独身をこじらせた未婚・子なし42歳が、芥川賞作家の柴崎友香さんと話したら、「いろんな人、いろんな生き方があっていい」と悟れた

「これは私の話だ!」柴崎さんの著書『待ち遠しい』を読んだ時、共感のあまり叫んでしまった。

「(一人暮らしは)不安じゃないですか? 子供いないと将来さびしいっていうか厳しいじゃないですか」

「(子供は)二十代のうちに産んどかないとやばいでしょ」

「女に生まれてきたんやから、普通は子供ほしくないわけないと思うけど。春子さんて実はすごい冷たい人なんちゃう」

「女の人は仕事でも主婦でも選べて、自由で羨ましいわ」

そんな言葉を投げかけられながら

「わたしはほんま、いいねん。今の生活でじゅうぶん、いい」

「これくらいの年になって一人でいることって、そんなにおかしいんですかね。厳しいけどなんとか働いて、ちゃんと生活してても、人格が欠けてるみたいに思われるのは、なんでなんでしょうね」

と思いつつ暮らしている主人公・春子。

芥川賞作家・柴崎友香さんが上梓した『待ち遠しい』(毎日新聞出版)の中の話だ。

私が抱える「未婚・子なしコンプレックス」について、同じく独身の著者、柴崎友香さんと話してみたい! そんな思いに駆られて、語り合ってきました。

私たちが生きてきた時代はとても変化が速かった

芥川賞作家・柴崎友香さん
撮影:米田志津美
芥川賞作家・柴崎友香さん

――『待ち遠しい』を読んだ時、これは私の話だ!と思わず叫んでしまったほど共感しました。独身で一人暮らし歴10年になる39歳の北川春子、夫をなくしたばかりの63歳・青木ゆかり、独身の春子に辛辣な言葉を投げかける、現実的で今時の新婚25歳・遠藤沙希という年代も性格も、これまで身を置いてきた環境も全く異なる3人のご近所付き合いが軸に話が進みます。

都内などではどんどん希薄になりつつある「ご近所づきあい」を書こうと思ったのには、どんな理由があるのでしょうか。

理由の一つとして、昨今の時代の大きな変化があります。私たちが生きてきた時代はとても変化が速くて、親が生きてきた人生と今自分が生きている人生や社会が全く違うという人は多いのではないでしょうか。もっと言えば、もし子供がいたとしたら、今自分が生きている世の中と、子供たちが生きている世の中は価値観も変わっていて、話が噛み合わないなんてことは当たり前に起きる。親にしてみれば「なんでこうしないの?」という思いがある一方で、子供にしてみれば「そんなことを言われても」というすれ違いがあるように思うのです。

そしてもう一つの理由は、自分自身が比較的、同世代の人たちとしか関わらずに生きてきたなという思いがあること。親や学校の先生といった立場や役割上関係がある人とは多少接しますけど、それ以外の人とフランクに話す機会はあまりありませんでした。もっといろんな世代の人に話を聞く機会があれば、互いの間にある価値観の違いや考え方を知って、「こんな風に思っていたのか」といった見方ができたり、自分の将来ももう少しイメージできたのかもしれないと思うんですよね。

――3人の主な登場人物の中で、最も自分と重なる部分が多かったのは春子でした。

春子が日々投げかけられている言葉は、妙齢になって結婚していない、もしくは子どもを産んでいない女性なら一度は言われたことがあると思います。言葉だけではなく、実家に帰ったときに親が醸し出す、なんとも言えない空気感なども。

実家で、ちょっとしたプレッシャーや、微妙に気を使われている雰囲気を感じることってよくある話ですよね(笑)。

私は人と喋るのが好きなんですけど、友人などと話していると「似たような話を、前にも誰かから聞いたな」ということが多いんです。どうして結婚していない、子供がいないだけで、あれこれ言われがちなのだろうとか、言ってしまう方もなぜそんなことを言うのかなと考えてしまいます。

言われた側は、思うところがあるにもかかわらず、「それをわざわざ口に出すと愚痴みたいになってしまう」とか「いちいちそんなことで怒るのも」と思って溜め込んだり、言い返さないようにすることが多いですよね。もしくは、受け流すのが大人の態度だと思い込もうとしたり。

――そんな我慢や、受け流すことばかり、どんどん上手くなっている自分を感じてしまいます。

そうですよね。これは、仕事でも起こりうることだと思います。

私は会社員として働いていた時期があるのですが、自分の担当外の仕事を「これもやっといて」と指示された時「それは、自分の仕事ではないです」と断るのも角が立って面倒だし、「そんなことを言って嫌な顔をされたら…」と、なにも言わずに引き受けていたんです。

ところがその後、私が退職することになり、本来だったらしなくていい仕事を後任の方に引き継ぐことになってしまって。「自分だけだからいいか」と思っていたけれど、いつかそれが当たり前になると私だけの問題ではないと考えて、きちんと言うべきだったなとすごく反省しました。

――最近の流れとして、さまざまなことに声を上げやすい風潮になってきていると感じます。そういった仕事上で溜まっていくモヤモヤも独身の女性が言わずにいたことも声に出していっていいのでは?と思うことがあります。

声を上げていいのはもちろんですし、それ以前に、最近の流れの中で、怒ってよかったんだ、嫌だと思ってよかったんだと気づけたことは大きいと思います。

嫌だと感じることすら、自分のわがままなのではないか、気にしすぎなのではないか、と自分で蓋をしてきた部分があります。相手もアドバイスとして言ってくれているのかもしれない、それを否定してはいけないのではないか、とか。

そんな風に考えてしまっていた人が「これはおかしい、嫌だと感じていいし、表明してもいい」と思えるようになってきているのは感じます。

体の一部分が違うということは、内面はもっと違う

撮影:米田志津美

――作中の春子さんは独身で、ちょっと淋しい時もあるけれど、一人の時間も楽しんでいて、結婚しなくちゃ!とがむしゃらにはなっていません。春子さんのような人もいれば、結婚したくて、婚活を一生懸命している人もいます。何が言いたいかと言うと、未婚だったり、出産していなかったりする背景は人それぞれだと思うんです。

結婚や出産に対する温度感は一人ひとり違うのに「未婚」「子供がいない」と一括りにされているなと感じることもあります。

結婚していない人の中でも、もちろん結婚している人、子どもがいる人、いない人の中でも、それぞれ事情が違うし、いろいろなことがあって、人生がいまのようになっているだけの話なんですよね。長い人生の一つの局面でしかない。

先日、日本のひきこもりに興味を持って、イタリアから来日して精神科医になるための勉強をしている人のインタビューを読んだんです。その中で彼が「日本では、『スタンダードの物語』を求める圧力がとても強いと感じます。年齢に応じたゴールがあって、例えば、『30歳よりも前に結婚しなければいけない』とか。『売れ残り』という表現に出会って驚きました。」と話をしていました。またその流れで「全員が同じような人生を、同じタイミングで送れるはずがないじゃないですか」とも語っていて。私はそれを読んでハッとしたんですよね。そして、ハッとしたことに、自分自身ショックを受けました。そんな当たり前のことすら、言葉にする人は少ないんだと。     

――確かに、みんな一斉に小・中・高と進んで、大学生になる年代も大体一緒、大学を就職したら、一斉に就職してと「同じタイミング」で人生が動くことが多いですね。

それで言うと、最近、私、靴のサイズを測ってもらったんですけど。

――靴のサイズですか?

そう、靴のサイズ。私はずっと、自分の足の形がちょっとイレギュラーで、市販の靴が合わないのは仕方がないと諦めていました。でも小指側が痛くなる内反小趾が悪化してしまったので、専門のところでサイズをきちんと測ってもらったんですよ。そうしたら、今まで自分の足は幅が広いと思っていたら、実際には横幅はあるけど厚さが薄くて、もっと幅(ワイズ・足囲)が狭い靴をはくのがいいとわかったんです。そうしたら、歩くってこんなに楽なことだったのか!と。特にかかとが小さいので、合う靴はなかなか見つかりませんが。

それで思ったのですが、人の足の形をじっくり見る機会も少ないし、厚さも幅も他人と測ってくらべてみないじゃないですか? この出来事を機に興味を持って友人の足や靴を見せてもらうと、一人ひとり全然違う。ものによってはS,M,Lしかなかったりする靴が合わなくて当然だなと。体の一部分だけでそんなに違うということは、内面はもっと違うのだと思います。それなのに同じタイミングで同じことをすることこそ無理があって、できないから悪いとか努力が足りないとかいうわけではない。結婚や出産だけじゃなく、持っているものや環境や、人生のいろいろなことについて一人ひとり「違う」ことを、人は意外に気づかずに過ごしています。

「30歳を過ぎて、いまだ独身」と書かれて

撮影:米田志津美

――柴崎さんは結婚していらっしゃいませんが、周囲から何か言われたりすることはありますか? 

若いころから、結婚しないといけないとか、してないからどうということは、あまり考えずにきましたし、今も変わっていません。人は様々な出来事や経験があって、今この人生があるというだけなので、それでいいと思っています。でも、自分ではそう思っていても、人からいろいろ言われるというのはみなさんと一緒ですよ(笑)。

――何かのインタビューで、以前「30歳を過ぎて、いまだ独身」と書かれた経験があるとおっしゃっていたのを拝見したのですが…。

そうなんですよ、たしか夕刊紙のインタビューだったと記憶しています。小説のことを話したのに年齢と結婚でくくられてびっくりして。自分の書いた内容にまったく関係ないことで、記事を見たら書かれていて、驚きました。その紙面を読む層に向けて、私という作家を紹介するとき、キャッチーなことがそれくらいしかなかったんですかね。

――「30歳いまだ独身」がキャッチーな社会なんて、おかしいと思います。

例えばスポーツ選手などで「頑張ったママアスリート」のような書き方をするのも同じ構造なのだと思います。本人はひと言も言っていなくても、勝手に「いまだ」なんて扱いをされるんだな、と理不尽で記憶残っている経験ですね、あれは。

 

――私は、このまま結婚しなかったとしたら、将来、同じように独身の友人たちと一緒に暮らすかなど、考えることがあります。柴崎さんは将来のことを考えることはありますか?

もし結婚したとしても、長生きしてずっとパートナーと一緒にいるとも限らないですし、思わぬ人と助け合えることもあるし、まわりを見ていても、人生はそれぞれだなと感じます。

配偶者や子どもがいなくて一人でいる心理的な寂しさももちろんあるとは思うけれど、小説の中で春子が入院をし、「手術が必要になって同意書にサインする人がいなかったらどうなるんだろう」と思う場面が出てくるように、今の社会は安定した家族がいる前提で制度ができあがっています。家を借りるのも、入院して手術をするのも、家族がいなかったり家族との関係が難しい人だと不便や不利な扱いを受けることがある。

同性婚が議論されるようになったのは進展だと思いますが、本当は昔から家族っていろんな形があるし、人間関係も現実はものすごく多様なのに、それはなかったこと、ないことにされがちです。社会や制度は、人が暮らしやすくあるために存在するもので、制度に合ってないからその人はダメというような自己責任論みたいな語られ方はどうなのだろうと疑問に思います。

公共のサービスや保険の説明のパンフレットやテレビCMなどを見ていると、夫婦2人、子供2人、お父さんは会社員でお母さんは主婦という家族で表されてるものが今も多いですよね。知らず知らずのうちに「普通」を刷り込むようなものはまわりに溢れています。だからこそ、結婚していない人、子どもがいない人、あるいはその「普通」に当てはまらない状態の人に「何か欠けている」「努力が足りないんだ」と言葉が投げかけられることがあったり、その人自身が「至らなかった」「社会の中で自分はできていない部分があるのではないか」とプレッシャーを感じてしまったりする部分もあると思います。

現実って、複雑で多様です。家族でうまくいっていればもちろんそれでいいですが、血縁の家族以外にも助け合えること、社会ができることはたくさんある。社会や制度が変わるには、時間がかかりますが、少なくとも、どんな生き方をしていても、「普通」と違うからといって「自分は何か欠けている」と思わなくていい社会であってほしいと強く感じますね。

自分ではない人の人生も身近に感じて

撮影:米田志津美

――今回、もちろんそれだけがテーマではありませんが、周囲の人や社会のなかでの独身女性の扱われ方に作品の中で触れたことで「30代いまだ独身」のような、柴崎さんが独身でいることについて他者から何か言われたりする可能性を考えたりしませんでしたか?

自分自身と小説は別ですし、そもそも普段からなぜそこを基準にするのかわからなくて。ただ、今更こんなことを書かなくてもと受け取られるかもしれないという思いはありました。気にしなければいいだけ、とか、女性はもうじゅうぶん自立して自由じゃないか、とか。だからこそ、現在の社会でまだまだこんなことがあるということを書きたかったんです。実際に本を出してみると、未婚・既婚、男女や年齢にかかわらず、こんなことを言われてひっかかっていた、なぜつらい気持ちになったかはっきりした、と感想とともに自分の経験を伝えてくださる方が今までになく多かったです。榊原さんが書いたブログを読んだとき、勇気があるなと思いました。書いたことで、何か言われたりしなかったですか?

――書く前に思っていたほど、ひどいこと言われることはなく、どちらかというと好意的な内容や、共感が多かったように思います。ただ、あの記事を書いた数日後に「このタイミングでごめんね」と謝りながら、「俺、結婚することになったんだよね」と言ってきた知人はいました。

わー、びっくりしますね!あの記事のどこを読んだんだろうって思いますよね。「ごめんね」ってどういう気持ちなんでしょう。普通に「結婚することになった」って言えばいいだけじゃないですか?

――私としてはひがんだりする気はないし、本来なら心からの「おめでとう」を送りたいところだったのですが、「このタイミングでごめんね」の一言で、なんだか、素直になれなくなってしまった自分がいたんです。あの記事を書いたことで、自分の“かわいそう度”をアップさせてしまったのではないかなど、いろいろ考えてしまいまして。なんか、こじらせていますよね、私。

いや、わかります。私もそういう時がありますよ。

小説の仕事をして20年になるんですが、幸い、ほぼ毎年本を出し続けてこられて、賞をいただいたりもして、それなりにがんばってきたかな、と思って、普段の生活を楽しんでいても、「でも、あの人は結婚してないし」みたいなひと言でジャッジされてしまうことがあるんだなと、びっくりするし、続いたりするとそれは気力を削られますよね。

でもきっと、私が結婚して、子供がいたとしても「あの人は仕事をしてるからって、子育てがおろそかになっている」などと言われることもあるのだろうなとも思います。それは裏表で、同じことですよね。

――さきほど、結婚していない人と一括りにされがちだけれど、その実、一人ひとりの背景や思いは違うというお話になりましたが、それで言うと、同じ自分という人間の中でもこじらせている日もあれば、全く気にもならない日もあるんです。

それ、すごくわかります。日々のちょっとしたことで、なにもかもネガティブに考えてしまうことはありますよ。それこそ、さっきの「このタイミングでごめんね、結婚して」みたいなことを言われれば、理不尽に感じて当然です。

今回の作品のなかで、それまで周りから言われることを拒否したり声をあげたりしてこなかった春子が、ゆかりに「私はこのままでいいんです」というシーンを書きました。

普段仲良くしている友達や価値観の近い人と話していると「わかる、わかる」と共感は生まれやすくて、わかりあえる関係はとても重要です。一方で、違う意見、つまり「私はこう思うけれど、あなたは違う」と表明して関係が悪くなることをとても怖れがちです。今の社会では、どうしても「空気を読む」というかその場の雰囲気や関係を壊すことが良くないというプレッシャーが強く、特に女性はその場の調整役を求められがちで、自分の意志を伝えたり、特に抗議するようなことを言ってはいけないのではないかと思ってしまう。でも、関係を維持したいからこそ「違う」「いやです」と表明することが必要なときもあるし、世代も価値観も違うゆかりに、春子が「私はこのまま(一人暮らし)でいいんです」と伝えたように、思い切ってまわりの人に話してみればお互い「あ、そうか。そういう考え方もあるか」「そうだったんだ、想像が足りなかった」と話が発展することもあると思うんですよね。それでも通じない人はいるし、難しいこともありますが。

――最近、理解し合えなかったとしても、こういう考え方の人がいると互いに知ることだけでも意味があるのではないかと、感じます。

理解する、わかるということ=同じ考えになるということじゃないですよね。「あ、そういう考えの人もいるんだな」と知って同じ社会で生きていければいいと思うのですが、特に、自分の考えが「普通」「常識」と思い込んでいる人と話すのは、しんどいことも多いですね。

自分の若いころを思い出してみても、世の中が変わってきた、よくなったと思うこともたくさんあります。それは、自分の意志を伝えたり、「普通」「標準」とされているのとは違う生き方や考え方があると知られてきたからだと思います。

「違う」ことを伝えるのは躊躇してしまうかも知れませんが、例えば、一人でいるのが好きな人と、たくさんの人と一緒にいるのが好きな人が絶対に付き合えないかというと、そんなこともないでしょう? ときどき話すとか、職場で助けあうことはできるはずです。人の権利や領域を侵害するようなことは別として、考え方が同じだからいい、違うからだめ、と反射的にならないように私自身も気をつけています。異なる考えに触れて視点が広がることもありますし。

今回の『待ち遠しい』で私は、既婚と未婚を比べたかったわけでもないですし、ご近所付き合いはするべきですよ! と奨めたかったわけでもありません。ただ、いろんな人がいて、いろんな関係がありますよと書きたかったんです。自分ではない人の人生を身近に感じられるのが小説の楽しみの一つだし、こんな人がいる、こんな生き方もあるということを、書けるのが小説なのだと思います。

しばさき・ともか

1973年大阪生まれ。2000年に『きょうのできごと』でデビュー。2007年『その街の今は』で藝術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞。2010年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞(2018年に映画化)。2014年『春の庭』で芥川賞。最新刊は『待ち遠しい』。2月に「かわうそ堀怪談見習い」が文庫化、7月に短編集を刊行予定。

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『待ち遠しい』

柴崎友香著 

毎日新聞出版刊 本体1600円+税