かつては女性アナウンサー。今は原爆被害の伝承を目指す研究者──。そんな異色の経歴を持つ人がいる。久保田智子さん。TBSのアナウンサーとして数々の番組を担当し、ニューヨークに取材記者として派遣されるなどの活躍をしてきたが、今は広島の原爆被害などを伝える活動をするため、オーラル・ヒストリーを東京大学大学院で研究している。
オーラル・ヒストリーとは、人々が語ったことを記録し、歴史の検証に生かす手法だ。久保田さんはなぜ、人生の「転換」を決心したのか。本人に聞いた。
事実よりも大切な、1人ひとりのストーリーを残したい
──「オーラルヒストリー」と出会ったきっかけは?
夫の転勤でニューヨークに行くことになって、会社を退職するというタイミングでした。
走り続けてきた仕事から解放されたし、せっかくアメリカに行くのだから私も何かしたいと考えた時、自分が広島出身であることを生かして、被爆者たちの声を世界に広めるお手伝いが出来たらいいなと思ったんです。
それで色々と情報を調べているうちに、今の研究と出会ったんです。
Facebookの広告に出てきて、「やってみたい事、これだ!」って。現代のアルゴリズムって凄いなぁと感じましたね...(笑)
それをきっかけに、2017年9月から米・コロンビア大学の大学院でオーラルヒストリーを学ぶことになりました。
──インタビュー自体は局アナ時代にも数多く経験してきたと思います。インタビューとオーラルヒストリーにおける違いは、なんでしょうか?
当初は、これまで仕事でインタビューをしてきたし、ある程度インタビューの基礎がある中でそれを深めていけるだろうと思っていたんです。
ところが、実際はとんでもなく...学んでみると方法論が全く違いました。
局アナ時代のインタビューは、客観的な視点に立った上で、かつ時間という制約がある中で、常に事実を探すという姿勢でした。
一方でオーラルヒストリーは、むしろ逆に時間をたっぷり掛けて、話し手のペースに寄り添って聞くことに重点が置かれています。事実の追求よりも”意味付け”の方を重要視するんです。そして私にとっては、こちらの方がしっくり来たんです。
例えば、1945年8月6日に広島に原爆が投下されたということは日本人なら誰もが知る事実ですが、オーラルヒストリーは、そのことが1人の個人にはどんな意味をもったのかを考えるということ。
被爆経験者の方で今もご存命の方は、被爆した当日よりも、今に至るその後の人生の方が大変な苦労をされています。
ただ、現代の平和学習って、その部分がすっぽりと抜け落ちてしまっているように思うんですよね。原爆が投下された当日のことを伝承することだけで終わってしまっている。新たな時代を迎えた中で、平和学習の形骸化は特に問題だなと感じます。
じっくりと話を聞いて記録するからこそ、一つの事実から立体的に歴史が見えてくる。
今、広島市が養成している被爆体験伝承者になるため、研修を重ねている最中ですが、そんな自分も話を聞くたびに「知った気になっていたんだなぁ...」と改めて思います。
──文献ではなく、口述の記録を残すことへの価値はどこに感じますか?
単に事実だけを並べられても、やはりそこに感情が伴ってないものって頭に入ってこない。歴史の文脈をきちんと残すことに価値を感じるし、それには感情が乗った”活きた会話”が大切だと思います。
原爆投下の経験の伝承に限らず、例えば平成の30年間でも、東日本大震災をはじめ、甚大な被害をもたらした自然災害が本当に多くありました。ですけど、だいたい”震災”とかそういう風に大きな枠に括られてしまうじゃないですか。
そうではなくて、一人ひとりのストーリーとして、その人にどんな意味があったのかということを掘り下げることを大切にする。文献を遡ったり、事実を追求する報道とはアプローチが違うんですよね。
オーラルヒストリーは深刻な世界の「分断」の解消に繋がる
──研究を進めてみて、見えてきた事はなんでしょうか?
世界の「分断」が深刻だ、ということは感じましたね。
──なぜ、そう感じたんですか?
特に社会の分断が深刻なアメリカの状況を見ていると、例えばトランプサポーターの人たちは、相手側の話を聞かない。一方リベラルの人たちも、「トランプ」という冠が付くことに対しては、とにかく聞く耳を持たない。2016年の大統領選の頃からそうですが、互いが話し合う状況がすごく難しくなっています。
その理由は、互いに対して何らかのバイアス(先入観)を持ってしまうからなんですよね。まだ何も話を聞いていないのに、何らかのバイアスを掛けてしまっているという状況。
ただ、このバイアスを無くす事に、オーラルヒストリーは貢献できるのではと感じます。
──具体的にどういうことでしょうか?
人の話を聞く時、「どうせこの人はこういう人なんだろう」という先入観を持ったり、既に分かったつもりになったり諦めた上で聞いてしまうことが多いと思うんです。
例えば、「被災者だからきっと大変なんだろう」「被爆者の人はこうなんだろう」とか。
オーラルヒストリーのアプローチは、「分かってないかもしれない」という前提の下で、相手の視座に立って話を聞いてその証言を残すことなので、1つ1つそのプロセスを積み重ねていけば、少しずつでも分断された溝が埋まっていって、解消に繋がるのではないかと思います。
──実際に、オーラルヒストリーの実践は進んでいるのでしょうか?
日本ではまだまだ発展途上ですが、アメリカではマイノリティの人たちのボトムアップのためにオーラルヒストリーが活用されています。
例えば、黒人差別の撤廃や女性の地位向上、LGBTQなどといった議論でも社会的なインパクトを持たせるための手段の1つとなっています。
大切なのは、その人たちを一つの枠に当てはめずに、声をあげる一人ひとりのストーリーを先入観なく聞くこと。そうじゃなきゃ変われないですから。それが、本来の意味での「寄り添う」ということなんじゃないかと思います。
”歴史の継承”において、AIにはまだ限界がある
オーラルヒストリーは何度も何度も当事者の元へ足を運び、証言を記録する。将来アーカイブに残すために録音するインタビューは、時に1回につき3時間から5時間を超えるという。手法としてはかなりアナログな作業だが、近年では技術革新が進み、人工知能によるインタビューの実施例も出てきた。
しかし歴史の伝承においては、AIにはまだ人間に取って代われない、と久保田さんは話す。
──なぜ、そう思われますか?
やっぱりインタビューって、人と人とのやりとりなんですよね。その場の雰囲気でどう自分が返すか、当事者が何と言うかとか...。例えば、場所や空間一つ取っても、引き出される話や証言は変わりますから。
その「空気感」を含めたやりとりは、これからの時代でも、人と人とのやりとり以外に取って代わるものはないと思います。
──実際、AIによる伝承やインタビューも実践されたりしています。これについては、どう見ていますか?
南カリフォルニア大学を拠点とする研究機関が、博物館での展示を目的として、ホロコースト・サバイバー(第二次世界大戦時、ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行った大量殺戮の生存者)の方々の姿をホログラムで投影して、録音された証言を聞くことができるという試みをやっています。
それで私も実際に過去の人々と対話をしてみたんですが、ホログラムとの1時間のオーラルヒストリーのインタビューでは、証言を聞いていても向こう側は私の反応を見ることが出来ません。一問一答みたいな淡白なやりとりになってしまって、非常に機械的でした。
結局、人間と人間の間に成り立つような対話のダイナミズムというか、残していくべき文脈が読み取りにくいんですよね。あくまで今の時点ですが、そこにAIの限界を感じました。
──今後は、どうなっていくと思いますか?
最近、人間がやってきたことがどんどんAIに取って代わられると言われていますけど、使い方次第だと思います。人間にしかできないものと、AIに任せた方が良いものの2つに分かれていく気がします。
単に情報を伝えるだけだったらAIでもいいかもしれないですが、インタビューみたいなものは、今後も人間が担っていくべきだと思います。
ただ、オーラルヒストリーを通じて集めた証言をどう世界に広めていくか、という点についてはテクノロジーを積極的に活用すべきなのかなと思いますね。
最終的にはより身近で”カジュアル”な伝承手法を築きたい
──オーラルヒストリーを応用して今後実現したいことは何ですか?
今はまだ被爆体験の伝承や過去の戦争の話などに限られた形ですが、これから実現したいのは「家族」など小さな単位を対象とした伝承です。
「インタビューをしてみたい」という家族にインタビューに臨んでもらい、録音したものは後日差し上げるという取り組みを考えています。
──大きく・広くではなく、小さく・狭い範囲ですね。その意図は?
実際にインタビューをしてみると、身近な存在なのに自分の家族や身内のことを案外知らない方が多いと感じたんです。
例えば祖父や祖母が孫に過去の経験を声で残せたら、それも伝承の一つの形となって、もしかしたら家族にとって宝物になり得るし、音として記録に残すことで、「聞きたかったのに、聞けなかった」という後悔もなくなる。
社会的にも大きな意味があって、音源をアーカイブ化することが出来れば後世に資料として残るので、時代が進んでもそれを元に誰かが研究できる。
だからこそ、今後は戦争体験などを伝承するという目的の範疇を超えて、よりカジュアルな形で家族や友人の間で簡単にインタビューを残すという手法を確立したいんです。
元号が「令和」に変わっても、私はむしろ「時間に区切りがない」ということを意識していきたい。
伝承のために社会にとって自分が出来ることを探して、それをこれからも進めていこうと思っています。