BPO(放送倫理・番組向上機構)では「委員会決定」というのは、裁判でいうなら「判決」にも等しいものだ。
BPOは、7月5日(金)、日本テレビ『世界の果てまでイッテQ!』をめぐって放送倫理検証委員会の「決定」=「意見」を発表した。それを受けて新聞、テレビ、通信社などの各メディアは「放送倫理に違反」などの見出しを掲げて報じている。結論としては、刑事裁判にたとえるならば、「有罪判決」に当たるようにみえる「放送倫理違反」となったため、その結論だけを短く報じている。
だがテレビ業界の常識からいうと、今回のBPOの決定文書をよく読んでみると、従来に比べて“大甘”だと表現してもいいくらい厳しさに欠け、また放送の未来についての見識などを感じさせない文章だといっていい。
「同じようなことをやったのに、これではフジテレビがかわいそうだ」など批判の声がテレビのバラエティ制作の関係者からも聞こえてくる。5年前のフジテレビ『ホコタテ』が“ガチンコ勝負”をうたっていたのに恣意的な編集や場当たり的なルール決めを行ってBPOの同委員会から「重大な放送倫理違反」とされて強く反省を求められたのと比べると、はるかに軽い決定だといえる。
「フジテレビがかわいそう」
そんな声も民放関係者からは聞こえている。
委員会決定の評価基準が不明で、論理の一貫性もないように思える。そんなことでは放送業界ではBPO決定というものに重みを感じなくなるに違いない。
こんな声がおおっぴらに聞こえてくるようであれば、今後はBPOの言うことなど放送業界でももう誰も聞かなくなってしまうだろう。
BPOという組織はその権威が大きく傷ついている。では、今回BPOが出した「決定」は何が問題なのか?
刑事事件裁判の判決と比べていった方が理解しやすいので、そうしながら解説していきたい。
まずは刑事裁判であれば、判決文の「主文」にあたる、委員会決定の要旨を見てみよう。
ここには驚くような表現がまず書かれている。
「程度は重いとは言えないものの有罪」だって? そんな“判決”があってもいいのか?
もし刑事裁判ならば、そんな判決文があるだろうか。「白」か「黒」かと言えば、「黒」だけど、その程度は重くないのだと言う…。
こんな判決を言い渡されたら、被告人は反省するのだろうか。通常はむしろ逆だと思うのが自然な考え方だと思う。
BPOのこれまでの委員会決定でも、「程度は重くないが放送倫理違反」という表現は筆者が知る限り今回初めて聞いた。
だって、変ではないか?
「重くはないけど有罪」なんて言いますか? もしもそういう判決文を書く裁判官がいたら、そもそも信用できますか?
つまり判決文なら主文にあたる結論部分で「重いとは言えないものの」などと加えることでBPOの決定文が信頼できるものではないと誰もが思うようなものになってしまったのだ。
細かい検証部分を読んでみよう。
週刊文春がスクープで暴いた「ラオス・橋祭り」と「タイ・カリフラワー祭り」はどちらも「年に一度の祭り」などではなく、地元に根差したものではなかったことが判明した。
社会の常識では、「年に1度の地元の祭り」と表現して、実は事実が違ったということであれば「ねつ造」ということになるはずだ。それはバラエティーだから許されるというものではない。事実でないこことを「事実」として放送したのである。
これについては、すべて現地のコーディネーターに委ねていた、という流れで説明され、それをチェックする立場である制作会社のディレクターや日本テレビのプロデューサーのチェックがどこまで適切に行われていたかについては、
(「橋祭り」については)Xディレクターは、現地でコーディネーターに確認したというが、具体的にどのような表現で確認がされたのかは明らかでない
とか
「カリフラワー祭り」の過去の開催実績について、Xディレクターは、収穫競争が毎年行われている認識であったと述べているが、具体的にどのような方法で確認したのかは明確ではない
などとして、それ以上の事実確認をしていない。
「明らかになっていない」ということが多すぎる!
つまり、Xディレクターについては、故意だったのか、本当に知らなかったのかは今も明らかになってはいないのだ。
局側のチェックについての検証は驚くほど甘いと言ってもいい。
この日、BPOの放送倫理検証委員会の『イッテQ!』問題についての「意見」公表にタイミングを合わせ、日本テレビも社内調査の結果を公表した。
全体としてはBPOの「意見」で登場する検証のプロセスは、日本テレビの社内調査を踏襲して追認しているだけで、BPOとして独自の検証はほとんど行っていないように思える。それなのにBPO側は記者会見で記者の質問に答えて、升味佐江子委員長代行が「やらせやでっちあげには当たらない」と見解を示したと日本テレビがニュースで伝えている。まるで用意されたような筋書きのニュースではないか。そう考えるのが放送業界の「外」にいる人たちの素朴な感覚だろう。
だが、升味委員長代行が示した結論では「根拠」が明確に示されず、かなり甘い評価だと言わざるをえない。
過去のBPOが出した決定と比べてみると、その甘さは歴然としている。
同じように「ガチンコ勝負」をうたったバラエティー番組のねつ造疑惑で振り返るなら、フジテレビの『ほこ×たて』ラジコンカー対決と比べてみれば対応の違いは明確だ。
フジテレビ『ほこ×たて』のラジコンカー対決が2013年の放送でねつ造疑惑が浮上。2014年にBPOの放送倫理検証委員会は以下のような決定を公表した。
「重大な放送倫理違反」という言葉は番組の存続が困難といえるほど、完全なアウト。根本的な「有罪判決」それも「実刑判決」と言ってよい。『ほこ×たて』の場合は疑惑が発覚してしばらくのちにBPOの意見公表を待つことなく、番組打ち切りとなった。
なぜフジの『ほこ×たて』は完全なアウトで、日テレの『イッテQ!』はきわどいセーフのような表現になったのだろう。
その背景にはBPOの態勢が大きく変容したことが挙げられる。
まずBPOの放送倫理検証委員会ではメンバーの顔触れが大きく変わった。名委員長の評判が高かった川端和治委員長(弁護士)をはじめ、テレビディレクター出身の映画監督・是枝裕和氏やジャーナリストの斎藤貴男氏らが交代になった。
BPOは、NHKと日本民間放送連盟(民放連)が出資して運営されている自立的な放送倫理遵守のための組織である。放送業界の「身内」で運営されているだけに、外部から余計な疑念を持たれないように委員の人たちが努力してきたことを筆者は知っている。
川端さんにも是枝さんに筆者が話を聞いた際も、こういう組織だからこそ身内に甘いと思われることがないよう、一つひとつの文章の表現にも厳しく、かつ丁寧な表現に努めていることを話していた。
ところが彼らが去ったせいなのか、BPOの「意見」の文章もかつての格調の高さや真実性への真摯な姿勢はどこかに消えてしまったらしい。
「今回の『イッテQ!』は事実上許されて、以前の『ほこ×たて』がアウトなのはなぜか? 説明がつかない」
そう言って、今回のBPOの「意見」への不満を漏らすのは民放でバラエティー番組のプロデューサーを長く務めた人物である。
「これじゃあ、フジテレビがかわいそうじゃないか」
確かに彼の言う通り。『イッテQ!』と『ほこ×たて』は結果的に番組でウソをつき、視聴者を欺いていたことでは共通する。
その意味では『イッテQ!』も、本来はない祭りをある祭りだとして「ねつ造」していたと表現しても過言ではない。
『イッテQ!』についてのBPOの放送倫理検証委員会の「意見」公表に伴っての記者会見では、前述したように升味佐江子委員長代行が「やらせやでっちあげには当たらない」と見解を示した。しかし、この会見の場にいた新聞記者数人に聞いたところ、記者たちの間では「モヤモヤ」「違和感」などが渦巻いていたという。
筆者も『ほこ×たて』と『イッテQ!』とで、審議の結果がこのように分かれたことには納得感を得られないままだ。
意見書の全文を読んでも、途中までの検証は同じように進んでいるのに、最終的な結論の部分で両者の扱いが大きく異なっている。
地盤沈下が叫ばれているテレビなどの放送メディア。
そこでの「お目付役」として目を光らせて、視聴者らの信頼確保につなげるためにあるはずのBPO。
そのBPOの判断がブレている。
元々、法律的には強制的な権限はないBPO。あくまで権力ではなく、「権威」でこれまでは放送局側を従わせてきた。BPOがブレて、視聴者から見てもよくわからない判定を続けるようになれば、ますます「テレビ離れ」が加速するに違いない。
「ダブルスタンダードではないのか? こんなBPOならばまともに意見を聞く必要はない」
あからさまにそんな声までテレビの関係者から聞こえてくるようになった今回のBPOの「意見」公表だった。
繰り返すが、BPOの存在意義や権威は、放送法などの法律の基づくものでないだけに、毎回毎回の対応や姿勢によってデリケートに形づくられてきたものなのだ。
今回の『イッテQ!』についての意見書が取り返しがつかないほどBPOの権威を地に落としてしまったことは間違いないだろう。
(2019年7月6日ヤフー個人より転載)