人は人、自分は自分。そう捉えられたら、どんなに心が楽になるか――。
自分以外の「誰か」からの評価や見られ方に振り回されて、不安になったり、焦ったりしたことはありませんか。
『サイボウズ式』で働く大学生インターンの佐藤萌音も、そんなふうに感じていました。 自身の就職活動中、周りの目や声から影響を受け、就活を自分ごとにできなかった経験があります。
多様な選択肢がある今、一人ひとりが自由に人生を取捨選択していくには、自分と他人を割り切って考える力が必要なのではないか――。 就活をしながらそのことに気づいたのは、漫画家のさわぐちけいすけさんの書籍を読んだのがきっかけです。
さわぐちさんの作品で描かれる、他者との境界線を大事にし、相手に期待しすぎない考え方について、実際にさわぐちさんにお話を伺ってきました。
「周りの評価」や「振り回されること」にもメリットはある
佐藤:はじめまして。今回さわぐちさんにインタビューしたいと思ったのは、私自身が、他人の目を気にしてしまって悩んでいるからなんです。
さわぐちさんの書籍『人は他人 異なる思考を楽しむ工夫』(KADOKAWA)を読んで、自分も他人に期待しすぎない自立した姿勢を身に付けたいなと思いまして。
さわぐち:そうだったんですね。
佐藤:漫画を読みながら、さわぐちさんの考え方に憧れると同時に、どうして日頃から自分と他者をわり切ることができるのかなと疑問に感じていました。
たとえば、ご自身が病院の事務職員からフリーランスになられたとき、周りからの声や見られ方は気になりませんでしたか?
さわぐち:うーん……。正直、考えたこともないです。
だって、事務職からフリーランスに転身するときに反対してくるということは、「事務職でいた方が安定した人生を過ごせる」って思っているということですよね。ぼくとは考えが違いすぎて、そういう人たちの声はあまり気にならないです。
佐藤:?????
さわぐち:逆に、佐藤さんが周りのことを気にしてしまう理由が知りたいなあ。具体的なエピソードとかありますか?
佐藤:自分の就職活動の時に、周囲が褒めてくれるような大手企業を選ぶか、企業規模に関係なく、自分が心から好きだと思える会社を選ぶかで迷ったんです。
自分の好きなことを選べばいいのに、なぜか他人からの見られ方を気にしてしまって。
さわぐち:なるほど。でも、周りに褒められたくて大手企業を選ぶのも、自分の気持ちに素直に好きな企業を選ぶのも、たくさん稼ぎたくて給料がいい企業を選ぶのも、全部正当な理由じゃないですか。
どんな理由であれ、その人にとって大切な選択の基準であれば、誰も責めてしかるべきではないと思うんですが。
佐藤:そうなんでしょうか?私は他人の視線や意見を気にして何かを選択すると、「自分で選んだ」という主体性が感じられないんです……。
さわぐち:「人からの評価をモチベーションにして行動する=主体性がない」とは、私は思わないです。
佐藤:え?
さわぐち:私は仕事でエッセイを描くとき、周りからの評価やTwitterのRT数が実績となって、次の仕事につながるわけだから、仕事をがんばる動機のひとつになります。
佐藤さんは他者から影響を受けることに悩んでいますが、逆に他人の話に全然聞く耳を持たなくて、失敗ばかり繰り返す人だっていますよね。他人の意見を聞けるっていうのは長所でもあるんです。
そう考えると、「周りの評価」や「振り回されること」にもメリットはあるはず。
佐藤:そうか……。自分自身がその選択の結果に納得できていれば、他人の目を意識してがんばることも、決して「主体性のない生き方」ではないんですね。
他人が気になるのは、自分が評価や視線をどうにかできると期待しているから
さわぐち:そして、他人の評価って、自分でどうこうできることじゃないですよね。
佐藤:気になりますが、自分ではどうしようもないですね。
さわぐち:他人が気になるのは、人からの評価や視線をどうにかできるんじゃないかという謎の期待を抱いているからだと思っています。
自分の活動に対して、怒る人もいれば、好奇の目を向けてくる人もいる。いろいろな人がいて、でもそれってどうしようもないんです。自然災害のようなもの。
だから、私は他人から良い評価をされたい、良く見られたいって一切期待しないんです。唯一コントロールできるのは自分のことだけじゃないですか?
佐藤:たしかに……。
さわぐち:「自分がどう動くか」に注力して、想像していた以上の評価が来ればラッキー、こなければそんなものか、くらいの気の持ちようでいいんだと思います。
佐藤:さわぐちさんの作品に「他人は変わるかもしれないし、変わらないかもしれないけど、自分はがんばったら変わる。がんばるならエネルギーは内側に」というようなことが書かれていて。
さわぐちさんは、いつからこうして自己と他者をわり切れるようになったんですか?
さわぐち:学生時代からですかね。中学のとき、同じ空間に40人くらい生徒がいて、どうしても全員とは仲良くできないと感じていました。
佐藤:人付き合いが得意だったわけではないんですね。
さわぐち:むしろ苦手だなと感じていました。ただ、「なぜ自分は人付き合いを難しいと感じるのか」ということに関してはとても興味があったんです。追究したくて、心理学の本をひと月で50冊くらい読んだりもしました。
佐藤:それはすごい……
さわぐち:考える中で分かったのは、自分はたくさんの人と関わるより、「丁寧に関係を持ちたい」と思える相手を大事にしたい人間であるということ。
そして、そうした大事な人を長く大切にするために、あえてその他の人とは一線を引く、そんな人付き合いをしたいということでした。
よく、「人と仲良くするための方法を教えて欲しい」という内容を相談されるのですが、私の場合はむしろ逆です。どうすれば他者との境界線を保つことができるか、という視点で人間関係を考えていましたね。
感情は“燃料”、理性は“道具”として使う
佐藤:そんなさわぐちさんに悩み相談をふたつさせてください。ひとつめは、他人の中でも特に身近な相手が困っているときに、求められているものとは違う優しさをぶつけてしまうこと。
たとえば、相手が落ち込んでいたら、私は会って励まそうとしてしまうんです。相手からは「あのときはそっとしておいてほしかった」と後で言われて……。
それでも「相手に優しくしたい」という思いから、同じようなことを繰り返したことがあります。
さわぐち:どうして繰り返してしまうんだろう?
次に同じようなことがあったら、「この前『そっとしておいてほしい』って言ってたし、今度は放っておこう」と判断することはできない?
佐藤:身近な相手なら愛情をかけるのが当然だ、と思い込んでいるのかもしれません。つらいときほど一緒にいてあげたい、みたいな……。
さわぐち:お節介さんなんですね(笑)。
佐藤:そうだと思います。これって自立ができていないから、こういった行動をしてしまうのでしょうか?
さわぐち:佐藤さんの自立の認識の仕方が気になります。
私は自立って、依存先をたくさん持つって意味だと考えています。
佐藤:依存先をたくさん持つ?
さわぐち:そうです。自立は、決して自分一人で成立するものではなく、複数の相手に少しずつ依存することだと思っています。
佐藤:なるほど。
さわぐち:だから、佐藤さんの場合は、自立していないのではなくて、誰かのために何かしたいと思うエネルギーがたくさんある――。そういう個性があるだけなんだと思いますよ。
私もね、自分がすごい怒りっぽいのを自覚してるんです。だからこそ、その怒りのエネルギーをどこにどう使うか考えてます。感情を“燃料”として上手く使うのに必要な“道具”が理性なんです。
佐藤:そこまで自分のことをわかっていると、エネルギーを自覚的に使えそうですね。
さわぐち:だと思います。私自身は燃料が多いほうだと思っていて、承認欲求だってあります。だからこそ、自分を満たす方法をひとつに集中させず、分散させようと考えていましたね。
相手に感情を押し付けてしまうのは、その人を「役割」や「肩書」で見ているから
佐藤:もうひとつ、お悩み相談させてください。さっきの話にもつながるのですが、「家族だから◯◯したい」「友人だから◯◯したい」「恋人だから◯◯したい」という風に、身近な相手ほどエネルギーをあげたくなるんです。
それが受け入れてもらえないと、ちょっと不満な気持ちになってしまって。
さわぐち:相手や自分を「役割」や「肩書」で見てませんか?
佐藤:そうですね……相手がどうしたいかというより、役割を強く意識するあまりに、「友達だから悩みを聞かなきゃいけない」「家族だから、私を助けてくれて当然だ」と思い込んでしまいがちです。
さわぐちさんの『妻は他人 だから夫婦は面白い』(KADOKAWA)に「相手が妻(夫)だから◯◯を要求する権利があるという考え方は大変危険だ(62ページ)」、と書いてあったのを見てハッとしました。
さわぐち:それ、書きましたね。たとえば、今取材中で、カメラマンさんが同席してるじゃないですか。カメラマンさんの仕事は写真を撮ることですよね。じゃあ、友達って何をする人だと思います?
佐藤:お互いに困ったときに助けたり、悩みがあったら聞いたり……。
さわぐち:その回答こそが、役割にとらわれている証拠なんだと思うんです。「友達や家族といった肩書きに従って、役割をきっちり担わないといけない」と思っているのかもしれませんね。
もし私が佐藤さんの友達だったら、「佐藤さんは良い人だけど、ちょっと介入しすぎかな」って感じそうです。でも、その気遣いを喜ぶ人、助かると感じる人もいると思っていて。相手によってその感じ方は異なるので、「こうしたら良い関係を築ける」という「正解」は存在しないんです。
佐藤:なるほど。
さわぐち:私たち夫婦も決して「正解」といえる関わり方をしていないと思います。人付き合いの定義は人それぞれだろうけど、相手によってカスタマイズしたほうが良いですよね。
今、自分が相手にぶつけているのは、必ずしも相手にとっての優しさではないと理解した上で、相手と話し合ってみては?
佐藤:話し合ってみます。主張を受け入れてもらえないと、自分たちは本当に仲がいいのかどうか、不安になりそうですが……。
さわぐち:身近な人だからこそ、理解し合わないといけない、というのも思い込みですよね。相手をわかる、理解する義務はどこにもないですから。
理解したいっていう欲求自体はいいけど、それを相手に押し付ける権利はないんです。
そもそも他者から影響を受けるのは、人付き合いの醍醐味
佐藤:勉強になることばかりです。
最後に、自分と他人とを分けて考えるのが難しい人、程度の差はあれ他人のことがどうしても気になる人は、どういった「トレーニング」をすると良いでしょうか?
さわぐち:そうですね……その時々で「誰の声を聞きたいと思うか」を、柔軟に決められるようになればいいと思います。
例えば、「今回は何が何でも自分の判断で決める」「ここに関しては恋人の意見が最重要」「今回は一度、友人の薦めに従ってみよう」というように、状況に応じて気にしたい相手が違ってもいいわけです。
そうすれば、多くの意見に惑わされず「他人の意見を聞きつつ、自分で選んだ道」を進めるのではないでしょうか。
佐藤:「他人の意見を聞きつつ、自分で選んだ道」か……
さわぐち:そうです。佐藤さんは今日のはじめに、他者を気にしない姿勢を身に付けたいと言ってました。
だけど、人の影響を受けるって、人付き合いの醍醐味だとも思いませんか?
佐藤:たしかに、良い影響もありますもんね。そのためにも、顔のない“他人”ではなく、具体的な人の顔を思い浮かべてみます。
さわぐち:そうそう。ただやみくもに「周囲の視線を気にしないぞ」と必死になるよりも、現状を見つめ直してみて、他人を気にしてしまうことの何がデメリットになっているのか探して見てください。
きっとその方が楽しいはずです。
執筆・池田園子/撮影・橋本直己/企画編集・佐藤萌音
本記事は、2018年12月19日のサイボウズ式掲載記事
より転載しました。