秋田大学医学部医学科5年
宮地貴士
2019年5月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行
前回の記事で秋田県の上小阿仁村で起きた「無診察処方問題」とその背景にある医療規制について考察した。規制を緩和し、地域の現状、住民のニーズに合わせた柔軟な対応が必要であると訴えた。しかしながら、この村では医療規制以前に住民と医師との間に“壁”が生じていたことも確かだ。“家庭医”や“総合診療医”という医療提供者側の肩書ではなく、僻地の医師に求められるのはどのような人柄なのか。住民の声を頼りに考えた。
「お医者さんの給料は1500万円だよ。宿舎の改築に1000万円、学会参加の交通費に毎年100万円、専属のドライバーもついているんだよ。」
お医者さんのお財布事情について、村民の一人は異様なほど詳しい。驚いたことに村民へのインタビュー調査をしていく中で、5人が医師の給料について言及した。2日間でお会いした方が20名程度だったことを考えると、相当な数だ。
なぜこのような話題が広まるのか。私は医師に対する村民の「嫉妬」が原因だと考えている。自分たちよりも所得の高い医師を羨ましく思っているのだ。
上小阿仁村は秋田県の中で最も高齢化率が高い。2人に1人が65歳以上だ。高齢化が進めば地域の所得も落ちていく。2018年の世帯ごとの平均所得は208万円7154円だった。(出典:年収ガイド 年収・収入に関する総合情報サイト)収入とは異なるものの、医師の年収の7分の1以下だ。「嫉妬」が生まれるのも無理はない。
上小阿仁村では2013年4月~8月にかけて常勤医不在の状態が続いていた。その期間は、村外の医療機関に医師の派遣を依頼し特定の曜日のみ受診できる体制を取ってきた。しかしながら、いつでも医療を受けられる安心を求める村民の声は大きかった。
「車も運転できないから風邪ひいたときはご近所さんに頭を下げて村外の診療所まで運転してもらわないといけなった」。
今年で90歳になる女性は当時の状況を振り返る。住民の医師を渇望する声に応え、当時村長であった中田吉穂氏は柳一雄氏を診療所の所長として受け入れた。柳氏は青森県出身で弘前大学を卒業した。1968年~1971年までは上小阿仁診療所の前身である上小阿仁病院に勤めた経験がある。その間に、村出身の奥さんと出会った。40年以上が経ってから再度村に戻ってきたのは、中田村長と柳夫人につながりがあったからだ。
医師不足の昨今、僻地に医師を呼ぶには村としても好条件を用意するしかない。医師の転職情報サイト「Dr.転職ナビ」で東北エリア・郊外・無床クリニックで検索をかけると、宮城県・岩手県でいずれも1600万円~と1500万円~という求人募集が見つかった。求人サイトを利用する場合は紹介手数料も発生する。日本医師会総合政策研究機構(日医総研)が2017年5月11日~6月24日に102名の医師を対象に実施した調査によると紹介手数料単価は平均337万円だった。(出典:日医総研ワーキングペーパー)これらに加えて、住宅費用や交通費も地域が負担するケースが多い。医師を雇うのは非常にお金がかかる。好条件でないと医師が来ないが、それによって医師と村民の間に確執が生じてしまうのは、なんとも皮肉なことだ。
「持つ者と持たざる者」。この構造から生じる対立は歴史上の数々の事件を生み出してきた。ドイツや日本が第二次世界大戦を始めたのも植民地を持つ英国やアメリカとの対立が根本にあった。フランス革命も「持つ者・王族と持たざる者・市民」という対立の構図だ。一方で、こういった関係性をうまく維持してきた人々もいる。
古代ローマの貴族や王族は道路や学校などのインフラを私費で建設した。ノブリスオブリージュと呼ばれる行為だ。例えば、現存する古代ローマ街道の中で最も有名なもののひとつ、アッピア街道は共和制ローマ時代の貴族が私費で建設した。日本では有徳者と呼ばれる人たちが公共事業を支えていた。例えば大阪の淀屋家が挙げられる。5代目の淀屋廣當は淀屋橋と呼ばれる橋を建設した。
秋田にも私財を投げうって地域に貢献した者がいる。県北に位置する能代で回船問屋を営んでいた越後屋太郎右衛門だ。同地域では冬から春にかけて、北西季節風が砂を飛ばし、田畑をうずめていた。そこで越後屋は1711年から22年の歳月をかけて松を植林し砂防林を作ったのだ。それから300年近く経った今でも越後屋は能代の人々に愛されている。現在は和菓子店を営んでおり、松林に散在する松ぼっくりをかたどった最中が人気商品だ。
秋田県潟上市で40年以上にわたって地域医療に取り組む、医療法人敬徳会の理事長、藤原慶正先生も有徳者の一人だ。同法人が所有する敷地を使い、毎年地域のお祭りを開催している。その他にも地域住民と医療者の交流会や地域の専門職向けのセミナーなどを企画。医師の役割を超え、地域全体を盛り上げるべく、奮闘している。
上小阿仁村に勤める医師も地域の有徳者としての役割を果たせるのではないだろうか。例えば上小阿仁村には高校がない。そのため、中学を卒業した生徒はほぼ100%村を出ていく。彼らに対して奨学金を給付できるかもしれない。診療所の機能は限られており新患の多くは村外の病院に紹介する。彼らを送迎するバスを村に寄贈することもできるかもしれない。
ただ、この村での問題点は所得格差による「嫉妬」だけでは説明できない。住民の医師に対する誤解も軋轢を生む要因の1つだ。
「先生は子供たちを診てくれないんです。それに、新患の場合はほとんど紹介状を書くだけなんです」。
幼稚園児の親御さんは医師が子供を診ないことを「怠慢」と表現していた。さらに驚く発言も聞こえた。「先生は薬とか出すときにいちいち分厚い本を読んで確認するんです。診察に時間もかかるし、いちいち確認しなくちゃいけないことに不安を感じます」。
私はこれらの発言の背景には、「医師=万能」という誤解があると考える。現在、医師の役割は高度に専門分化が進んでいる。2018年度から始まった新専門医制度では19の基本領域と26のサブスペシャリティに分けられた。上小阿仁村に勤める医師は80歳だ。これまで扱わなかった領域をこの年から勉強することは非常に難しいだろう。本で調べることは、むしろ誠実という見方もできる。また、最新の治療を提供するために、患者を地域の中核病院に紹介することは必然の選択だ。
これらの誤解を解消するためには住民と医師の密なコミュニケーションが必要だ。例えば村の広報誌に医師本人や医師が監修する健康情報を積極的に発信していくことができるだろう。また、役場と医師が連携し住民向けの健康セミナーなどを開催することも選択肢の一つだ。
最後に一つだけ述べたい。そもそも論になってしまうが、村自体が医師にとって働きたい、と思える場所になっているか。村民も行政も今一度考える必要がある。人は自らを成長させることができる場所、もしくは、直感的に楽しそうな場所に行く。医師も人間だ。人口減少・高齢化・助成金頼りの財政など、ネガティブな情報が聞こえてくるところには行きたくない。
この記事は 2019年5月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会
「Vol.086 秋田の無医村 「嫉妬」が引き起こす医療崩壊」から転載しました。