複数の芸人が反社会勢力の関与するパーティーに出席し、金銭を受け取ったとして吉本興業から処分を受けている「闇営業」問題。
7月19日には、契約解消となった雨上がり決死隊の宮迫博之さんと、謹慎となっているロンドンブーツ1号2号の田村亮さんが吉本興業を介さずに個人で会見を開き、吉本興業の岡本昭彦社長から「(会見したら)全員連帯責任でクビ」「お前らテープ回してないやろな」などの発言を受けたことを告発した。
22日に開かれた吉本興業の会見では、岡本社長がそうした発言を概ね認め「冗談のつもりだった」などと釈明した。
吉本興業や所属芸人と、反社会勢力との関りはこれまでも何度も問題に上がってきた。
「吉本興業百五年史」には、「コンプライアンスの強化に向けて」という項目に、反社会勢力などとの関係について「興行の世界では古くから様々な業界と接点があったことは事実である。しかし、反社会勢力に会社の経営をゆさぶられるような状況では、すでに許される時代ではなかった」などと記されている。
吉本興業は、こうした関係を清算できているのだろうか。これまでの事件と吉本興業の対応を振り返る。
吉本興業取締役「暴力団バックにレコード会社乗っ取り」で兵庫県警が逮捕
1968年1月、吉本興業取締役で元社長の林正之助氏が恐喝の疑いで兵庫県警に逮捕された。林取締役は、吉本興業の創業者・吉本せいの実弟。
この際、林取締役は当時の山口組・田岡一雄組長と組んでレコード会社を乗っ取ろうとしたとして、吉本興業も捜査を受けた。
1968年1月11日の朝日新聞朝刊などによると、当時の兵庫県警の発表では、1961年2月、日本ビクターの下請けとして「マーキュリーレコード会社」を設立した男性に対し、林取締役らは「ビクターの仕事をするには製品を納める会社がなくてはうまくいかない」「山口組の組織があるから、レコードの販売、製造がうまくいくのだ」などと脅しつけ、事実上「マーキュリーレコード会社」を乗っ取った。
その上、建物共同使用協定として、男性から毎月7万円を「家賃」として収集していた。また、この会社の株や、男性らが所有していた食品会社の株などを脅し取ったという。
当時の兵庫県警の調べによると、林取締役らは戦前から興行を通じて山口組幹部と親交を結んでいた。このことから、多額の上納金が長い間山口組へ流れていたとみられる。
事件をめぐっては、吉本興業の元取締役で、経理部長だった男も詐欺や有価証券虚偽記入の疑いで捜査を受けている。
この経理部長の男は、非合法な手続きで資本の裏付けなく発行された株券(ダブル株券)90万株を発行。金融ブローカーへ流していた。
このダブル株をネタにして恐喝を受けた吉本興業から、多額の資金が暴力団に流れていたことも発覚した。吉本興業は当時、一部上場企業だった。
逮捕直後の1969年には、林氏は吉本興業の会長職として復帰。翌70年からは再び社長を務め、1973年から1991年までの長きにわたり、会長を務めていた。
「お笑い界のドン」と呼ばれた林氏が1917年に入社してから1991年の退社・死去までに、吉本興業はエンタテインメントの一大産業をになう巨大な会社へと成長。
林氏が興行に携わっていた時代を振り返ると、戦前には横山エンタツ・花菱アチャコ、漫才ブームでは横山やすし・西川きよしや今いくよ・くるよなど、そして明石家さんまや島田紳助、ダウンタウンら、名だたるスタータレントたちが生まれた。
吉本のお家騒動、反社会勢力と経営陣の距離が変化
1949年に上場していた吉本興業は、2009年に突如上場を廃止する。
上場廃止に先だって2008年、コンプライアンス推進委員会を社内に設置した。この時期、吉本興業と反社会勢力との関係が再び週刊誌を賑わせていた。
吉本百五年史などによると、2007年1月、役員人事をめぐって経営陣が元暴力団員から脅迫を受け、警察に被害相談をする事件が起きた。
創業者一族が経営陣に復帰したいという要求を、反社会勢力の脅しによって実現しようとしたとして問題視された、いわゆる「お家騒動」だ。
両者は週刊誌を舞台とした論戦にまで発展し、吉本興業自体も対応に追われていた。
こうした事態を受け、コンプライアンス推進委員会では「社員、タレントとのコンプライアンス意識の共有」「内部通報制度の創設」などの内容を検討。
そして上場60年の節目に上場廃止を前提にしたTOBに賛同。
当時、大﨑洋社長(現・会長)は産経新聞の取材に「TOBを進めた結果、一部の株主の影響から逃れることができたのは確かです」と答えた。
多くの株式を持ち、経営に大きな影響力を持っていた創業家一族と一定の距離をとることにもなった。
島田紳助の反社会勢力とのつきあい、引退騒動
吉本と暴力団、といえば記憶に新しいのが人気タレントだった島田紳助氏の引退騒動だった。
2011年8月の引退会見では、島田氏が長年暴力団関係者との付き合いがあったことを明らかにした。島田氏は芸能界引退を悩むほどの「トラブル」を暴力団関係者に解決してもらった縁から、付き合いが続き、「お二人がいるから心強い」などとメールを送っていたという。
大阪府警が引退の6年前に山口組系の暴力団幹部の自宅などを家宅捜索した際、島田さんから同幹部に宛てた直筆の手紙や、飲食の場で一緒に撮影した写真などが見つかっていたことも、発覚していた。
大﨑社長は、不祥事や社会的なモラルに反する事件を起こした芸人らに対し厳格な措置を取ることで知られていたが、社長会見で島田紳助氏に対し「いつの日か、私たち吉本興業に戻ってきてもらえるものだと信じております」などと語り、批判を受けていた。
このほか、2012年にはタレントの間寛平さんを脅して金銭を要求した疑いで、元暴力団員が大阪府警に逮捕された。元暴力団員は、1980年代に間さんに仕事をあっせんしており、その際に撮られた写真などをもとに、吉本興業や間さんを脅し、過去の借金返済名目で金を要求した疑いがあったという。
吉本興業は「交流していた間、一般の企業経営者と認識していた。その後、男が暴力団と関係を持つ立場になったと明かし、一切の交流を絶った。現時点では、いかなる暴力団関係者とも交遊はない」とのコメントを発表していた。
パワハラ問題の一方、吉本興業と反社会勢力との距離感も根深い問題
雨上がり決死隊の宮迫博之氏、そしてロンドンブーツ1号2号の田村亮氏が会見した際に発覚した吉本興業社長らによるパワハラ問題。
その一方で、吉本興業は古くから因縁のある反社会勢力との距離感についても根深い問題がある。
今回の「闇営業」問題では、関わった詐欺グループのフロント企業が、2014年に吉本興業が関わったイベントのスポンサーをしていた。
岡本昭彦社長は、吉本ではなく都内のイベント会社が主催したもので、吉本側は「依頼を受け、タレントを派遣した」という形だったと説明。
イベント会社が反社会的勢力とつながりがないことを確認したものの、そのスポンサーの一つが詐欺集団のフロント企業だったことは知らなかったと弁明した。
吉本興業は近年、法務省や教育分野、地方自治体や国連などと様々な啓発企画に携わっており、今回の事件や岡本社長の発言は、かつてのダークなイメージからの脱却姿勢がみられていた矢先の発覚となってしまった。