4月30日、平成の時代が終わった。
5月からは「令和」の時代が始まる。新たに即位された天皇陛下はどのような方なのか。
誕生されてから現在までの軌跡を振り返る。
1960年2月23日に誕生。小学生時代は野球の大ファン。“ごひいき”は末次利光選手
新たに即位された天皇陛下(徳仁さま)は1960年2月23日、皇居・宮内庁病院で当時の皇太子明仁親王と皇太子妃美智子さまの間に誕生した。
幼少時の名前として与えられた「称号」は浩宮さまだった。称号は、古典から学者が選出し、天皇陛下が字を選出される。
1960年2月29日の朝日新聞夕刊によると、称号「浩宮」とお名前である「徳仁」は四書五経の「中庸」の第三十二章から、祖父・昭和天皇が命名された。
大空のように広くて偏りのない様子を示す「浩々たる天」から浩の字を、「聡明聖知にして天徳に達する者」から徳の字を取ったという。
浩宮さまは、天皇家では初めて父親の皇太子明仁親王(現在の上皇陛下)、母親の美智子さま(上皇后)が子育てにあたられた。
明仁親王は天皇家の伝統的風習に従って、3歳で両親のもとを離れ、東宮仮御所で、「傅育官」らに育てられた経緯があった。
そのことについて明仁親王は「私は世情にうとく、人に対する思いやりの足りない心配がある。どうかよく人情に通じた、思いやりの深い人に助けてもらいたい」と語っていたという。
明仁親王と美智子さまはそうした背景もあり、世間や周囲の反感を買うこともあったが、3人の子どもたちの子育ては乳母を付けずに家族で同居を通した。
学習院初等科時代には、野球に熱中された浩宮さま。
1971年10月17日朝日新聞東京本社版の朝刊によると、10月16日の日本シリーズ第4戦の読売ジャイアンツー阪急ブレーブス戦を学友と共に観戦。
読売ジャイアンツの外野手として活躍した末次利光(当時は民夫)選手の満塁ホームランに飛び上がって拍手を送ったという。
浩宮さまは末次選手の大ファンで、学校の野球チームでも末次選手の背番号38を付ける熱狂ぶりだった。
趣味は山登り。健脚ぶりを“皇居ラン”でも発揮
趣味人としても知られる天皇陛下(徳仁さま)の一押しのレジャーは山登りだ。
日本山岳会員であり、日本山岳写真協会の特別会員でもある。父親である上皇陛下と、ともに登山に向かうこともあった。
初めての登山は、5歳で訪れた長野・軽井沢の離山だった。登山雑誌「山と渓谷」(1995年1月号)には、父親である上皇陛下に連れられて登頂した思い出をエッセーでつづられている。
国内の様々な山を踏破した天皇陛下は、山の楽しみ方をこのエッセーで次のように語っている。
「自分をゆっくりと大自然のなかにおき、動植物や地質を観察し、自然の恩恵に浴すこと、そして、個々の山の歴史に思いを致し、登山の行程全体を楽しむことである」
また、文章の中では当時の天皇陛下と美智子さまを「両親」、そして皇太子妃(当時)である雅子さまを「妻」として、自身との関わりを記したことも、大きな話題を呼んだ。
登山を支える健脚ぶりは、40代後半に差し掛かった2007年の“皇居ラン”でも発揮された。
2007年2月26日に配信された新聞各紙のニュースによると、皇居外周の2周約10㎞を51分ほどで走った。また、55歳の誕生日の2日後である2015年2月にも皇居外周1周を約27分で走り終えている。
登山のほかに、ヴィオラ奏者としての顔も国民には広く知られている。
上皇陛下がチェロを弾かれ、美智子さまがピアノを演奏。天皇陛下はもともと学んでいたヴァイオリンのほかに、大学時代からはヴィオラの演奏も始められた。
大学時代は音楽部管弦楽団に所属。チャリティーコンサートでビオラの独奏を披露されることもある。
天皇陛下は海外での経験も豊富だった。
初めての海外滞在は1974年、14歳のとき。オーストラリア・メルボルン郊外にあるポイントロンズデールで15日間を過ごした。
学習院大学を卒業後に大学院に進み、その後オックスフォード大学マートンカレッジに2年間留学。
学習院大学の卒論は「中世瀬戸内海水運の一考察」。大学時代から一貫して史学に興味を持たれ、幼いころから「道」に一層の関心があった影響でとくに交通史を選んで学ばれていた。
オックスフォード大学でも18世紀のテムズ川の交通について研究された。
徳仁さまは、大学卒業後に海外で研究を続けられた初めての天皇陛下となった。
留学を終え、日本に戻ってからは海外の賓客の対応にも留学で培った英語力を発揮。
英国のチャールズ皇太子、故ダイアナ妃(当時)と歓談することもあった。
「皇太子」となり、結婚そして父親へ
徳仁さまは1989年、昭和天皇の崩御に伴い今上天皇が即位されたことにより、皇位継承順位1位の皇太子となった。
1991年2月23日、31歳となった日に立太子宣明の儀が執り行われた。
立太子宣明の儀は、皇位継承者としての徳仁親王の地位を天皇陛下(当時)が内外の代表の前で披露される立太子の礼のなかでも中心となる儀式。
1993年には、外務省キャリア官僚だった小和田雅子さん(当時)と結婚。
二人の最初の出会いは1986年10月、東京・元赤坂の東宮御所(当時)で開かれたスペインのエレナ王女歓迎レセプションの茶会の席という。
天皇陛下の「初恋」だったといい、その後の1年間で、東宮御所や高円宮邸などで計4回顔を合わせた。
1992年8月16日に再会。陛下はその後、雅子さまにひんぱんに電話を入れ、思いを伝えたという。
2001年12月1日には、長女・愛子さまが誕生。
祖父である天皇陛下(当時)が決められた愛子さまの称号は「敬宮(としのみや)」となった。
名前と称号の出典は「孟子」の「離婁章句下(りろうしょうくのげ)」。広く人間社会で修養すべき基本的道徳を述べ、敬と愛の重要さを説いた部分からとったという。
愛子さまの誕生後、初の会見となった2月23日の徳仁さまの誕生日会見では「子どもとは、こんなにかわいいものだったかと、改めて知ることになりました」と笑顔を見せた。
子育てや教育方針については「父親として、できるだけ子育てに積極的にかかわっていきたい」と話されていた。
そして2019年4月30日、徳仁さまは皇太子としての役目を終え、5月1日に天皇陛下に即位された。