マイクロソフトの株式時価総額(年末時点)が2018年末、アップルを抜き、首位を奪還した。2002年末以来、16年ぶりの返り咲きとして大きな話題になったが、不思議に感じた読者も多いのではないだろうか?
長年のライバル、アップルは2007年の初代iPhone発売以降さらに業績を伸ばし、王者だったマイクロソフトの存在感は一般ユーザーにとって低下している。「カフェでiPhoneを使うとモテる」という都市伝説が囁かれた影で、Windows Phoneはスマホ市場から寂しく退場した。
「マイクロソフトかー、ちょっと古いよね」。そう感じている人は結構多いのではないだろうか。恥ずかしながら、IT業界に疎い筆者もそうだった。しかし、その一般ユーザーの実感と市場価値とがあまりにも違う。何が起こっているのだろうか。
アメリカ・ワシントン州レドモンド、マイクロソフトの広大な本社での取材機会を得て、その一端に触れることができた。一つの理由はクラウド戦略とそれに伴うパートナー戦略を通じて、マイクロソフトが一般ユーザーには見えない「中の人」として成功を収めていたということだ。
クールな会社ではなく、他の人をクールに
スマホ市場の波に乗り遅れていたマイクロソフト。2014年にCEOに就任したサチア・ナデラ氏は、同社の立て直しのため、クラウド・コンピューティングという大きな次世代の波に乗るべく「クラウドファースト」を掲げて様々な改革を実行してきたという。
チーフストーリーテラー、スティーブ・クレイトン氏は、ナデラ氏が、IT業界を目指す大学生たちに言ったというこんな言葉をまず紹介した。
「自分たちがクールになりたい学生には、よそに行ったほうが良いと私は言う。もしも誰か他の人をクールにしたければ、マイクロソフトに入社すべきだ」
自分たちの技術は、自分たちが「クール」にみられるためではなく、顧客やユーザーの成功やイノベーションのためにある。
様々な部門の社員への取材を通じて、確かにこの言葉がマイクロソフトの改革を端的に表しているように思えた。
クラウドファーストとパートナー戦略
クレイトン氏らによると、マイクロソフトが改革で実施してきた大きな柱が「パートナー戦略」だという。どういうことなのか。
かつてのマイクロソフトは、収益の大きな柱であるWindowsのライセンス販売を拡大することが至上命題だった。Windowsを販売し、アップデートの度に入る収益が会社の柱だった。そのため、戦略は必然的にWindowsをもっと売るために、Windowsのみに対応した素晴らしいソフトウェアの開発や、Windowsのみが動く環境を作り上げることで、Windowsを基盤とした世界を作り上げることが最も重要だった。
一方で、現在のクラウド型サービス中心の世界では、自社の製品を様々な場所で頻繁に使ってもらうことがより重要になってくる。そのため、デバイスを問わずに自社のサービスが使えるように、ライバル社とも提携するというパートナー戦略を取り始めたのだという。
一般ユーザーにとっての大きな変化としては、アップルのiPhoneやiPadや、グーグルのAndroidなどで使用できる「Word」「Excel」のようなOfficeアプリケーションのクラウド版が無料提供されるようになったことが挙げられるだろう。広報担当者によると、主力商品の「無料化」は社内でも驚きを持って受け止められたという。
しかし、この戦略で日本でもほとんどの会社が導入するWordなどで作成された書類を、iPhoneやiPadなどでも同じように開いて編集することができるようになった。今となっては当たり前のようにも感じられるが、導入されたのは2014年のことだった。
デザイン&リサーチ担当 コーポレートバイスプレジデントのジョン・フリードマン氏はその際、ソフトウェアのデザイン哲学も一新させたのだと話す。
「Windowsでも、iOSでも、AndroidでもMacでも、全ての機器で同じような感覚で使用できるようにデザインすることが重要でした」
そのデザイン哲学は「人間中心のデザイン」。多機能なソフトを、すでに知っている操作方法で扱えるため、シームレスに仕事が進められる。そうした哲学によって、ユーザーの生活に深く浸透し続けることに成功している。
「ハードウェアもソフトウェアも、背景に消えていくように。素晴らしいデザインというのは、見えないということなのです。ただ、あなたが何かを成し遂げようとする時の助けになるようにだけを考える」
一方で、「Officeアプリケーションはすでに5世代が使用している」ため、従来製品を使い慣れた顧客のために、ボタンの位置などは大きく変更しなくても使えるようなモードも準備されている。そうした顧客の要求に応じることも「人間中心のデザイン」の一つだという。
ただ、それももしかして、一般ユーザーにとっては昔から変わらない、「ちょっと古い」イメージの一端は担っているかもしれない。
また、現在は企業が独自のデータセンターを持たず、クラウドを利用する時代だ。マイクロソフトはAzureというクラウドプラットフォームを提供している。
Azure上でも、Windowsだけではなく、かつてはライバルとして敵視していたオープンソフトウェアのLinuxなども動くようになっている。すでに企業側の開発者はオープンソースを使用することが一般的になっているという動きに対応したものだ。
マイクロソフト側は、Windowsのライセンス販売で得られる収益を手放した代わりに、Azureを使用する企業にとってのメリットを優先した形だ。こうした戦略で、遅れを取っていた競合のAmazonAWSなどを追い上げている。
スマホ時代の停滞を繰り返さず、クラウド時代に適応するために会社の収益構造を変化させた。それが現在の躍進につながったのだという。
一方で、一般ユーザーとの接点はマイクロソフトそのものは表からは見えづらくなった。これが、一般ユーザーにとってのイメージが改革前で途絶えている理由だろう。
ひっそり組み込まれているAI
同じ現象は、マイクロソフトのAI戦略でも起こっていたようだった。
囲碁の世界チャンピオンを負かしたり、スピーカーに話しかけたら通販でものが買えたり……私達がニュースやコマーシャルで触れる華々しいAIの活躍は数あれど、マイクロソフトがAI企業になっているというイメージはそれほどないかもしれない。
しかし、実はマイクロソフトには8000人以上のAI研究者がおり、その技術は、企業内の技術者だけが使っているのではなく、事業部門や一般ユーザーである全従業員の使用するソフトにまで、すでに組み込まれているのだという。
例えば、とてもシンプルな例としては、PowerPointに文字を打ち込むと、単語を認識するAIが自動的にデザインを提案してくれる。また、プレゼンテーション中にスピーカーの言葉を自動的に翻訳して、スライド上に文字として表示したりする機能は、すでに英語版には実装されているという。
また、企業内などで使用されているTeamsというグループチャット。これに搭載されているビデオミーティング機能には、背景をぼかしたりする機能などが搭載されている。自宅からのオンライン会議への参加の際に、ゴチャついた背景を映してほしくないという要望に応えたものだという。
これらもAIを活用した技術だが、普段使用しているソフトに溶け込んでおり、「AIを使っているという実感」はないだろう。
さらに、テック業界の多くが覇権争いを繰り広げている音声認識のAIとして、マイクロソフトはCortana(コルタナ)という製品も生み出している。
実はWindows10には日本語版にもすでに搭載されているが、これも発売当時にWindowsに搭載するという選択をしたために、「Siri」(アップル)や「Alexa」(アマゾン)に比べた一般ユーザーの知名度は他社に比べていまひとつ。
しかし、ナデラ氏就任後には、ライバルであるAlexaとの連携を電撃発表。アレクサのスピーカーに、Cortanaも搭載することで、Officeとの連携機能を高めてOutlookのEメール読み上げに対応しているのだという。
これも、ユーザーの利便性を高めることで、より自社製品の利用を増やしてもらうという戦略だ。また、BMWの車に音声アシスタントとして搭載されるなど、パートナー企業の中に潜り込んで実は使用されている例も多い。
AIマーケティング担当ゼネラルマネージャーのデービット・カルモナ氏は、「顧客が弊社のテクノロジーの上に何を作るのか。そして、パワーを手に入れイノベーションを生み出すのか。我々のイノベーションだけではなく、車のメーカー、医療機関、小売店、保険会社…。それらのみなさんがAIでイノベーション性を持ったサービスを提供できるように。それが我々のアプローチの仕方」と話す。
しかし、ここで疑問がある。あまりにも「ひっそり」としすぎて、ブランドイメージは保てるのだろうか。
クラウド+エンタープライズマーケティング担当コーポレートバイスプレジデントの沼本健氏はその質問に「BMWの車を操作するために、わざわざヘイ、コルタナってお客さんに言っていただく必要は別にないんです」と言う。
「BMWとBMWのお客様とのエンゲージメントはその方が高まります。お客さんのミッションに合わせた形にするのが一番良いことではないでしょうか?特に、最近のエンタープライズ化はそういう方針で運用しているんです」
そこにも貫かれていたのは、「他の人をクールに」というマイクロソフトのミッションだった。 それは、マイクロソフトがWindowsやOfficeを販売していた頃から一貫してBtoBの企業だったことに由来するようだ。
グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルを総称する「GAFA」などは一般ユーザー向けサービスをしている「見えやすい」企業だ。それに対して、マイクロソフトは「使っている」と気づかないうちに一般ユーザーの生活に潜り込んでいるのだ。
「GAFA」のキラキラした華やかな雰囲気に隠れて、目立たなくなってしまったマイクロソフト。しかし、「ちょっと古い」イメージのままでは、復活した巨人の大きさを見落としてしまうだろう。
マイクロソフトは90年代、独占禁止法違反の疑いで米司法省などから提訴された経験もある。各種の改革には、その痛い経験も活かされているというが、大きくなりすぎた企業が、再び社会と衝突する可能性も否めない。
AIなどのテクノロジーがより市民生活に浸透した現在では、90年代のような他社との競争という観点以上に、より企業側の倫理観も求められる時代となっている。
後編では、マイクロソフトがAIの倫理についてどう考えているのか、担当幹部に話を聞いた。
(取材協力:マイクロソフト)