「これ以上は行けない。ロシアに拿捕されるから」
初老の男性船員が告げると、小型船は事実上の国境ラインとなっている「珸瑤瑁(ごようまい)水道」の中間地点に停泊した。
オホーツク海の荒波で激しく上下する小型船から、ボロボロの灯台が海上に斜めにそそり立っているのが見えた。屋根は崩壊しているようだ。望遠レンズを装着したカメラで必死に撮影した。
北方領土の歯舞(はぼまい)群島にある貝殻島灯台だ。戦前に日本が建設したが、現在ではロシアが占拠している。2004年以降は灯台が点灯することもなく、廃墟のようになっていた。
戦前に日本が建設した灯台だったが…
灯台がある貝殻島は、根室半島の突端にある納沙布(のさっぷ)岬から、わずか3.7キロしか離れていない。幅数百メートルほどの小さな島だ。引き潮には標高2.5メートルほどの陸地ができるが、満潮時には波に隠れて岩礁になってしまう。
1945年8月、終戦と共にソビエト連邦の占領下に置かれた。島の周囲は優れたコンブ漁場のため、根室の漁師たちが海上で拿捕される事件が戦後に相次いだ。
根室市によると1946年以降、北方領土周辺海域で日本漁船1341隻が拿捕されたと朝日新聞は報じている。9502人が捕らわれ、死者は31人にのぼる。
「拿捕されるかどうかは運次第だった」
貝殻島灯台は、納沙布岬から肉眼でも小さく確認できるが、少しでも近くから見たかった。10連休を利用して北海道旅行をしていた私は、歯舞漁協が主催する「北方領土を間近に望む本土最東端パノラマ・クルーズ」に応募。歯舞漁港から1時間ほどで、貝殻島の周辺にたどり着いた。
ガイド役の初老の船員は漁師だ。次のように振り返った。
「拿捕されるかどうかは運次第。俺の友達も何人も捕まったよ。罪が軽いと色丹島だけど、重いと国後島に連れていかれるんだ。そうなると数カ月は帰って来れない」
しかし、1963年には状況が変わった。貝殻島周辺水域でのコンブ採取協定が日ソ間で締結されたからだ。以後は、日本漁船はロシアに入漁料を払い操業を続けている。
毎年6月のコンブ漁の解禁日以降、 白波をたてて出漁する漁船を見ることができるという。
ボロボロになった貝殻島灯台だが、2017年9月の日露首脳会談で「双方の法的立場を害さない形」での改修を検討するという取り決めがなされた。
朝日新聞によると安倍首相は北方領土のうち歯舞、色丹の事実上2島に絞った領土交渉に臨む方針に転換したが、ロシアの態度は硬化。実際に返還されるかどうかは予断を許さない状況が続いている。
日本の戦後史を象徴する存在ともいえる貝殻島灯台に、北海道から自由にアクセスできるようになる日が来るのだろうか。
波しぶきを体に浴びながら、思いを馳せた。水平線の向こうに、北方領土の国後島の雪山が美しく輝いていた。