小学生の時に、父が失業した
容姿や学歴などに劣等感を抱くことは誰にでも起こり得ることではないだろうか。
誰かと比べてしまう、比べられてしまう。競争社会のいたるところにその罠は仕掛けられていて、自分を見失いそうになる。
…冒頭をこんな風に書きだすと、私にはコンプレックスなんてないように思えるだろう。しかし、当然のように私にもコンプレックスはあった。
私が小学生の時に父が失業し運転手の仕事を始めたこともあり、決して裕福とは言えない家庭だった。私は高校生までパブリックスクール(公立校)で過ごし、アイビーリーグの一つであるダートマス大学に合格した。家族にとっては誇りであっただろうし、私自身もとてもうれしかった。
ご存知の方もいると思うが、アメリカの大学生はローンを組んで学費をねん出する。アイビーリーグの学費はおおむね年間500万円程度だといわれているが、これには教科書代や寮費、飲食代は含まれていない。これらを4年間分で計算したら2000万円はくだらないことがわかるだろう。学生がいくらアルバイトに精を出したとしても在籍中に到底払える額ではないのでローンを組まざるを得ない。このローンは就職してから本格的に払うことになり、支払いに圧迫されている人も少なくない。
私の家庭は裕福ではなかったから、自分でローンを組んで、さらに奨学金を手に入れて大学が斡旋するアルバイトに精を出した。アルバイトは図書館勤務やトイレの掃除とあまり華々しいものではなかったが学費の足しになることは何でも頑張った。
貧しいことは悪いことではないのに…
今思えばとても誇らしい思い出であるが、入学当初は私の境遇を友人に打ち明けることもためらった。なぜなら、同級生はとても裕福な家庭で育っていて、アルバイトをする必要がないのに、私は寸暇を惜しんで働いていたから。友人と食事に行くときはメニューを見ては、「これは〇時間分の時給と同じ」と常に遊んだ分の補填を考えた。遊んだり食べたりしたお金は割り勘だったから、いくらくらいになるだろうかとハラハラした。
友達と親しくなれば当然、家族の話も出てくる。父親はどんな仕事をしているかと聞かれるたびに、友人たちの父親の住む世界との違いを感じて話すのをためらった。
貧しいことは悪いことではないのに、人と違う境遇であることが若い私を悩ませた。
大学一年生の時はこの考えから抜け出すことができなかったが、学年が上がるにつれてその影はだんだんと薄れていった。
私は一生懸命勉強し、成績を上げることで自信をつけることを覚えたのだ。勉強すればその分だけ周囲からも認められるようになった。そして、友人たちは私が貧しいからと去ることはなく、むしろ、「そんなのは友人関係において何の関係もない」と断言してくれた。本当にうれしかった。
ところが、大学で勉強を味方につけ前を向いたにも関わらず、私はハーバード・ロースクールへ進学し、また同じコンプレックスに悩まされることになる。大学同様、アルバイトをしながら勉強しようと考えていたが思い通りにはいかなかった。ロースクールの勉強は想像を超えるほどハードでアルバイトをする時間すら取れなかったのだ。全学費をローンで賄うしかなく、財布の中身を気にしながらの生活を余儀なくされた。貧しいことは悪いことではないと実体験をもって理解したはずなのに、周囲と違う境遇に思い悩んだ。コンプレックスはそう簡単に拭い去れるものではなかったのだ。
親としての迷いのなかで
こうした経験は私の弁護士としての活動にも非常に役立っていて、裕福でなかったからこそ、多くの陪審員たちと同じ価値観で物事を考えられる。同じ苦労をした人の気持ちが痛いほどよくわかるからだ。感情は理屈を超えて人を近づけるし、理解しているとわかると相手は心を開いてくれる。だからこそ、今はこうした過去の境遇が誇らしいと思える。
実はいま新たな悩みの種がある。我が子には苦労をさせたくないという親心も手伝って、私と同じような苦労をさせていないことだ。この世の中には様々な境遇の人がいる。その人たちすべてに共感できるようになれとは言わなくとも、やはり一人でも多くの人の気持ちや境遇を理解できる人として成長してほしい。親心とは複雑なものである。
周囲の人とは違う境遇で育ち、せつない思いもあったけれど、自分の得意な勉強に打ち込み、実績を作った。そして、何よりそれを成し遂げた自分を信じることが「自信」につながった。コンプレックスはそう簡単に拭い去れるものではないかもしれないが、乗り越えた自分の存在を信じて日々を過ごしている。
(編集:榊原すずみ @_suzumi_s)