緊急避妊薬(アフターピル)は、性犯罪被害あるいは避妊の失敗などによる意図しない妊娠を防ぐための緊急避妊法の一つです。
厚生労働省において、緊急避妊薬のオンライン処方に関する議論が行われました。
日本の医療制度は「対面」を基本としています。オンライン診療に関する検討会では通常、診療する医師と患者の関係性が希薄にならないか、過小診療や制度の不適切な利用につながらないかといった議論に重点が置かれています。
緊急避妊薬の処方に関するオンライン診療では、対面診療が難しいと考えられる心理状態、近くに医療機関がない場合など、対象者を限定する方針が示されました。
オンライン診療に「緊急避妊薬のアクセス拡大」を期待していた方も少なくなかっただろうと思います。
緊急避妊薬アクセス拡大の要望
有志の薬剤師を発起人として、処方箋なしでも薬剤師が供給できるよう、緊急避妊薬の医薬品分類の変更を求める要望書を公開しています。現在、キャンペーンサイトのチェンジオルグで賛同を募っています。
病院の医師が処方する『医療用医薬品』には、
〇医師による処方を必須とする「処方箋医薬品」
〇医師の処方箋なしでも薬剤師が選定、供給できる「処方箋医薬品以外の医薬品」
の二つの分類があります。緊急避妊薬は「処方箋医薬品」に分類されているため、現状では私たち薬剤師は処方箋を持たない方に交付することができません。
緊急避妊薬は、必要が生じた際には速やかに、また躊躇なく服用する必要があります。緊急避妊薬の分類を変更すれば、医療用医薬品であっても薬剤師が交付することができ、また状況に応じて相談に対応し、必要な知識を伝えることができます。
諸外国で活用されているBPC医薬品(Behind the pharmacy Counter:薬剤師が直接管理・保管し、販売時には薬剤師によるコンサルティングを要する薬)に相当する医薬品カテゴリーです。
チェンジオルグでは、私たちが公開している要望書のほか、
『アフターピル(緊急避妊薬)を必要とするすべての女性に届けたい!』
〇アフターピルのOTC化(市販薬化)、諸外国との価格差の解消
〇ピルや避妊について知識をつけるための性教育の充実
〇オンライン診療でのアフターピル、ピル処方 など
のキャンペーンが公開されています。
緊急避妊薬を市販薬に転用した諸外国での効果・課題
日本では、緊急避妊薬を利用するには医師に処方してもらう必要がありますが、すでに多くの国ではOTCあるいはBPC医薬品としても広く利用されており、その効果や課題が明らかになっています。
緊急避妊薬を薬局で販売する(OTC)、あるいは薬剤師が交付するよう(BPC)アクセスを拡大した国々では、緊急避妊薬の使用量は著しく増加しています。
緊急避妊薬の効果は大きいものですが(日本での臨床試験では妊娠阻止率81%)、公衆衛生レベルでの意図しない妊娠を減らすような十分な成果にはつながっていません。
その理由として、緊急避妊薬の存在、そしてその必要性が十分に知られていないことが挙げられています。必要が生じた場合にはもっと利用されるべき、というものです。
そしてもう一つ、要因として指摘されているのは、緊急避妊薬を使用したとしても、その後も同じような不完全な避妊方法を続けている限り、結局は意図しない妊娠に繋がっているのではないかという懸念です。
妊娠中絶を経験した女性の一部(国によって違うものの、最大15%弱)は、妊娠を回避するために緊急避妊薬を使用していた、との調査があります。
他の研究では、緊急避妊薬の利用者は多くの場合、選択可能な緊急避妊の方法を熟知していないこと、緊急避妊薬が市販薬として提供される状況では、カウンセリングの機会が少なくなり、利用者の知識不足につながる可能性があることが指摘されています。
意図しない妊娠を防ぐため、緊急避妊薬のアクセス拡大は欠かせません。
同時に、望まない妊娠を経験する女性を減らすためには、緊急避妊薬をはじめとする緊急避妊に関する知識、継続的・効果的な避妊方法を伝えるためのコンサルティング、そして理解や行動変容を促すエンパワーメントが必要であることを、市販薬化で先行した海外での状況は示しています。
例えば米国では、経口避妊薬あるいは子宮内避妊具など、効果が高く継続的な避妊方法を選択する女性が増え(意図しない妊娠リスクを有する女性の68%)、意図しない妊娠が減っています。これらの女性は、意図しない妊娠の5%を占めるに過ぎません。
日本の社会・医療文化の問題
女性の多くがかかりつけの婦人科医を持ち、医師と患者の「対等な関係性」を重視する欧米諸国(あるいは多くの先進国)と、婦人科へのハードルを感じ、受診を躊躇する女性が少なくない日本のギャップは、いまだ大きな課題として残されています。
ネット上には、医師から心ない言葉を言われた、高圧的な態度で説教された、医学的に妥当とはいえない指導を受けたという声が少なくありません。そうした医師に反論することは、多くの人にとって簡単なことではありません。
日本はジェンダーギャップ指数110位(149カ国中)の国です。男性から、あるいは社会から、いまだ女性の権利や主体性は尊重されているとはいえず、少なからず女性自身にも、そうした考えが内面化されている現状があります。
同様に、日本では医師と患者の間にも「権威としての医師、医師の指導に従う患者」という構図が根強く存在しています。
私たち薬剤師もまた、こうしたヒエラルキー(上下関係)を基軸とする考え方・システムに支配されてきました。
OTC医薬品について、「医師にかからず購入できる医薬品」なのだから注意する必要はない、薬剤師との相談は重要ではないと考える方は少なくありません。英語では、病院を受診して医師と話し合うことも、また薬局で医薬品を購入する際の薬剤師との関わりも、共に“consult(専門家との相談)”と表現します。
日本では、「医師かそうでないか」が重要な要素として人々の認識に作用しています。
強いか弱いか、権威があるかないか、支配するか支配されるのか
こうした考えが、日本の社会、そして日本の医療文化に深く浸透しています。
権威と権限によって運用されるとき、“医療の信頼”は失われます。一方で、権威を示されることでしか患者・利用者が医療従事者の言葉に耳を貸さないのであれば、医療は権威を手放すことができません。
権威を打破する、あるいは欺くことでしか、自分たちの体や治療について主体的に決定できないのだとすれば、頼れるのは自分の家族や交友関係、真偽不明のインターネット情報、会ったこともない名医による記事しかありません。医療や健康にまで「自己責任」の考え方が広がります。
権利と主体性を尊重し、“信頼”を基軸とする医療へ
薬剤師は役割を担わないのが当然とされる日本で、私たちの要望書が皆さんに、あるいはメディアやジャーナリズムにどのように映るのかはわかりません。
先進国の薬剤師の職能団体であれば、緊急避妊薬の現在の状況について、私たちが作成した要望書と同じ提言をするだろうと考えています。
要望書で示した「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」カテゴリー(フランスの医療制度では「処方箋任意医薬品」と呼ばれます)は、これまで厚労省会議の出席委員、医師会や薬剤師会から言及されることのなかった、いわば「タブー」のような存在です。しかし、そのような医療業界や制度設計担当者のパワーバランス・不文律こそが、今回の緊急避妊薬のアクセス問題、そして様々な場面で表面化しつつある日本の医療問題の背景になっています。
私たちは、権威や権限ではなく、各人の権利と主体性を尊重し、“信頼”を基軸とする医療への転換を求めます。
今回の緊急避妊薬に関する国民的な議論、あるいは私たちの提言が、この国の医療が変わるきっかけになることを願っています。