は毎日、誰かと会う。だから私は毎日イライラする。だから夫婦喧嘩が絶えなかった。彼は私が抱く劣等感を理解できない。私も彼のように人と交わりたいのに、変われない。
私のイライラが伝染し、家の中はいつもピリピリとしたムードが充満してた。外にはもちろん見せないけれど。仲良し夫婦の妻チャンネル周波数に合わせて人に会いますから、私。
こうして半年くらい、私たちは火花が散る新婚生活を送った。解決の糸口も見つけられずないまま、一緒に過ごす日を重ねた。
爆弾を抱えた新婚生活は、結婚してから1年弱のタイミングで爆発した。単なる不機嫌が原因の小さな諍いの域を越え、わーわーと大声で子供のように喧嘩をするようになった。
私のコンプレックスが爆発して、夫もそんな私に絶えきれなくなって、お互い我慢の糸が切れたのだ。
夫に理解してもらえない。そして理解してもらえないことを、私は理解できない。いくら喧嘩をしても、言葉で分かり合うのは無理だ、と私は悟った。
消えないけれど、もうどうでもよくなった
私は四股を踏み、頭から夫に向かっていった。自分の感情を伝えるのはこれ以外にないと、本能的に身体が動いた。私が突進すると、夫も反応し、私たちはがっぷり組み合った。足をかけて倒そうとしたり、力任せに押したりした。30秒くらいだろうか、私たちはガチで相撲を取った。
気づくと、私は畳の上に転がっていた。夫は肩で息をしながら私を見下ろしている。相撲に負けたと思った。あぁ、私、勝てなかった。
相撲を取って、その後すぐに私たちの関係が変わった、なんてことは1mmもなかった。それからもしばらく私たちは喧嘩に喧嘩を重ね、離婚届まで書いた。だけど私の強い劣等感は、あの本気の取っ組み合いがきっかけで、ゆっくりとしぼんでいった。
劣等感を出し切って今、私たち夫婦はびっくりするくらい仲がいい。相手のパーソナリティを認めるとか認めないとかの次元を越えた。うん、もうね、どうでもよくなった。
でも劣等感という名のコンプレックスは、しぼんでいっただけで私の中にまだ残っている。消えたわけではなくて。だけど言葉と態度と全身で伝えても、消えないし理解してもらえないのだから、もうどうでも良くなっただけ。
この私の経験を「解決策」のように文章にしていいのか、少し迷った。相撲でコンプレックスを克服できるなんて、昔の自分が聞いたら「バカでしょ?」って思うに違いないんだもん。
でも、思うんです。
自分でも思いつかないことが、案外コンプレックスを飛び越えさせてくれるって。私にとってそれが相撲であっただけで。
(編集:榊原すずみ @_suzumi_s)