「両立」って、誰のものだろう。
「仕事と子育ての両立」は、数年前までの私にとって、最大のテーマだった。
仕事を終えて保育園に直行しても午後7時過ぎ。必死で走って迎えに行ったのに、保育園から「帰りたくない」と泣きわめく息子。
後から“お迎え”のお友だちにも次々と抜かれていく。保育園の入り口にしゃがみ込んで意地を張る息子を無理に自転車に乗せることもできず(暴れて危ないので…)、途方に暮れた。
「先生たちが帰って保育園が真っ暗になると、“カッパおやじ”が来ちゃうよ」
「早く帰らないと、ここは鬼が通る道になるんだよ」
20分くらい延々と説得する合間には、時折こんな脅しも混ぜた。
少しでも私の苦労を味わってもらいたいと、まだまだ仕事中の夫に息子を説得するよう電話で訴えたこともあった。
「おかあさん」よりも先に「しぇんしぇ」を口にした。
お迎えに行っても喜んでくれない。
言葉で説得すべき時に、禁じ手の「鬼」で脅してしまう。
午後9時を過ぎても子どもを寝かせられない。
こんなことに、いちいち「母親失格」かも…と自分で自分を責めた。
何より、この罪悪感を子育てのパートナーであるはずの夫と分かち合えないことが辛かった。
ーーーなんてのは、もう5年以上前の話だ。
小学生になった息子にとって、初めての言葉が「しぇんしぇ」だった、保育園に迎えに行くと帰りたくないと泣いた、というのはもはやネタの一つ。
夫とは話合い(ケンカともいう)を重ね、次男の出産時には3週間の育休を取ってもらった。
以来、家事も育児も夫婦間の分担はハーフハーフに。
長男の夕食に「隠し味は塩」といって平然と白米だけを出していた彼は、今では子どもたちに「何を食べたい?」と聞いてから調理する術を身につけた。
もちろん、私自身も母親として図太くなったのだろう。
子育てや家事を、家族以外の誰かに任せることにためらいがなくなった。
子どもも大事だけれど、同じくらいに仕事も好き。
そんな風に思ってしまう自分を許せるようになった。
週に1度はベビーシッターサービスも利用した。必要なら病児保育も。
「両立」で悩む頻度は激減した。少なくとも、「両立」は母親である私1人が抱えるものではなくなった。
男子学生に家事は無理だろう、と勝手に決めていた
我が家のオペレーション事情を明かすと、平日5日のうち2日は私、2日は夫がお迎えを担当している。
残り1日は、大学生の男の子にシッターとして来てもらっている。
彼、松田直人くんと知り合った経緯は割愛するが、松田くんと家族を引き合わせた日の衝撃は忘れられない。
松田くんはスリールという共働き家庭と学生をつなぐ「ワーク&ライフ・インターン」の経験者。なので、保育園のお迎えや自宅での見守りは任せられるだろうと期待していた。
それでも、1年と少し前の私は、まだ”男子大学生”を見くびっていたのだ。
「夕食は朝作り置きしておくから、それを食べてね。作る時間がなかった日は、子どもたちとコンビニやスーパーにお買い物に行ってもらって、みんなで好きなお弁当を買って食べてもらってもいいからね」
事前に夫婦で決めておいたことを伝えると、松田くんは戸惑ったように「え? 僕作りますよ」と言った。
「お預かりの前日にメニューと材料を伝えるので、冷蔵庫にないものを教えてくれれば、買い物をしてから保育園に迎えに行きます」
これには驚いた。「料理できるの?」と聞けば、「クックパッドやクラシルを見れば…」と、『字が読めれば誰でも作れるでしょ』みたいな返事が返ってきた。
実際、前日の夜になると、必ずメニューと食材確認のメールをくれる。子どもたちから「次はアレにして」とリクエストすることもある。
親でも先生でもお友達でもないからこそ、築ける関係
先日、松田くんが来てくれた日に、私が自宅で仕事をしていたことがあった。
帰宅後すぐに、松田くんは食材をキッチンに並べ、炊飯器にご飯をセットし始める。
両親の時は食事が済むまで入らないのに、次男はキッチン横のお風呂へ。
次男は10秒おきに浴室のドアを開けて、「松田くん!ご飯できた?」「ねえ、もうご飯?」「ご飯、まだ?」。
松田くんは笑いながら「まだだよ」と声をかける。
最初は微笑ましく見ていたが、私だったら「シャワーがもったいないでしょ!」「いいから早く出なさい」と返してしまいそう。
炊飯器をセットしたころ、カラスの行水のごとく、次男が飛び出てきた。
松田くんは次男に着替えるよう指示しながら、長男に「卵割って」と声をかける。
「お手伝いする!」とやる気満々の次男には野菜を洗ったり、卵をかき混ぜる作業を。
もちろん、実際には子どもたちが手伝わない日もあるらしい。
「今日は全然お手伝いをしてくれなかったので、次回は声のかけ方を工夫したいです」
「ご飯をまったく食べてくれなかった」
こんなレポートが届く日もある。
この日も唐揚げ丼の上に乗っていた長ネギが「辛い」「きらい」と大不評。
次々に松田くんのお皿に自分のネギを乗せていた。
私にとっては、松田くんがバイト後に送ってくれる報告レポートも楽しみの一つだ。
ある日のレポートを紹介したい。
いつものことなのですが、〇〇くんは何かを説明しているとき、目がキラキラしていますね。しかも、説明する際に必ず登場人物の気持ちになったり、自分が当事者となって話してくれます。またテンションが上がったときは必ず1人で演技をしてくれます。
(中略)
ベイブレードでも相変わらず、一戦一戦終えるごとにリプレイを口と手を使って説明してくれます。目の前で僕も見ているはずなのですが、まるで僕が全く見てなかったかのように戦いの模様をイチから全て話してくれます。
これまでに途中でチャチャ入れてしまったこともあったのですが、今日改めて、どんな内容、説明の仕方でも途中で質問しない、最後まで聞くを徹底しようと思いました。
今日の〇〇ちゃんは僕や〇〇くんの言ってることが難しく、理解に苦しんでいることが多かったです。
例えば、「松田くんは今小学校に通ってるの?」聞かれたので、「大学生だよ。小学校が終わったら、中学校、高校、大学とあるんだよ。」と説明したり、僕ができる限りの大学の話をしたのですが、最後の最後まで、〇〇ちゃんは「ということは、松田君は小学校に通ってるんだよね?」と言っていました。笑
他にも、体重計で体重を計っていたのですが、〇〇ちゃんはそれで手の大きさも測定できると言って、手を当てていました。もちろん、体重計なので、数字は出てくるのですが、その数字は手を体重計に置いたときの重さです。僕と〇〇くんは、「それは重さだよ」と言ったのですが、〇〇ちゃんにとっては、手を置いて目の前に数字が出ているので、それが手を大きさの値であるはずだと信じていました。結局、「僕の手は117だよ!」と教えてくれました。笑
長男に「松田くんとどんな話したの?」と聞いても「秘密」と教えてもらえないのだけど、実際には驚くほど細かく松田くんが報告してくれる。
「好きな子いる?」「告白されたことある?」「両思いになったことは?」と、恋愛トークに花が咲くこともあるらしい。
いつかは、私が帰宅すると長男が泣いていたことがあった。松田くんは困り顔。
「結婚しちゃダメ」
「就活、失敗して」
「どうしても就活するなら、ハフポストにして」
要は、「ずっと家に来て」と言いたいのだ。
少し繊細なところがある長男は、松田くんが就職活動の話をしたとたん、いつか訪れる別れの日を想像したのだろう。
松田くんが「そんなこと言うけど、いつか『もう来んな!』とか言うんじゃない?」と茶化すと、怒ったように「絶対そんなこと言わない!!」と長男。
続けて松田くんが「でもさぁ、オレも結婚も就職もいつかはしたいんだけど…。結婚式に呼ぶから来てよ」と生真面目に返しても、泣き止まない。
結局この日は、松田くんを見送ることもせず、泣きながらベッドに入った。
別の日には、次男が「大きくなりたくない、ずっと子どもでいたい」とメソメソし始めたことがあった。
家族4人で過ごしている時のこと。みんなで、「なんで?どうしたの?」と尋ねると、「大人になったら、ヒゲが生えるんでしょ。おじさんになるんでしょ」。
夫が大笑いしながら「松田くんは大人だよ。松田くんみたいになるのは嫌?」と尋ねると、「松田くんも大人なの?松田くんはかっこいい」と泣き止んだ。
子育ても、働き方も、人生の「正解」は一つではない
「両立」って、誰のものだろう。
少なくとも、母親だけのもの、女子学生だけのものではない。
「両立」に悩むのは女だけはない。もう、とっくにそんな時代は終わったのだ、ということを、私は夫や松田くんから教わった。
外に目を向ければ、私が子育てしながら働くことに罪悪感を1人で抱えていた頃とはまったく違う景色が広がっている。
マタハラと同じようにパタハラが大きな問題として認識され始め、「男性育休」が政治の場で語られるようになった。
スリールが9年前に「ワーク&ライフ・インターン」を始めた当初、プログラムに参加する男子学生は1、2人だったという。現在は、4分の1が男子学生。地域によっては5割が男子、ということもあるという。
スリールと同じように若者と子育て家庭をつなぐ、manma(マンマ)の「家族留学」というプログラムでも、男子学生やカップルでの参加が年々増えているらしい。
就職や結婚、出産という人生の選択のタイミングで、自分はどんな風に在りたいかを考えた時、みんなはどんなイメージを思い浮かべるだろうか?
学生時代の私がイメージできたのは、自分の両親だけだった。
専業主婦の母と仕事一筋の父は当時の私にとってまったく参考にならないから、就職活動の時に思い描いた働き方は、どちらかといえば父親の姿。
『結婚は縁があれば。子どもは特にはいらない』
そんな風に考えていたし、そのように就活の最終面接でも伝えた。
でもいざ、子どもが欲しいと切実に願った時、今度は母親のような“お母さん”になりたいと思った。
だから、苦しかったのだ。
父親のように仕事に情熱を注ぎたいのに、できない自分。母親のように、家族のために献身的で在りたいのに、できない自分。日常の様々な場面で、そんな気持ちが罪悪感という名の小さな棘となって、私をチクチクと刺した。
両親が悪いわけでも、私自身が悪いわけでもない。
今なら、分かる。私に足りなかったのは、イメージの選択肢だった。
正解は一つではない。むしろ、不正解なんてないのだ。
息子たちには、父親や祖父などの身近な男性以外にも、たくさんの生き方があることを知ってほしい。
夫婦のあり方も、働き方も、臨機応変に自分で選んだり、新しく作ったりすればいい。
松田くんと過ごす時間の中で、息子たちが自然とそんなことを学んでくれるといい。
私たち夫婦も、松田くんからたくさんの「気づき」をもらっている。
子どもたちと松田くん、松田くんと私たちの年齢差は約15歳。お互い、日常生活ではなかなか接点がない世代だ。
私たちと松田くんは、考え方も行動もまるで違う。違うけれど、すごいなぁ、いいなぁ、と思える。
きっと、成長した息子たちはもっと違うのだろう。私たちの価値観で子どもを縛ったり評価したり…なんて無意味かも。
もちろん、今でも罪悪感が疼くことはたくさんある。でも、そんな自分も正解だと思えるようになった。
そう思えるだけで、すごく気が楽になるし、成長や変化を楽しむことができるのだ。
スリールでは、高校や大学の教育のなかに「ワーク&ライフ・インターン」を取り入れようと、新たなチャレンジを始めている。
10年後、高校生になった息子たちが、今度は松田くん世代の家庭で子育て体験をしているかもしれない。
そう考えただけで、ワクワクする。