原告の訴えを全て棄却しますーー。
鈴木正紀裁判長が淡々と話すと、傍聴席にはため息が漏れた。
ゲイであることを同級生に暴露(アウティング)された一橋大の法科大学院生(当時25歳)が、2015年8月に校舎から転落死した事件。学校が適切な対応をしなかったと両親が訴えた東京地裁の裁判は、2月27日、原告側の敗訴で終わった。
学生に過去の自分を重ね「常に死が隣に控えている」と感じた松中権さん、オープンリーゲイとして活動しながらも、時にパートナーとの「関係を偽らなくてはならない」ことに疑問を感じると書いた松岡宗嗣さん。その他にも、亡くなった学生に思いを寄せる同性愛や性的マイノリティの当事者を含む人々が傍聴席を埋め、その時を待っていた。
しかし、判決では、ハラスメントなどの相談を受けながら転落死を止められなかった学校側の落ち度はなかったとされた。
それだけでなく、「アウティングが不法行為にあたるか」などの議論には一切踏み込まなかったことが、原告や支援者を落胆させた。
「日本の司法はそんなものなのか」
原告となった両親の代理人の南和行弁護士・吉田昌史弁護士も「夫夫(ふうふ)」だ。南弁護士は、弁護士を目指していた学生から、亡くなる直前、アウティングについての苦悩を相談されていた。
判決を受けて開かれた記者会見。吉田弁護士は判決について以下のように語った。
裁判では一貫して意図せずアウティングされることの危険性を訴えてきたつもりです。アウティングは人を死に追い込む危険がある加害行為。そうした不法行為が学内で行われたというのを前提に、大学にはどのぐらいの危険性があるのかを判断してほしかった。
若者がひとり、命をなくしている。そこに踏み込まなければ、「今現在同じことが起こった時に、大学は同じ判断をするんですか」ということになってしまう。
訴訟が始まってから他の大学でもいろいろな動きがあった。代理人としては不本意な裁判所の姿勢でした。
続いて南弁護士は、亡くなった学生の父親の「笑われるような判決ではないか」や、「日本の司法はそんなものか」と落胆する妹のコメントを読み上げた。
そして、さらに家族の様子や思いを代弁。涙をぬぐった。
彼のお母さんお父さんは、裁判のたびにこう話していました。「本人の気持ちも一緒に法廷に来ているから。弁護士にはなれなかったけど、あなたの裁判だよ」と。
この裁判が勝つか負けるかよりも、裁判所が「アウティング」をどう捉えるか、その本質を気にされていました。
「目指していた弁護士にはなれなかったけれど、本人の生きたことが日本の裁判の歴史の中で大きな基準になるような判決になれば、夢は果たせなくても意味はあったんじゃないかな」それがご両親の思いでした。
「アウティング」は集団の中で人間関係がガラッと変わってしまうこと。しかし裁判では表面的な判断しかされなかった。私達、原告代理人も残念でなりません。
「カミングアウト」「アウティング」に接したら
しかし、今回の訴訟では、亡くなった学生に「好き」と告白され、その後「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ」と、友人たちにLINEグループでアウティングをした同級生に、一定の理解を示す声が少なからずあったことも事実だ。
例えば、「異性愛者である自分がもし突然、同性の知人から『告白』をされたら、どう接すればいいのか?誰にも言わずに自分で全て受け止めなくてはいけないのか」といった声だ。
南弁護士は、そうした声を受けて、「知人が同性愛者であったという秘密を知ってしまうことが、『爆弾を預けられた』みたいに思われることも嫌だなと思った」と率直に語った。
その一方で、差別や偏見の多い世の中での意図せぬアウティングが、その人を孤立させ、死に追いやるほどの危険性を孕んだ行為だということについて、もっと考えてほしいとも訴えた。
南弁護士は、今回のアウティング行為について「相手が傷つくのをわかっててやったので正当性がない。秘密を抱えている人に敵意を向けたって解決はしない」と改めて厳しく指摘した。
さらに、一般的に「カミングアウトや告白などで秘密を知った人」「誰かのアウティングに接してしまった人」に対しては、こう考えてほしいと語った。
みんな、集団の中で人と人との人間関係を作っています。その中でアウティングされることは、「この人みんなの前でこういうこと言ってるけど、本当は違いますよ」ということをバーッと裸にされたような感覚です。その不安感が孤立に繋がります。
アウティングに「巻き込まれた」(周囲の)人も、知ってしまった事情をなかったことにするのではなく、「あなたの孤立感も分かるよ」としたうえで、新しく人間関係を作っていけたらいい。「聞かなかったことにするから大丈夫だよ」というのは違うと思います。それが、アウティングされた人を救う上で大事だと思います。