誰もが知っているのに、誰も本当の姿を知らない…ユネスコ世界遺産・登録確実でも謎深き「百舌鳥・古市古墳群」

主たる古墳の埋葬者さえも不明。表面、内部の調査も進んでいない。
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「ユネスコ世界遺産」登録確実でも謎深き「百舌鳥・古市古墳群」

 誰もが知っているのに、誰も本当の姿を知らない……。5月13日夜、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)から世界文化遺産への登録勧告を受けた「百舌鳥・古市古墳群」には、そんな言葉がよく当てはまる。

 アゼルバイジャンの首都バクーで6月30日から7月10日にかけて開かれる第43回世界遺産委員会で、登録の可否が最終決定される。

 今回の勧告は「点数にすれば満点」(柴山昌彦文部科学相)で、登録はほぼ確実だが、メーン資産の「仁徳天皇陵古墳」(大山古墳)をはじめ多くの古墳は、誰が本当の埋葬者なのかということだけでなく、墳墓表面の発掘調査も進んでおらず、石室内部の様子さえよく分かっていない。

 静謐が重んじられる「陵墓」であるため、考古学調査は長年阻まれてきたが、勧告文は登録の前提として定期的なモニタリングの実施を求めてきた。思わぬ外圧が事態打開の一助となる可能性もあり、文化庁や宮内庁の今後の対応が注目される。

資産の「統合性」を重視

 国内では3~7世紀に20万基以上の古墳が建設された。「百舌鳥・古市古墳群」は名前のとおり、大阪府堺市の「百舌鳥エリア」と羽曳野市と藤井寺市にまたがる「古市エリア」の2つの地域に存在する20~400メートル級の大小49基の古墳に限っている。世界遺産登録で重要とされる、資産の「統合性」を重視したためだ。

 形はさまざまで、前方後円墳や円墳のほか、四角い方墳、帆立貝の殻のように丸みを帯びた部分が圧倒的に大きい「帆立貝形墳」もある。

 大型古墳の一部は、大陸に向かう航路の発着点であった大阪湾に隣接する平野に設けられた。そのことから、地域の権力者が海路を往来する外国人に勢力を誇示する役割も果たした、と推測する研究者もいる。

「仁徳天皇陵」から「大山古墳」へ

 49基のうち最大の「仁徳天皇陵古墳」は、長さ486メートル。精密な測量ができていないために諸説あるが、総面積は47万平方メートル(東京ドームの建築面積の約10倍)に達する。1日最大2000人が作業に従事しても、完成までに15年以上かかる大きさという。クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵に並ぶ世界屈指の巨大墓だ。申請に当たり、地元側は「面積では世界最大の墓である」と明記している。 

 この仁徳天皇陵古墳という呼び名は、今回の遺産申請に当たって、第16代の仁徳天皇がまつられていると推定した宮内庁の資料の表記に即して付けられた。だが、学術的には「大山古墳」の名の方が正しいと思う。仁徳天皇が実際に埋葬されていたかどうか、現状では確たる証拠がないからだ。

 教科書などの記述でも、「仁徳天皇陵」→「仁徳陵古墳」(仁徳陵という名の古墳)→「大仙古墳」「大山古墳」といった形で、考古学的により正しい表記に変更してきたケースが多い。

 大山古墳の名称は、考古学的な裏付けがないのに、研究者まで仁徳天皇陵と呼称していたことを憂慮し、同志社大学名誉教授の故森浩一氏が提唱したとされる。古墳が存在する地元の町名「大仙町」ではなく、山のような超巨大古墳であることも表現できる「大山」を採用したという。

 その森氏の著書『新装版 巨大古墳』(草思社、2014年)では、大山古墳の埋葬者には下記のような説があると紹介している。

・倭王「武」の墓説(小説家・故黒岩重吾氏)

・倭王「済」の墓説(元熊本商科大学教授・故藤間生大氏)

 その他の各種論考などを見ても、古墳時代に近畿地方で一大勢力を築いた「倭の五王」の1人であるとする説が当時は有力だったようだが、このほかにも数々の説がある。

 森氏自身は著書で「研究者が墳丘内に立ち入れて、考古学として基礎になる研究が可能になれば、年代の幅をちぢめることができるのですが、今はそれもむずかしい状況です」(原文ママ)と、嘆いている。

「埋葬者の特定は必要条件ではない」

 メーン資産の埋葬者さえ分からない状況で、果たして登録が可能なのかと懸念する声もあったが、他国の世界遺産でも被埋葬者が判明しないまま、登録されたケースはある。今回の国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告でも言及はなかった。世界遺産登録に当たって、「そもそも埋葬者の特定は必要条件ではない」(文化庁)という。

 古代の墓と言えば、ピラミッドや始皇帝陵も当然、世界遺産に登録されている。百舌鳥・古市古墳群を世界遺産候補として暫定リストに申請した際の書類では、世界遺産としてすでに登録済みの類似の大規模な墳墓などとして、以下の6件を列挙していた。

・慶州歴史地域(韓国)

・高句麗古墳群(北朝鮮)

・秦の始皇帝陵(中国)

・メンフィスとその墓地遺跡(エジプト)

・古代都市テーベとその墓地遺跡(エジプト)

・ブルー・ナ・ボーニャボイン渓谷の遺跡群(アイルランド)

 韓国の慶州歴史地域は、朝鮮半島東部の慶州市内外に存在する200余りの古墳や宮殿跡などで構成されている。新羅王国の首都「金城」として栄えた3~10世紀の遺物が多数出土している。

 北朝鮮の高句麗古墳群は平壌付近に位置し、高句麗王国が残した63の古墳がある。古墳内部には壁画が存在するケースがあり、彩色壁画で知られる日本の高松塚古墳(奈良県明日香村)の女性像と似た絵が見つかっている。

 アイルランド・ボイン渓谷の遺跡群は、巨石と盛り土で作られた古墳に似た構造物で有名だ。

 いずれも、世界遺産登録に当たっての申請書で、埋葬者を詳細に列挙してはいなかった。

 ウガンダにある「カスビのブガンダ王国歴代国王の墓」は、約30ヘクタールある丘陵地の頂上に位置する円形の草葺きの王墓だ。

 ピラミッドに似た高さ17メートルの「アスキア墳墓」(マリ)などユニークな形態が目を引くものもある。

 このほかにも、「明・清朝の皇帝陵墓群」(中国)、「スヴェシュタリのトラキア人の墳墓」(ブルガリア)など埋葬施設を主要な資産とする世界遺産は多数存在する。

堺市と宮内庁が初の発掘調査

 数ある大規模墳墓の中から、百舌鳥・古市古墳群が新たに世界遺産登録されるのは困難では、との事前予想に反し、今回の勧告は満額回答だった。

 2017年に登録された「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の時のように、一部構成資産の除外勧告が出てもおかしくはなかったが、文化庁の担当者は「慎重に資産を絞り込んだことが奏功した」と説明した。

 百舌鳥・古市古墳群を含め、全国の古墳の多くは、敗戦直後や高度経済成長期の土地開発の中、関係者の努力で何とか保存されたものが多い。ただ、現存していても、江戸・明治期の改良工事や自然災害、盗掘によって姿形が変容したものもある。

 今回の勧告は、百舌鳥・古市古墳群の重要性を高く評価する一方、「主な懸念は都市における開発圧力」と指摘した。住宅街の中に存在する巨大古墳は今後も都市化の圧力にさらされる見通しだ。大山古墳のすぐ傍にある自転車博物館(堺市)や南海電鉄高野線の高架事業が将来、周辺の景観に影響を及ぼす懸念も示した。

 また、「墳丘に影響しない手法により定期的にモニタリングする必要がある」との文言も勧告に入っていた。陵墓管理の一環ではなく、さらに詳しい調査の継続を求めており、言葉どおり実施するのであれば陵墓の科学的解明が進む可能性もある。

 1都2府30県に点在する陵墓や灰塚などを管理する宮内庁は昨年、堺市とともに初の共同発掘調査を実施。態度を変化させてきている。墳墓に生える木々の根による侵食や、自然災害による崩壊などから陵墓の形を保全するためにも、一定の調査は必要との認識が広まりつつあるのかもしれない。

枯渇する日本の推薦候補

 ところで、百舌鳥・古市古墳群に登録勧告が出たことで、日本政府の登録待ち世界遺産候補は、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田)や「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」(新潟)など8件にまで減少した。

2013年に「不記載」勧告を受けた「古都鎌倉の寺院・神社ほか」(神奈川)なども含んでおり、申請書を出し直したとしても順調に審査が進むとは考えにくい。

既に1000件を超えた世界遺産の審査は、年々厳しくなっている。数年後には枯渇する推薦候補をどうするのか、そろそろ政府サイドも議論を始める必要があるのではないか。新規推薦を諦めるのか、新たに全国公募するのか、それとも国が有望な資産を一本釣りするのか、いずれにせよ難しい選択になることは間違いない。

田井誠 たいまこと、共同通信社記者。1980年生まれ。2003年共同通信社入社、名古屋支社、長崎支局、文部科学省、文化庁、国土交通省などを担当。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産登録事業を担当し、ドイツ・ボンで開かれた第39回世界遺産委員会やエチオピア・アディスアベバでの第11回政府間連絡会議などを現地取材。『進化する日本の食』(PHP新書)、『新しい力:私たちが社会を変える』(新評論)などの一部を執筆。

(2019年5月17日フォーサイトより転載)

 

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