嫉妬、怒り、劣等感、不安などを両手いっぱい抱えていたはずなのに
ハフポストの編集者から「コンプレックス」を題材にして文章を書いてもらえませんか?
こんな依頼を受けた。
そして私は返事をする。
「いいですよ、ぜひ書かせてください」と。
それから自分の歴史と、それにまつわる「コンプレックス」の所在について頭を巡らした。
いつもなら、自分が見たもの聞いたことをもとに、文章が溢れ出てくるのに。今回はまったく筆が進まなかった。考えても考えても、言葉が出てこない。
どうしよう、どうしようと焦るばかり。そして締切は迫る。
困った。困っても、書けないものはしょうがない。だから書けないっていう今私が直面している問題について、以下記すことにしよう。と苦し紛れに決めた。
コンプレックス。
心理学者や精神科医ではない私たちがこの言葉を使うとき、言葉に染み付いたイメージのせいか、思い浮かべるものは人それぞれである。
ある人にとっては、重く苦しいどろどろしたもの。
別のある人にとっては、バネにして成長を促せられるもの。
単語にしてみるならきっと…嫉妬、怒り、劣等感、短所、不安だったりで。
いつも思う。言語化とは、自分の感情をはっきりと理解するということ。でも今の私にとってコンプレックスという得体の知れない「何か」は、とても言語化という手段でこの手にすることはできないのだ。
コンプレックスについて何かを書いてくださいとお願いされた瞬間、私はこれまでコンプレックスと共に生きてきたもんだから、記憶をちょろっと紐解けば、自分を納得させるようなエピソードが、わんさか出てくるんだろうと思っていた。
でも、違う。何も出てこなかった。
「今この瞬間」にたどり着くまで、嫉妬、怒り、劣等感、短所、不安などを両手いっぱい抱えていたはずなのに。だからなのか? 私のコンプレックスって何なんだろうと考えてみても、分かりゃしない。たぶん、それは多すぎて大きすぎて。
いくら考えても言葉が出てこなかった私は、数学がまるでできなかった高校生のときをふと思い出した。担任の先生は放課後一緒に教室に残って、問題の解き方を教えてくれようとした。手始めに先生は私に問う。
「何がわからないんですか?」
「わからない所が分からないんです」
それでも先生は、なんとか私の助けになりたいと、懇切丁寧に教科書を開き、問題の解き方を説明していく。それを私は俯瞰するようにただ見ていた。先生の声が頭に入ってこない。だってわからないところが、分からないんだもん。
どこでつまづいたんだろう? 何がきっかけだったんだろう?
コンプレックスに感じていたことはHSPだと知った
今回コンプレックスに向き合ったときにも、まさにそれと同じことが起きた。何がコンプレックスなのか。自分に対するネガティブな視点を、どこで得たのか。
例えば私は人に気を遣いすぎるところがあって。嫌われたくないっていう思いから、全方位にいい顔しすぎてしまう。だから人前から離れてひとりになったとき、精神死んでるということが多い。気疲れというやつだ。そんな自分のことをコミュ障だなぁとか、もっと自然体で人間関係を作っていきたいのになぁと思ってきた。
でもある日、自分がコンプレックスに感じていたことはHSP(Highly Sensitive Person)と呼ばれるらしいと知った。私は「人の気持ちを過敏に読み取ってしまう、繊細な心を持っている気質」という“ラベル”を、ネットの診断テストを受けて頂戴した。
これまで私が抱えていたコンプレックスは第三者によって言語化されて、枠の中に収めてもらったのだ。不思議な感覚だ。
ネットの中では日々、顔も名前も知らない人たちが、おのれが持つ苦しさを言葉にしていく。そこに自分の苦しさを重ね合わせてしまえば、なんとなく私が持つ正体不明の苦しさをつかめた気がして、気が楽になり、なんとなくそれでいいのだと思えてくる。そうやって私は自分のコンプレックスと付き合ってきたように思う。
でも、今回は自分のコンプレックスに向き合うという時間を与えられた。私の考えを書かなくてはいけない。誰かの言葉を借りることができない。そして初めて、私は自分がどんなコンプレックスが何で、どうなっていて、いつから現れて…、ということを実は何もわかっていなかったと知ったのだ。
そもそもコンプレックスなんて自分の中にはなかった
なぜ、自分の中にコンプレックスが存在しないんだろう。
よし、いいぞ。ここまでたどり着いた。
おのれを振り返り、心の中を深く掘り下げてもコンプレックスが何か分からなかった。自分の中にコンプレックスが存在しないのなら、もしかすると…。
そう思い、軽い気持ちでこれまで出会った人たちの顔を、言葉を、それから生き方を思い浮かべてみた。
すると、コンプレックスは溢れてきたのだ。
あの子と比べると、鼻が低い
同期のライターは本を出した
お金持ちの彼と結婚した同級生
みんなから好かれている先輩
わぁ、すごい勢い。私に向かって流れてくる濁った感情たち。
濁流に飲み込まれそうになりながら、私は気づく。
なるほど。そもそもコンプレックスなんて自分の中にはなかったのだ。探しても見つからないわけだ。コンプレックスは外にある誰かと私が、反応し合うことで生まれてくる。誰かがいないことには、存在し得ないものなんだって。私の外からやって来る。
我ながら大発見、だ。私のコンプレックスは、私自身が生み出したものではない。でも、だからと言って、自分だけの世界に閉じこもるわけにはいかない。人とつながって、人の助けをもらって生きているから、私。
ただ、ひとつ、肩の荷がおりた。正体不明の「コンプレックスという概念」がどこからきたのか、正体がはっきりしたから。
これからも生きていく限り、コンプレックスが私を襲うことが何度もあるだろう。誰かと比べて、生きていくのが嫌になる夜があるだろう。でも、大丈夫。それはきっと雨のように私を濡らし、濁流を作り、私を飲み込んだとしても、必ず去っていく。そう思えばやり過ごせる、そんな気がした。
コンプレックスまみれの私の中には、コンプレックスはひとつもないのだから。