「私はブスだ」。
作家の山崎ナオコーラさんは、最新刊『ブスの自信の持ち方』のなかでそう言い切ります。
コンプレックスは何ですか?
そう尋ねたとき、自分の容姿をあげる人は多いのではないでしょうか?
ところが山崎さんは、ブスであることは「コンプレックスではない」とも書いている…。
多くの人にとってコンプレックスになりがちな容姿も、考え方を少し変えたらもっと上手に付き合えるようになれるのかもしれない。
そんな期待を込めて、ふつうの人に憧れ、自分と向き合う主人公の姿が多くの人の共感を呼んだ『ダルちゃん』の作者である、はるな檸檬さんと山崎さんに“ブス”とコンプレックスについて語り合ってもらいました。
「ブス」を取り巻く空気が変わってきた
はるな檸檬(以下、はるな):『ブスの自信の持ち方』、読んで本当によかったです。印象に残った文章をメモしていたら、たくさんあって…。
山崎ナオコーラ(以下、山崎):ありがとうございます。ブスの本を出版したいという思いは作家デビュー直後から持っていましたが、なかなかうまくいきませんでした。作家になってわかったのは、私1人で書いているのではなくて、時代とともに書いているということなんです。この国のこの時代じゃないと、こんな言葉出せなかったと感じることがよくあります。作家というとよく、「ゼロから(作品を)生み出している」と言われますけれど、ゼロというのは、少し違うなと思っているんです。
はるな:今回の著作もそういう要素はあったのでしょうか。
山崎:ブスという言葉は、ここ数年でだいぶ受け止められ方が変わってきたと感じています。今回の本も、10年くらい前だったら出版することが許されなかったのではないでしょうか? 出版できたとしても「そんなこと書いていいの?」という反応がもっとあったと思うんです。でも今は「ブスについて議論をしよう」という空気がある。今だから書けたエッセイだなと思っています。
はるな:本の中にも書かれていますが、山崎さんは以前、容姿でとても嫌な思いをしたとか。
山崎:デビュー当時、ある新聞に載った私の顔写真がインターネット上のあちこちにコピー&ペーストされていました。現在では、それらは全て消してもらっていますが、その写真の容姿に対するおぞましい中傷や卑猥なからかい言葉が踊っていた時期があったんです。
さらに、デビュー後5年くらいまでは「山崎ナオコーラ」というワードを検索窓に打ち込むと、第2検索ワードとして「ブス」が出てきました。これはつまり、「山崎ナオコーラ、ブス」と検索した人がこの世にたくさんいたということ。こういう経緯があって、私は自分に対して発せられるブスという言葉に長年、対峙してきました。だからブスという言葉には強い思い入れがあります。だから今回、ブスについて書く機会をもらい、こうして本が出せたことに、とてもわくわくしています。
「ブス」と「美人」の基準にもいろいろな角度がある
はるな:山崎さんは「ブスはコンプレックスではない」と書いていますが、本を読んでいるとたしかに、山崎さんの場合はコンプレックスの話じゃないんだなと感じました。
たとえば私は、人にプレゼントをするのがすごく苦手なんですけど、それは小さい頃から、家族に贈り物をすると、「こんなものに、こんなお金を使って」と少しけなされていたことが影響しているのだと思うんです。
そういう言葉や経験を自分の中に取り込みすぎたんでしょうね。人にプレゼントを選んでいると「そんなものを贈っても、絶対に誰も喜ばない」と自分を罵倒する言葉が脳内に流れる。私はそれをすごくコンプレックスだと思っていますが、山崎さんは違います。山崎さんは「私の顔なんて」と思っていない。山崎さん自身が自分の顔は嫌いじゃないけれど、自分の容姿に対する社会の扱いに不満を持っているということですもんね。それはコンプレックスではないと思います。
山崎:私の場合は、ブスはコンプレックスではありません。例えば、肌の色が黒いからと人種差別を受けている人がいるとします。その人は自分の肌の色に誇りを持っているし、白人になりたいわけではない。でも、ひどい言葉を浴びせられるような社会はやめてほしいと感じているというのと、同じような思いなんです。
私は自分の顔を変えたいと思っているわけではないし、これでいいと思っています。そして誇りを持っています。「容姿が悪い」と言われるのはいいんです。ブスと言われることもいいんです。でも、「ブス」とされている人に罵詈雑言を浴びせたり、「ブスがこんな仕事はするな」「ブスなんだから、隅っこに行ってろ」と社会的な“場所”を移動させたりするような、人間としてとして下に扱う差別はいけないことだから、抗議しようと思っています。
そして、本の中でも書いた通り、ブスにとっての敵は美人ではありません。敵は「システムの製作者」、つまり容姿でヒエラルキーを作っている人たち。
容姿がコンプレックスとなってしまうということは、その容姿でヒエラルキーを作るというシステムに自分がはまってしまうということなのではないでしょうか。そのシステムのなかで「私も上に行けるように頑張ろう」と思っているのに、現実的に自分が下の方のヒエラルキーに属している場合、劣等感が生まれてしまう。
でも、システムがおかしいと思えば、コンプレックスも生まれないのではないかと思います。
はるな:何をブスとするかも人によって違いますよね。私は、世の中のイケメンと言われている俳優さんなのに、どうしてもかっこいいと思えない方がいるんです。世間でいう美人も「本当にそうだな」という人もいれば「うーん、よくわからない」と感じる人もいて、逆に「なんだかよくわからないけれど、かわいい」という感情を抱く方もいます。
それに、絵を描く人の立場から見れば、整った顔の人物は描いても面白みがなかったりする。山崎さんの本を読んでいると、この世の中には厳然と「ブス」と「美人」がいるというふうに読めるけれど、その基準にはいろんな角度があるとも感じます。
山崎: 私が容姿にコンプレックスを持たないのは、自分にとって容姿に価値があるわけではないからであって、もちろん容姿がコンプレックスだという人がいてもいいわけです。そういう人はきっと、コンプレックスがあるから自分を磨こう、メイクを上手になろうと努力するのだと思います。そしてその努力が楽しい人もいるでしょう。私は渡辺直美さんが大好きなんですけど、自分なりの価値観でビジュアルを磨いていくという方向もありますよね。
話は変わってしまいますが、はるなさんは「性格美人」という言葉に腹が立ちませんか?
はるな:あまり考えたことがなかったのですが、山崎さんの本の中で「『性格美人』ってなんだよ、バカじゃねえのか。」という文章はとても印象に残っています。
山崎:「性格のいい人」と言えばいいのに、わざわざ「性格美人」という言い方をしなくてもいいじゃないですか?
はるな:そこにも美人つけちゃうんだ、という感じがしますね。
山崎:女性だからといって、なぜ性格美人を目指さなくてはいけないんでしょうか。ブスなら性格美人を目指せばいいという考え方には、ものすごく腹が立つ。性格がいい人は目指すけれど、性格美人は絶対に目指さないぞといつも思っています。
コンプレックスはあってもいい?
はるな:山崎さんは、コンプレックスがないんですか?
山崎:そうですね、そう言われて考えてみると、本が売れないことはコンプレックスかもしれません。
社会には本が売れてる作家の方が上だという指針があるから、そう思ってしまっているだけで、多様性を肯定するためには少部数の本を出す作家も必要なんだとか違う考え方をして、容姿と同じように「システム自体がおかしい」と思うべきなのでしょう。
でも、私は本が売れないことにコンプレックスを抱いてしまう。売れている作家がすごいという思いがなかなか消えないし、違う考えを持とうと思っても持てない。その一方で、本が売れるように頑張りたいという自分の気持ちもあるんだと思います。そう考えると、もしかしたら、コンプレックスがあってもいいのかもしれないですね。
はるな:そうそう、モチベーションになる。
山崎:私は、本を売るためにどうすればいいのかを考えるのが好きだし、楽しい。そのために頑張りたいと思っているから、悪いコンプレックスではないと思うんです。自分はダメだと思うとただの悪いコンプレックスになってしまうから、コンプレックスは努力のしがいがあるところだと思えたら、いいですよね。
でも、例えば容姿を気にして外に出かけたくなくなってしまう、死にたくなってしまうというのは悪いコンプレックスだと思いますし、問題です。そういう人には、容姿はそんなに大したものではないと言いたいです。そこまで思い詰めてしまう前に、つらい思いをしているのは自分が悪いのではなく、誰かしらが作った社会システムのせいだと思えばいいんです。
はるな:コンプレックスって結局、自分と自分の闘いなのかもしれませんね。自分が内面化した社会の声VS 責められる自分。自分が社会の声を内面化して、そう思わなければ、コンプレックスにはなりませんから。
実は私は化粧もコンプレックスなんです。プレゼントと同じように、脳内でダメ出しがすごくて、「そんなことをして何になる?」という声が響き渡るんです。
山崎:それも親御さんと関係があるのですか?
はるな:親との関係はあらゆる人にとって、根底にあるものだなと思っています。山崎さんが「私は親にプレッシャーをかけられていないし、普通に自分らしくしているだけで、自分らしく強くなってしまう」と書かれていて、ご両親ととてもいいご関係だったんだろうなと感じました。そういうことも、コンプレックスには大きく影響しているかもしれませんね。
私の両親にはどこか「見た目にこだわることがくだらない」という価値観があって、私はそれを内面化していた気がします。アトピー性皮膚炎がひどくて、顔にも色素沈着があったけれど、その頃を思い出すとなぜか私やたらと堂々としていたなと。27歳くらいまで化粧品を買ったこともなかったんですよ。化粧品だけではなく、洗顔フォームみたいなものを一切持っていなくて、お風呂に入った時に水で顔を洗う程度(笑)。メイクの上手な友達と仲良くなって、化粧しているところを見せてもらいながら、少しずつ、化粧をする自分を否定する声と対峙し続けて36歳になりました。
そして、そのコンプレックスを大きく乗り越えたきっかけは「宝塚メイク」なんですけど(笑)。私、宝塚メイクをするとイケメンになるんです(笑)メイクで私が男になれるんだったら、化粧にも意味があるじゃないかと思ったら、ガラッと変わったんですよね。
山崎:ずっと化粧しないなんて、格好いいじゃないですか。周りに影響されすぎていないということですし。化粧をしなきゃいけないというルールがあるわけではないから、しなくていいのではないか、とも思います。ノーメイクで仕事に行ってもいいようにしようという社会の流れも出てきていますし。
容姿で罵詈雑言を浴びせ、人間として下に見るのは差別
山崎:はるなさんの書かれた『ダルちゃん』、とてもおもしろかったです。
はるな:ありがとうございます。 私が描いたのは「自分で自分を乗り越える」話で、内面世界との闘いですが、『ブスの自信の持ち方』は対社会のお話。
コンプレックスは、自分自身が自分のままでいいと思えない、許されてない感じのようなものだと思うので、対自分の方がコンプレックスには近いかもしれませんね。
山崎:え、そうなんですか。私は「性別」の話だと思って読みました。女性の生き方というか、社会における女性の扱われ方を描いた話だと感じたのですが、そういうことは考えていなかったんですか?
はるな:実はまったく考えていなかったんですよ。読み手によって、感想がまったく違って、確かに「ジェンダー」の話とおっしゃる方もいました。
そういう声を聞いて「あ、そう読まれる方もいるんだな」「世に出たら作品は読者のものだな」と思ったのですが、私自身は男性でも起こり得る話だなと思いながら書いていました。たまたま私が女性だったので、女性を主人公にしたという感じです。
作品を描いていたのがMeToo運動が盛り上がっている時期で、私自身が関心を持って見ていたので、それがにじみ出ていた可能性はありますが、強く意識したりはしていなかったです。
山崎:性別の問題はそんなに普段から考えていなかったんですか?
はるな:私はむしろ、ほとんど考えていなかったんですけど、MeToo運動が盛り上がっていくなかでようやく、フェミニズムに関心を持ちました。
山崎:それは意外でした。
はるな:私は九州出身なんですけど、親戚が集まると、男性は飲み物のコップをテーブルの上に置いているのに、女性は基本台所から出ないし、出たとしても床にコップを置いて、すぐに動けるようにしているんです。
そういう習慣が残っている土地柄で、それに納得するためにいろいろこじらせまくった挙句「男の人は威張らせてあげないとダメなんだな」「こうして立ててあげないといけないくらい男の人は弱いんだな」と考えるようになったんです。
そんな、こねくり回した結果の“女尊男卑的思考”がフェミニズムを知りはじめて、ようやくフラットになったと思っています。
今回、ブスについての本を書かれたことで、また容姿について何か言われるかもしれない、どうしよう…ということは考えませんでしたか?
山崎:そうですね。本にも書きましたが、呪います。
先ほども言った通り、容姿で罵詈雑言を浴びせ、人間として下に見るのは差別です。私の人権を踏みにじった人のことは呪います。
はるな:それは呪いましょう(笑)。
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取材の最後に、私のコンプレックスを打ち明けると「それも社会のシステムにすぎないですよね、真剣に悩むほどじゃないと思います」と力強く言ってくれた山崎さん。
言葉で、そして絵で、社会を変える力のある2人の話は、私たちがコンプレックスをコンプレックスに感じなくていい社会がいつか実現する日が来ると思わせてくれました。