42歳で独身、子どもはいない。隠しきれなくなったコンプレックスと向き合った

「未婚・子なしがコンプレックスなんてすごくみっともないし、そんなことを大っぴらに語るだなんてプライドが許さない」と思っていた。そんなことをオープンにしたら、傷だらけになって、私が私でいられなくなる気がして…。
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いつも見ないふりをして、逃げていた

 振り返ってみると、この42年間、コンプレックスだらけの人生でした。

手先が不器用で、女なのに家庭科の成績が悪かったこと。

運動神経がなくて、体育が苦手だったこと。

人前で話すと、しどろもどろになってしまうこと。

胸が小さいこと。

内気で、友だちをつくるのが下手くそなこと。

子どもの頃にできた、額にある傷ふたつ。

目が悪くて、分厚いレンズのメガネをかけていたこと。

氷河期といわれる時代に就職活動をして、非正規のキャリアが長いこと。

飽きっぽい性格。

アトピー性皮膚炎で、同級生みたいにお化粧ができなかったこと。

挙げれば、きりがありません。どんどん出てきます。状況や環境が変わり、いつの間にか自然消滅したものもあれば、今でも見ないふりをして逃げているものもあります。闘って克服したコンプレックスは、たぶん、ありません。

 そんな私ですが、半年ほど前にハフポストに入社して、見ないふりをしていたコンプレックスがむくむくと大きくなっていくのを感じるようになったのです。

 それは、未婚・子なしコンプレックス。

ハフポストでは、家族や子どもをテーマにした記事がたくさんあります。夫、子どもという言葉を目に、耳にする機会が格段に増えました。これまでも女性誌の編集に携わったことはありますが、いずれも読者はシニア女性。夫や子どもにちなんだ記事を何十、いいえ百は優に超えるくらい作ってきたけれど、世代が自分とは大きく違っていたので、へいちゃらでした。

でも、ハフポストの記事は違います。自分と同年代の女性たちが直面する、夫や子ども、家族にまつわる問題がテーマです。記事を見ながら、「結婚もしていない、子どももいない私には関係ないわ」と見て見ぬ振り…を繰り返す日々。

 でも、見て見ぬ振りばかりもしていられません。ハフポストの人気連載、村橋ゴローさんの育児ブログの担当を務めることになったり、生後間もない子どもを連れて台湾を旅行する田中伶さんに取材することになるなど、結婚や子育てがテーマの記事に携わる仕事が当然出てきます。

「結婚もしていない、子どももいない私に、ちゃんと編集ができるだろうか」

20年近くの編集者人生の中で、はじめて抱くような不安、迷いが生まれました。

そして、思いました。これは、認めなければならない。今の私は、未婚であること、そして子どもがいないことがコンプレックスになっている、と。

ドロドロした自分の感情が怖い

 結婚しないと決めたことは一度もありません。子どももできればほしいと思っていました。

それなりに恋愛もしてきたし、男性と一緒に暮らしたことも何度かあります。30代の半ばくらいまでは、自分が結婚する未来、子どもを持つ未来にまったく疑いを持ちませんでした。でも、今の私は、結婚していないし、子どもも産んでいません。

 こんなことをいうと、「仕事を頑張ってきたのよね」「仕事で忙しかったんでしょう」と言われたりもします。

確かに、私は編集という仕事が大好きです。頑張ってもきました。忙しい日々を送っています。でも、だから結婚しなかったわけではありません。そんな言葉をかけられるたびに、なんだか不思議な気持ちになります。そういうことではないんだよな、と。42年間、生きていくことを積み重ねていった結果、自然とこうなっていただけなんだよな、と。

コンプレックスを自覚してから、そんなことをぐるぐる考えることが増えました。

 「ひとりだと自由でいいね」「お金も時間も自分のためだけに使えるなんて、うらやましい」。そう言われることも、多いです。おばあちゃんになってから死ぬまで生きるお金を、自分一人で稼いでいけるかという不安でがんじがらめになることもあります。だから、お金もそうそう使えません。「今日は朝から誰とも話していない」と夕方になってはたと気づく休日の、なんとも言えない感じ、わからないでしょう? そんなドロドロとした自分の気持ちが怖いと感じるようになりました。

 そして極めつけ。ある夜、夢を見ました。母親に「せっかく女性に生まれたのだから、子どもくらい産んでおけばよかったのに」と言われる夢でした。この言葉は、いつぞやの誕生日に実際に母から言われたもの。目覚めた私は、手足ともに指先が冷え切っていて、涙も出ないくらい衝撃を受けていました。

 これは、まずいな。なんとかしなくちゃいけないな。だって、ハフポストの仕事は楽しいし、一緒に働いている人たちのことを尊敬していて、大好き。こんなコンプレックスでへこたれるわけにはいかない。

 でも先程も書いたとおり、私はこれまでコンプレックスと真正面から向き合ったことがありません。見ないふりをして逃げてきました。他の人は、どんな風に闘ったり、向き合ったりしているのだろう。知りたくてたまらなくなりました。そこで、「コンプレックスと私の距離」という企画を立ち上げることにしました(もちろん、それだけが理由ではないけれど)。

「いろいろな人のコンプレックスと、その向き合い方を特集すれば、コンプレックスに悩んでいる人のヒントになるのでは?」なんて偉そうなことを企画説明で口にしていましたが、実際のところ半分くらいは自分が楽になりたいからだったりもします。

 そんなわけで、こうして「コンプレックスと私の距離」を考えるブログを書いています。実はこの原稿の前に、別のコンプレックスについて当たり障りのない感じでまとめたものを8割くらいまで書き上げていました。「だって、未婚・子なしがコンプレックスなんてすごくみっともないし、そんなことを大っぴらに語るだなんてプライドが許さない」と思っていたことに加え、そんなことをオープンにしたら、傷だらけになって、私が私でいられなくなる気がして書けなかったのです。

 ところが昨日、思い切って同僚に打ち明けてみたら、思いもよらぬ質問を投げかけられました。

「もし産めたら、産んでた?」

私は一瞬、言葉に詰まったけれど、「うん、産んでたと思う」と答えていました。悶々と自問自答するのではなく、同僚にそう言えたことで自分のなかで何かが大きく変わった気がしました。

そうだ、私は子どもを産みたかったし、今でももし、そういう機会があれば産みたいとすら思っているんだ。結婚していて、子どもがいる同年代の人たちをうらやましい、と思っているんだ、私は…。

思いがどんどん溢れてきます。そして帰宅後、私は書きかけていた原稿を削除。私の“本当のコンプレックス”を書こう。そう決めたのでした。

逃げたところで、ついて回る問題ならば…

 「未婚・子なしがコンプレックスなんです」

そう表明することはとても大きな一歩。だけどそれだけでは、日々の仕事の中で感じるジクジクした痛みが消えることはないと思います。でも考えてみてください。このコンプレックス、自分一人では解決しようがないのです。相手がいないことには始まりません。年齢的なことを考えると、結婚は別としても出産はなかなか難しいのが現実。これまでのコンプレックスみたいに、自然消滅してくれそうもありません。そうなると、ずっと付き合っていくしかなくなってしまいます。

 では、私にとってベストなコンプレックスとの距離はどれくらいなのか。正直、まったくわかりません。無理に距離を詰めたら自爆しそうだし、仕事にも関係している以上、あまり距離をとることもできないのです。ただ、ブログを書きながらふたつ、決めたことがあります。

 ひとつ目は、これからも真摯に、そして積極的に「夫や子ども」がテーマの記事をやっていくこと。逃げたところで、ついて回る問題ならば、結婚とは? 子どもとは? 子育てとは?を、徹底的に考えてみようと思います。自分は持てなかったものを築いている人たちへの嫉妬心が、仕事を通して別の何かに変わりますようにと期待を込めて。

 ふたつ目は、その一方で「独身」「子どもがいない」人たちの記事をたくさん作ること。幸い、私は編集者です。未婚・子なしの自分は将来どうなるんだろう? 淋しさとどう向き合えばいいんだろう? そんな疑問を多くの人と共有する記事を作ればいい。たとえ「羨ましい」という気持ちは消えなくても、ひとりでいることの不安や悩みは薄れていくかもしれません。

 闘うわけでもなく、見ないふりをするのでもない。今まで挑戦したことのないコンプレックスとの距離を、これから私は作っていきます宣言を、ここに高らかに。

Hummingart Studio

 コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人…。

それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら…。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。

ぜひ、皆さんの「コンプレックスとの距離」を教えてください。

現在、ハフポスト日本版では「コンプレックス」にまつわるアンケートを実施中です。ご協力お願いします。