『オネエ産婦人科』
こんなタイトルの小説がある。カラフルな装丁に、ピンク色の帯。表紙には赤ちゃんを抱っこした「オネエ」の助産師が描かれている。
設定からぶっ飛んでいる。
主人公は、「胎児の声が聴こえる」という特殊能力を持つ産婦人科医・橘継生(32)。担当患者が産後うつで自殺してしまい、ドロップアウトした継生は、地方の小さなクリニックで働き始める。
そこには、強烈なキャラクターの”オネエ”助産師、おっさんギャグを連発するゲイの院長。他にもトランスジェンダーの男女、レズビアン……いわゆる”セクシュアル・マイノリティー”のスタッフが大勢いて、地元では「オネエ産婦人科」と呼ばれていたーー。
偏見まみれのトンデモ小説だったらどうしよう……と思いながらも手に取らずにいられなかったのは、これが映画監督・豪田トモさんの初小説だったからだ。
豪田監督のドキュメンタリー映画『うまれる』(ナレーション・つるの剛士)と、次作『ずっと、いっしょ。』(ナレーション・樹木希林)は、驚くほどの緻密な取材をもとに「いのち」と「家族」を描いた傑作だった。
豪田さんの小説なら、絶対に間違いはないはず……
読み終えて、ギャップにやられた。「参りました」と大声で降参したい気分だった。
「本当にオネエ産婦人科があったらよかったのに」と、いうのが真っ先に浮かんだ感想。「普通ってなんだろう」と深く深く考えさせられた。
こんなに個性豊かで温かいスタッフに囲まれて、新しい命を迎えることができたら、どんなに素敵だろう。
作者の豪田トモさんに『オネエ産婦人科』誕生のワケを聞いた。
「自分らしく生きるって何だろう」と考えた時、”オネエ”が浮かんだ
ーーそもそも、なぜこのテーマを取り上げようと思ったんですか?
少し遡るんですが、最初の映画『うまれる』を作っていた時、僕は両親と仲が悪かったんです。でも、この「命と家族」というテーマを追いかけたら、親と仲直りできるんじゃないかって。
『うまれる』の取材では、10回くらい出産の撮影をさせていただきました。たくさんの命が生まれる姿、親になっていく姿を見て、無条件に僕自身の親への感謝が生まれて……。
それまでの僕って、人に認められたいから映画作りをやってきたところが多分あったんですよ。
これは「愛着」に由来するんですよね。親に愛されてない、認められてない。でも愛情とか信頼って、酸素みたいなもので、ないと生きられない。だから、誰かに僕を認めて欲しいというのが、制作の原動力だったんです。いま振り返ってみて、初めて言語化できるんですけど。
でも、『うまれる』を通して、僕自身が親に「産んでくれてありがとう」と言えるようになり、親も僕を認めてくれるようになった。たくさんの人が作品を受け入れてくれた。もちろん、妻や子どもも僕を認めてくれている。そうすると、僕の中の「愛着」のトラウマがかなり癒されたんです。
それまでは「認められたいから頑張ってきた」というのが僕の「自分らしい生き方」だったんです。それが、いざ自分の居場所ができたら、気持ちがすごく落ち着いて、「認めてほしい!」というエネルギーがなくなってきちゃったんですよ。
じゃあ、これからどんな生き方をしたらいいんだろう。自分らしく生きるってどうすればいいんだろうって。そこが、この作品の出発点になりました。
ーー分かる気がします。でも、無気力状態から生まれたとは思えないほど振り切った設定です。
自分らしく生きてる人って誰だろうって考えた時に、「オネエ」の人って、すごく自分に素直に、自分らしく生きているような気がしたんです。マツコデラックスさんとかね。
もちろん人によって違うと思いますが、あの格好、あのしゃべり方ができるのは、本当に自分と対話して自分らしく生きているからじゃないかと思ったんです。
僕が生涯追いかけると決めている「命と家族」というテーマと、「オネエ」をうまくミックスできないかと考えた時、オネエから一番遠い世界である産婦人科を舞台にしたら、ギャップがあって面白いんじゃないかな、と。
――では、もともと性的マイノリティーをめぐるテーマに関心があったわけではないんですか?
正直に言うと、全く知らない領域でした。だから、かなりの人数の方に取材させてもらいました。LGBT当事者の方、40〜50人くらい。
――物語の前半で、よくあるLGBTに対するスティグマ(偏見)と、それに対するアンサーがキャラクターたちの会話を通して提示されています。悪気はないけれどLGBTに対する偏見を持っている主人公の継生は、トモさん自身なんですね。
そうですね、その部分に関しては、僕が反映されています。胎児の声は聴こえませんけど(笑)。
僕も知らないことが多すぎて、差別意識はないんだけど、偏見らしきものはいっぱいあったんだろうと思います。当事者に話を聞きながら、それに気づきました。主人公と同じように。
あるトランスジェンダー男性の医師による、突然のカミングアウトから生まれた
ーーそれにしても、面白い設定です。LGBTが多数派で、いわゆる「普通」がマイノリティーという世界観。直感で浮かんだんですか?
『オネエ産婦人科』というストーリーを思いついた時に、偶然トランスジェンダーの医師に出会ったんです。
その人はFTM(女性として生まれたけれど、心は男性のトランスジェンダー)の男性医師で、僕の友人の後輩でした。友人と僕の家族で一緒に食事をする時に、たまたま後輩を連れてきたんです。
ヒゲも生やしていて、見るからに男性なんですが、すごく娘を可愛がってくれて、なのに「いやぁ、子どもは…」「僕は親になれないから…」みたいなことを言うんですよ。
職業柄からか、そういうの、僕、聞き逃さないんです(笑)。しばらくしてから、どういうことですか、と聞いたら、「実は僕、女なんですよ」ってカミングアウト! 僕も驚いたけど、そのドクターを連れてきた僕の友人ももうめちゃくちゃ驚いてて。2年以上一緒に働いていて、全く気づいていなかったんです(笑)。
『オネエ産婦人科』の登場人物は、最初は、全員「オネエ」にしようと思っていました。もし、映像化したら、美輪明宏さんが院長で、美川憲一さんが看護師長、はるな愛さんや佐藤かよさんが助産師、みたいな(笑)。
でもFTMの彼に出会って、LGBTといっても色々あるんだと知って、ゲイやレズビアン、MTF(男性として生まれたけれど、心は女性のトランスジェンダー)など混ぜこぜにしようと考えが変わったんです。
ーーすごいタイミングでの出会いですね!
彼にはその後、時間をもらってじっくり話を聞きました。
「3〜4歳の頃には、すでに自分の性別に違和感があった」
「スカートをはいたことがない」
「親に言えずに嘘をついてきた」
「社会不適合者なんじゃないかと思っていた」
……と、話を聞いてみると、実は“性”に向き合うことは、僕が追いかけている“生”というテーマと大きく重なっていました。
ちなみに彼は性別適合手術もして、戸籍も変えて、男性として生きています。つい先日、ストレートの女性と結婚しました!
誰かにとっての「自分事」が、誰かにとっては「他人事」
ーー「差別意識はないけれど、偏見はあった」とおっしゃいましたが、実際に性的マイノリティーの方を取材してどうでしたか?
正直、価値観が大きく違う部分があるな、と気づきましたね。
外見は「普通」だし、僕らと99%は同じなんだけど、セクシュアル・マイノリティーそのものに対する感覚とか、社会課題への考え方が大きく違う。例えば、結婚や出産、相続、看取りとかね。
同性婚やLGBTの出産などは賛成だし、最期の看取りだって、家族とかジェンダーに関係なく最愛の人がやればいいじゃん、って思うんだけど、正直に言えば、彼らの主張が僕にはピンと来ない部分があったんです。
彼らが「問題だ!」と言うことが、僕にはピンと来ない。彼らにとっては切実な「自分事」が、僕にとってはあくまで「他人事」だったんです。知らなかったから。
差別を受けている被害者としての意識が、差別を受けていない人には分からない感覚かな。
例えば、人種差別とか移民問題に似たかんじですかね。アメリカやヨーロッパに住んでいないし、現実を見たことがないから、良く分からない。もちろん、否定するわけではないし、なんとかできればという気持ちはあるけれど、ピンとこない、雲を摑むような話もあったんです。
ーーでも、豪田さんのように感じている人はたくさんいると思います。むしろ「自分ごと」として考えられる環境がないから、これまでLGBTが見えない存在になっていたのかも。
そこを何とかしたいな、と。このギャップは、どこかで誰かが間に入らないと埋まらないですよね。それは申し訳ないけれど、当事者だけでは限界がある、、、僕だ。知った以上、僕がやるしかない!!って(笑)
でも、書きながら「じゃあ、どっち側の視点で描くの?」と思うようになって。この小説が性的マイノリティーの人たちが「よく描いてくれた!」と言ってくれるものだと、非当事者にはピンと来ない話になってしまうと思うようになったんです。
僕は性的マイノリティーを代弁する物語は書けません。僕が人種差別とか移民問題を代弁する物語が書けないように。なので、非当事者の人たちに、「一緒に理解していきませんか?」と呼びかけるような気持ちで書きました。
LGBTとストレートを繋ぐ「オネエ」
ーー「オネエ」という言葉を不快に感じる人がいると知っていて、敢えてタイトルに選んだんですか?
当たり前に「オネエ」と使っていましたし、僕なんかは「オネエ」大好きだし、世の中の好感度も多分高いって思うんですが、取材の過程で良く思わない当事者もたくさんいることを知って、驚きました。
その不思議な感覚も小説の中に書いているのですが、今はFTMとかMTFという言い方をしている人も多いんですよね。
かなり迷った末に、でもやっぱり「オネエ」という言葉と存在が、ストレートの人と性的マイノリティーを結ぶ架け橋になると思ったので使うことにしました。
「オネエ」という言葉と、オネエ助産師 「望月ケイ」 というキャラクターによって、性的マイノリティーの人たちがあまり手に取らない物語になるかもしれないというのは理解しています。
彼らの支持は得られないかもしれない。理解されないかもしれない。でも、非当事者に「伝わる」内容にしたかった。大事にしているのは、「伝える」ことではなく「伝わる」こと。一文字違うだけで、意味が全然違うんですよ。
通常はあまりやらないようなのですが、「伝わる」ものにするために、ストーリーのきっかけになったドクターの彼はもちろん、他にも100人くらいに完成前の状態のものを読んでもらって、徹底的に意見を聞きました。
ーー『うまれる』『ずっと、いっしょ。』は、豪田さんにとって結婚やお子さんの誕生などライフイベントが影響した作品でした。あれから5年、子育てを通して作品づくりへの向き合い方は変わりましたか?
もちろん変わりました。変わらないほうが、おかしいです。
2作目『ずっと、いっしょ。』は、娘が生まれて、父親になって、この子に幸せになって欲しい、幸せにできる父親になりたいと思ったけれど、どうしたらいいのか分からなかった。『ずっと、いっしょ。』は、自分の家族が出ているわけではないですが、自分なりの家族像を探し続けた記録みたいな映画だったと思います。
でも、自分なりの家族像が持てるようになって、「愛着」のトラウマも乗り越えた今は、「自分の子供だけ幸せな世の中ってないな」と思うようになりました。今は、みんなが幸せでいられる社会、みんなが自分らしく生きられる社会作りに貢献できたらいいな、って考えるようになって、それが、今回の作品の大きなメッセージとして入っていると思います。
誰にだって「マイノリティー」な部分がある
ーー物語には、たくさんのマイノリティーが登場します。LGBTのスタッフたちはもちろん、主人公・継生も幾重にもマイノリティーだし、クリニックを訪れる妊婦や夫婦も、それぞれ事情を抱えています。
そう、決してLGBTだけを描いたわけではないんです。大きなテーマは、これまでと同じように「命や家族」。
「命」という太い幹があって、家族や親子の愛着、仲間との支え合い、自分らしく生きることの意味、そしてジェンダーなど、いろんな枝を描いている感じですかねぇ。
視点を変えれば、誰でも、みんなマイノリティー。日本人は、世界でみたら、そもそもマイノリティーだし、妊婦さんもマイノリティー、物語のどこかに、きっと「自分」を投影できるキャラクターやエピソードがあるんじゃないかな、と思います。
ーー『オネエ産婦人科』の映画化も楽しみですが、その前に、本作でも扱った産後うつを取り上げた映画『ママをやめてもいいですか?(仮)』の制作も行っているとか。
『ママをやめてもいいですか?(仮)』は、産後うつだけをテーマにしたというわけではありませんが、子育ての明暗をおもしろおかしく描いたドキュメンタリー映画です。
『オネエ産婦人科』を書くために、産後うつの経験者50人くらいに話を聞いたんですよ。実は、LGBTの世界と同じくらいに知らないことがいっぱいあったんです。一方で、僕自身、「パパをやめてもいいですか?」と思ったこともあったので(笑)、共感する部分もたくさんありました。
男女のギャップも感じたし、たくさんの夫婦のすれ違い、葛藤、家族が出来上がっていく過程がありました。
もともとは、「オネエ産婦人科」の取材だったんですが、「これは映画にしたら、救われる人がいるかもしれない」と。急遽撮り始めて、さくっと30分くらいの短編をつくるつもりが、90分くらいの映画になっちゃった。
めちゃくちゃ面白いですよ! また最高傑作を作ってしまった(笑)
現時点で、お母さんたちには2000%気に入ってもらえる映画になったと思います。泣けるけれど、たくさん笑えて、最後は前向きになれる映画。「重いテーマを軽やかに☆」という僕の作品作りのモットーが完璧に活かされた映画になっています。こっちは2019年中に公開する予定です。