日本の民主主義は「もったいない」。選挙がない国から帰化した“元中国人“の李小牧さんは訴える。

日本に帰化し「新しい日本人」として選挙に出ることができたことは、民主主義の素晴らしい点だが...
李小牧さん
李小牧さん
本人提供

「元中国人の日本人」として、挑戦を続けている人がいる。「歌舞伎町案内人」であり作家の李小牧(り・こまき)さんだ。

中国生まれの李さんは、来日してから30年以上に渡り、歌舞伎町を見続けてきた。外国人が増えていく日本において、外国人である自分ができることは何か。

2015年に日本に帰化した李さんは、“元外国人”である自分だからできることをしようと、同年と2019年の2度にわたり新宿区議選に立候補した。

社会主義である中国で生まれ育ち、民主主義国家である日本で生きていくことを決意した李さんは、「日本の民主主義」をどう見ているのだろうか。

ハフポスト日本版のネット番組「ハフトーク(NewsX)」に出演した李さんが、民主主義の本質について、思いを語った。

夢を叶えるために、「東京」へ

日本への帰化、2度の都議選立候補——。

そのルーツを物語る一枚の写真がある。1968年、8歳の李少年が、毛沢東の故郷・湖南省で、父と並び背筋を伸ばして斜め上を見上げて立っている。手には赤い小冊子、「毛沢東語録」。毛沢東率いる中国共産党の10年にわたる政治権力闘争の真っ只中だった。

お父さん(左)と並ぶ少年時代の李小牧さん(右)
お父さん(左)と並ぶ少年時代の李小牧さん(右)
本人提供

 李さんは、当時のことを「(毛沢東主導の)文化大革命でひどい目に遭った」と振り返る。政治に翻弄された少年時代を過ごした李さんだが、中学1年生の頃からバレエ団に所属、頭角を表しプロになった。その後、文芸誌記者などの仕事を経て、李さんの心は次第に、「東京」に惹かれていく。

《服飾デザインの勉強をしたいと思うようになった頃、中国で手に入る雑誌は、ファッションも音楽もヘアスタイルも、全て日本から入ってきたものでした。ファッションを勉強するなら、ヨーロッパじゃなくて東京だ! と思いました。日本人と中国人は似たような体形だし、言葉も漢字だから勉強しやすいと思ったんです。あと、お米も食べるしね(笑)。》

李さんは、留学のために28歳で来日。最初に足を踏み入れたのが、東京・新宿だった。たまたま空港からのバスが新宿に到着したからだ。

翌日から、とにかくお金を得るためにアルバイト先を探して、新宿にある飲食店を回ったが、働き口は全く見つからなかった。

《「アルバイトOK?」と聞くと「ダメ!」と言われるんです。でも、その「ダメ」という日本語すらわからなかった。「NO」と言われて初めて理解できる。そのくらい日本語ができませんでした。》

「新宿にある飲食店全てと言っていいほど尋ね歩いた」という李さんの状況をみかねた、ラブホテルの経営者が「アルバイトOK」と言ってくれたことで、ようやくアルバイト先が決まった。

ハフトークに出演した李小牧さん
ハフトークに出演した李小牧さん
ハフポスト日本版

 歌舞伎町の風俗案内人として30年

それから30年、中国人の李さんは「在日外国人」として新宿に暮らした。

《日本に50万円しか持ってこなかったから、最初はとにかく稼がないといけなかったです。1時間600円のラブホテルのバイトじゃ足りないので、1時間1000円のティッシュ配りを始めました。歌舞伎町に立っていると、外国人観光客も多くいるので、いろいろな人に道を聞かれたり、店の場所を聞かれたりしました。知り合いも増えていきました。

そういう中で、風俗店を案内する仕事をするようになりました。案内するのは、日本に遊びにきた外国人が多かったです。チップももらえるし、お客さんが店に行くとバックチャージがもらえるので、稼げたんです。》

風俗案内でお金を貯めた李さんは、翌年から服飾学校に通い始めた。100万円以上する学費も払うことができた。

《歌舞伎町の風俗街に立って声をかける仕事をしていることは、同級生には言えなかったです。恥ずかしいし、後ろめたいという気持ちがありました。でも、人脈もお金もできるし、何より面白かったので、卒業をしても風俗案内の仕事は続けました。》

卒業後、昼間はファッションショーでカメラマンとしてステージの写真を撮り、夜になると、歌舞伎町で外国人相手に飲食店や風俗店を紹介していたという。いつしか李さんは、”歌舞伎町の風俗案内人”として知られるようになっていた。

《毎晩、歌舞伎町に立っているので、自然と案内できる場所や会話のネタが増えていきました。日本人にも外国人にも、歌舞伎町の良さをもっと知ってほしいと思ってやってきました。自分は、日本人よりも歌舞伎町を知っていると思います。そして次第に、もっと日本のために、中国のために、自分ができることはないか? と考えるようになりました。》

その後、李さんはコラムニストとしてニューズウィーク日本版に寄稿するなどの活動を開始。2007年には、地元・湖南省の料理を提供する湖南菜館を歌舞伎町にオープンさせるなど、「案内人」以外の活動も展開している。

李さんから見た日本の民主主義

メディアにも出演するようになった李さんは、2015年2月に日本に帰化した。そして2ヵ月後、東京・新宿区議員選挙に立候補するも、落選。2019年4月には2度目の立候補に挑戦した。

《1回目の街頭演説では、「中国に帰れ」とよく言われましたが、2回目の選挙ではほとんど言われなかったです。ただ、ネットでの批判はいまだにあります。「中国共産党のスパイだ」とか。私のことを嫌いというのもあるかもしれませんが、中国人に対する偏見があると思います。》

そこで2度目の選挙。李さんが意識してやっていたのは、新宿区民に対するアピールと同時に、中国に向けた情報発信だ。選挙活動を通して、どこに行ったのか、誰と会ったのか、30万人のフォロワーがいるという中国版Twitter「ウェイボー」に投稿し続けた。

《内容は、慎重に慎重に選んで投稿しています。どこの駅にいった、誰と握手した、などの事実を写真で伝えます。中国の人たちもポジティブな反応をしてくれる人が多いですよ。

中国人でも日本に来て選挙に出られる、立候補できる。自分の姿を通じて、中国と日本の政治環境の違いを知ってもらいたいです。「中国も変わっていこうよ」というメッセージを伝えています。》

李小牧さんの中国版Twitter「ウェイボー」
李小牧さんの中国版Twitter「ウェイボー」
本人提供

 外国人として来日し、日本に帰化して選挙戦を経験した李さんには、日本の民主主義はどう映っているのだろうか。

《社会主義の国で27歳まで生きてきて、28歳で日本に来ました。ゼロからスタートして、日本に帰化して、「新しい日本人」として選挙に出ることができたのは、民主主義の素晴らしいところだと思います。》

李さんは、日本の民主主義は素晴らしいという一方で、「もったいないところもある」と話す。

《中国には選挙はありません。だからそもそも、「国民」という意識がないんです。私は中国にいる時、「自分は中国国民だ」という意識もありませんでした。

日本には選挙があるのに、投票に行く人が少ない。すごくもったいないです。自分も中国にいた時は政治に興味がなかったですが、民主主義の日本に来て、政治に興味を持つようになりました。

日本の若い人には、もっと政治に興味を持って欲しい。選挙権、被選挙権があるという有り難さを知ってほしい。好きな政治家、好きな政党で良いので票を投じるというアクションを通じて、国を良くしていくという気持ちを持ってほしいです。》

李さんは今後も、新宿・歌舞伎町を盛り上げていくため、そして民主主義の素晴らしさを体現していくために、新宿区議会議員になることを目指している。

《新宿の人口のおよそ12%は外国人です。これからもっと増えていくと思います。その人たちの受け皿をどうするか。政治家となって自分がやっていきたいです。外国人と日本人の架け橋となるような活動を続けていきたいです。》

来年2020年には東京オリンピックを控える日本。李さんは最後に、「東京オリンピックの案内人になりたい」と希望を語った。

1990年代、外国人を積極的に受け入れるような体制ではなく、外国からもそれほど人が来なかった日本に単身飛び込んだ李さん。2000年代になると、石原慎太郎都知事(当時)が主導する「歌舞伎町浄化作戦」などを目の当たりにした。

時は流れ、今はむしろ「インバウンド」として積極的に外国人を誘致する時代になった。「歌舞伎町」も例外ではない。

激変する日本でたくましく生き残ってきた「元外国人」の李さんだからこそ分かる、民主主義、そして日本の良さを、日本に住む一人一人はどう受け止めるべきなのだろうか。

【文:湯浅裕子/編集:南 麻理江】

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