読売テレビの報道番組『かんさい情報ネット ten.』で、町で出会った一般の人たちに性別を確認するなどプライシーや人権侵害ともいえるような放送を行っていた問題については、どれだけひどい内容なのかは番組そのものを見ないとなかなかわからない。
読売テレビは5月13日午後、番組内で報道局長らの責任者が頭を下げて謝罪したほか、以下のお詫びの文章を番組ホームページに掲載した。
「間違っていた」とテレビ局が自ら認めた状況だ。
筆者のところに、こうしたケースでの問題点や今後の展開がどうなるのかなどの問い合わせが新聞記者などからいくつかあった。
その際に以下のような質問があったので印象に残った。
「こうしたテレビの問題をテレビ各社はなぜ報道しないのか?」
ネット記事や新聞記事などでは出ているのに、同じテレビ局同士ではNHKや他の系列局を含めて扱わおうとしない姿勢で一致している。
実際に読売テレビが番組内でこの問題を謝罪した5月13日夜の各社の地上波のニュース番組はまったくこの問題を報道しなかった。
「一体なぜ他社は放送しないのだろう?」
そのことを考えてみた。
地上波テレビでは放送しないのに、インターネットテレビのAbema TVでは放送していた。
論点1 「テレビ局員が”逮捕”されると一斉に自社も他社も報道する」
テレビ局の社員や職員が痴漢や万引き、横領、麻薬など、凶悪犯罪(殺人や強盗、強姦などが該当する)とは言えないような犯罪でも「逮捕」された時は、逮捕者を出したテレビ局も他のテレビ局もニュース番組の中で報道する。
逮捕者が出た局の他の局は、問題の局の建物をカメラマンが撮影し行って、その映像を使って「これみよがし」に放送する。もちろん、痴漢や万引きなどはそれほど長く放送する内容はないので短い秒数ではあるが、それでも何度か放送するのが常だ。これは筆者の個人的な感想だが、もちろん犯罪として「けしからん」という思いがあるにせよ、それに加えて日頃のライバル関係にある同業他社の社員の問題を心のどこかで「ざまあ見ろ」という思いがあって繰り返し見せる形で報道してしまうのだと思う。
逮捕者を出してしまったテレビ局自身も申し訳程度に目立たない形でニュースで放送するのが常だ。なぜ放送するかというと「日頃、犯罪報道などを数多くやっているくせに、自分の局の社員が逮捕された場合には報道しないのでは身内に甘いのではないか?」などという批判されることを恐れるからだ。
いずれにしても、逮捕の場合には、警察当局が主体になるので「警察が逮捕したのだからこれはニュースだ」という発想が前提になる。日本のマスコミにおけるニュース報道は犯罪報道がその基本になっているためだ。
論点2 「テレビ局の番組の不適切な取材や放送は公式な機関が認めた場合のみ放送する傾向がある」
今回の読売テレビのような「不適切な取材や放送」は論点1のような犯罪(やそれに伴う逮捕)ではない。犯罪の場合は刑法上の問題であるのに対して、「不適切な取材や放送」は「放送倫理」の問題である、法律に違反するかどうかという問題が出たとしても、明確に特定の人物への名誉毀損罪などが明らかなケースでもない限りは放送法や民法上の損害賠償の対象になるかという程度の問題になる。
こうしたケースでは、当該の放送局(今回の件でいえば読売テレビ)が自ら調査するなどして「不適切でした」と頭を下げない限りは他局かた見るとどこまでが「不適切か」の判断がグレーな場合は少なくない。
このため、その当該局の「不適切な取材や放送」を調査した第三者委員会や放送局のこうした問題を審議するBPO(放送倫理・番組向上機構)が最終的な結論(「意見」「勧告」などという形になる)を出した時以外にはほとんどの場合、他局はニュース報道はしない。
だが、こうした傾向はテレビ局同士が同じ業界内で「気を遣い合っている」ように国民の目には映ってしまう。
そうなってしまうと以下のような問題になっていく。
論点3 「テレビ局が他のテレビ局の問題を放送しないと、ますます『テレビ不信』が強まる」
このことはテレビ各局は重大に考えるべきだと思う。昨日(5月13日)の夕方から夜にかけてのことを振り返ると、ネットでは読売テレビの「謝罪」がいろいろなニュースで取り上げられていたのに、肝心のテレビのニュースでは夜ニュースでもこの問題をどの社も報道しなかった。
「いくら日頃、社会正義だとか人権だとか偉そうなことを主張していても、いざとなれば同業同士がなれあいで放送しているのではないか?」
そんなふうに国民の多くから思われてしまっても仕方ないだろう。
「テレビ不信」「マスコミ不信」がネット上などで強まっている中で、不祥事はそうした感じ方を助長させてしまう。
やはり、同じテレビ局同士であっても「これは問題だ」と思うようなことは遠慮せず、忖度せずに堂々と論じる、ということが大事だと思う。
論点4 「同じ業界同士の忖度と気づかい」
テレビ各局にとって、今回の読売テレビのような「不適切な問題」はいつ自分の身にふりかかってもおかしくない問題である。それゆえ、内心では「読売テレビさん、大変な災難に遭いましたなあ」という哀れむような思いもある。民放同士だと、日本民間放送連盟という業界団体、NHKとはともに放送倫理を守るための機関・BPOを運営しているパートナーでもある。そこには心情的な遠慮がまったくないとは言えないだろう。
論点5 「少し変わりつつあるテレビ報道 他局の問題を報道するテレビ番組も」
そういう意味では、最近少し「あれっ?」と感じたのが日本テレビの『世界の果てまでイッテQ! 』でのミャンマーの祭り企画でねつ造疑惑が浮上した際のテレビ朝日の『羽鳥慎一モーニングショー』の放送だった。まだ日本テレビが問題があったと公式に認める前の段階で時間を割いて検証報道を行っていた。
他局の問題でも、テレビ局として頬被りせずに扱うべきだと思ったら、取材して放送する。そんな姿勢が見えた。
こういう姿勢があれば、少しずつテレビ報道の現状はもっと良いもの、もっと信頼されるものになっていくはずだ。
今回の読売テレビの番組では、局アナや社員コメンテーターなどの出演者が問題となった放送をスルーしたのに対して、外部コメンテーターの若一光司氏が放送中に「こんなん放送していいのか?」と疑問を投げかけたことが引き金となった。
番組の中で空気を読んで「お約束」で語り合ってしまうことが本来はまだまだ面白いはずのテレビをつまらないものにしてしまっている。他局の問題であっても、どんどん遡上に載せて議論するような番組づくりをしていくべきだろう。
読売テレビの問題は「お約束」「台本ありき」で進めがちで本当の意味での批判性を失ってしまったテレビ
そんなテレビという、メディア全体につきつけられた根本的な改善要求なのではないか。
*5月14日付「Yahoo個人」より転載。