2019日7月21日。おそらく世界初の「ALSの国会議員」が誕生した。
れいわ新選組・特定枠1位のふなごやすひこさんだ。
特定枠2位の重度障害者・木村英子さんも当選となった。
比例3位だった山本太郎氏は、90万票以上を取りながら落選。ぶっちぎりで過去最多の票を獲得した落選者という伝説を作った。
そうして2議席を獲得したれいわ新選組は、政党要件を獲得した。
開票後の記者会見で、ふなごさんは「本当に今日というこの瞬間が来たことに胸がいっぱいです」とスピーチで述べた。
「さて、私はこの選挙期間中、山本代表の合理的配慮の実践の数々に触れました。新橋では、私の乗る大型車椅子に人がぶつかるからこの位置にいてほしいと自ら警備スタッフの方に声をかけたり、新宿では介護スタッフに椅子を出したりしていました。
この優しさにつながる合理的配慮を実践する男、山本太郎こそ、これから我が国を、日本を優しい国にする人です」
「今回の選挙戦で、皆さんの行動が少し変わってきたように感じました。
障害者優先エレベーターに乗り込もうとしても、いつもいっぱいで乗るまでに相当な時間を要することがあります。エレベーターの扉が開き、車椅子で待っていると『優先でしたね、降ります』という言葉が聞こえました。
国民の皆さんの意識が少し変わってきたように思えました。小さいことかもしれませんが、このようなことが大事だと思います。
国会に入れてもらうために、皆さんはきっといろいろなことを考えてくださると思います。大変な面倒なことかもしれません。でもよろしくお願いします。
ところで、今回なぜ私が立候補しようと思ったのかを申しますと、自分と同じ苦しみを障害者の仲間に味わわせたくないと考えたからです」
「僕は、変えたい。こんな矛盾を変えたい。どこか弱々しく見える僕ですが、根性だけは人一倍、命がけなのですから。これからが勝負です。どうぞどうぞよろしくお願いします」
また、やはりこの日、会見した木村さんは以下のように語った。
「みなさんからたくさん応援を頂いて、そしてまた厳しい現状にある障害者の人の一票一票が私の心にすごく突き刺さっています。頑張らなきゃという思いです。頑張らせてください」
振り返ってみれば、記憶がないような17日間だった。
そしてもちろん、すべては選挙前から始まっていた。
例えばこの日、ふなごさん当確が出た直後、開票を見守る現場で太郎氏は支援者の方々に一人の女性を紹介した。それは川口有美子さん。自らALSの母親の介護をしてきた人で、日本ALS協会元理事だ。太郎さんは、「ふなごさんと自分を繋げてくれた人」として川口さんを紹介。この日、「こんな嬉しいことあるの?」と何度も口にしていた川口さんは、ふなごさん当確に「ギネスブックに載るかもしれない!」と喜びを爆発させた。
そんな川口さんと太郎氏と3人で作戦会議をしたのは6月なかば。そこでふなごさんの話になり、繋いで頂き、初めて会いに行ったのが6月24日。人工呼吸器をつけてベッドに横たわるふなごさんに「国会で一緒にやりませんか」と熱く語りかける太郎氏の姿を見て、「空気読まない」もここまでくれば芸術だな、とすら思っていた。だって、全身麻痺で人工呼吸器を装着した人が立候補して国会議員を目指すなんて、命そのものを赤の他人である山本太郎に預けるのと同じことである。
一度松戸の市議選に出ていることは知っていたものの、まぁ、無理だろう。そんなふうに思っていたその2日後だ。太郎氏のもとに介助者を介して「OK」という返事が来たのは。
全身に鳥肌が立った。あの瞬間から、私の中でも完全にスイッチが入った。本当に、命がけで選挙に出る人がいる。これは全身全霊でサポートしなければ、と。
選挙戦が始まってみれば、連日、最前列には続々と車椅子が増えていった。また、ALSや、車椅子の重度障害者たちがふなごさん、木村さんの応援にために駆けつけてくれた。
7月13日、渋谷の街宣には、ふなごさんと同じALSの岡部宏生さんが応援に来て介助者の代読という形でスピーチしてくれた。19日、新橋SL広場で開催された「れいわ祭2」には、ALS歴34年の橋本みさおさんと子どもの頃の脳梗塞で障害を持った天畠大輔さんが来てくれた。口のわずかな動きを介助者が「あ、か、さ、た、な」と読んでいくやり方で時間をかけてスピーチがなされ、どこに行っても笑いをとる橋本さんは「橋本はピンクが好きなので、れいわ新選組の色にピンクを使わないでほしかった」と言って観客を沸かせた。
病歴の長い橋本さんは、ふなごさんより麻痺が進んでいて表情筋がほぼ動かない。介助者が口の動きを読み取っている姿を見ても、側からはまったくその動きはわからないほどに。そして「一切発話できない」という天畠さんも介助者とのやりとりでスピーチ。そんな重い障害を持つ天畠さんは、立命館大学の大学院博士課程を修了している。障害があったって、なんだってできるということを体現しているのだ。
選挙最終日には、筋ジストロフィーの小田政利さん、進行性難病の海老原宏美さん、筋ジストロフィーの梶山紘平さんが応援に来てくれた。3人とも人工呼吸器ユーザーでありながら、3人ともが一人暮らしをしている。ステージの上からそう告げると、みんなが一斉に驚いた顔をした。ちなみにALSで気管切開をして人工呼吸器をつけるふなごさんは喋れず、口からは食べられないけれど、筋ジスの二人は人工呼吸器をつけても話せて口から食べられるという。一口に人工呼吸器ユーザーと言ってもいろいろあるのだと、私自身が日々学んだ。
小田さんがスピーチの冒頭、「みなさーん、ちょっと聞いてください。いきなりですが、僕、生きててもいいですか?」と問いかけると、みんな「生きてていいぞー!」と叫んだ。梶山さんは、「僕には能力がありません。学歴も職歴もありません。では何をやってきたか。不平等な社会で、34年間、死に物狂いで生きてきました」と語ると、大きな拍手が辺りを包んだ。
ハートネットTVなどでおなじみの海老原さんは、個人的に前からファンだったので会えて嬉しかった。呼吸器を小脇に抱えて世界を旅し、日本酒が大好きという彼女の毒舌はいつも番組でも冴えていて「清く正しい障害者」像をいつもぶち壊してくれるのだが、そんな彼女はこの日、真剣な顔で自分たち障害者が運動を重ねて地域生活を勝ち取ってきたことを話した。
「私たちは、ただ口を開けて、手をこまねいて自分たちの地域生活の権利というものが与えられることを待っていたわけではありません。自分たちの姿を社会にさらし、人目にさらし、時には社会から大きな批判を受けながら、浴びながら、自分たちの地域生活の権利や、命の権利というものを勝ち取ってきたんです。
なぜ私たちがそれだけ頑張れたのか。命を縮めながら、障害の重度化を起こしながら、なぜこんなに頑張ってきているのか。それは、重度障害者、社会のなんの役にも立たない、生産性がないと言われているような私たち重度障害者が安心して生きていける社会というのは、すべての人にとって安心し生きていける社会だということを、私たちが一番よく知っているからです」
そして開票日、ふなごさん、木村さんという重度障害者議員が誕生した。
早速参議院がふなごさんに聞き取りをしたいということで、私も同席するつもりだ。
これから、この国のバリアフリーは国会主導でバリバリと音を立てて進んでいく。
これが「革命」じゃなくて、何が革命なんだろう。
れいわ新選組のすべての候補者たち、最高の戦いを見せてくれてありがとうございました。
「障害者観が変わった」という声と同じくらい、「選挙観が変わった」という声をたくさん聞いた。「こんなにワクワクした選挙、初めて」という声も。そらすべて、れいわ新選組の多様で多彩で空気を読まない候補者たちのなせる技だろう。
そんなれいわ新選組に、たった3ヶ月で4億円の寄付が集まったことにも胸が震える。山本太郎は、これをみんなの「悲鳴だ」と語っていた。なんとかしてこの政治を変えてくれ、という悲鳴。私もまったく同感である。
そして、それぞれの野党候補者も素晴らしい戦いを見せてくれた。
参院選、お疲れさまでした!
ここからまた、次の戦いが始まる。
本記事は2019年6月19日のマガジン9掲載記事「第490回:重度障害者二人が国会に!! れいわ新選組の快進撃。の巻」より転載しました。