昨年は約20万人が参加し、今や日本のLGBTムーブメントを象徴するイベントともいえる『東京レインボープライド(TRP)』。主催団体の代表・共同代表として7年間、TRPの運営を支えてきた山縣真矢さんが、昨年9月にその職を退任した。
1月末、企業のダイバーシティ推進担当者が集うイベント『LGBT-Allyサミット』で、山縣さんは日本のプライドパレードの歴史を振り返り、その意義について語った。
イベントを主催したOUT JAPAN代表取締役の屋成さんは「多くの企業がTRPに参加するようになったからこそ、プライドの目的や歴史を知ってほしい」と話す。
「あくまでLGBTムーブメントの一つがプライドパレードであって、その逆ではない」と語る山縣さんは、日本のプライドシーンをどのように見てきたのか。次の世代に託したい想いとは。
パレード前夜
今や世界各地で開催されているプライドパレード。きっかけとなったのは、1969年6月28日にニューヨークで起こった「ストーンウォールの反乱」だ。
当時、ニューヨークでは警察によるゲイバーへの踏み込み捜査が行われていたが、その年の6月28日、ゲイバー「ストーンウォール・イン」に警察の手入れが入ったことをきっかけに、その場の「ゲイ」たちが対抗し起こした暴動が「ストーンウォールの反乱」だ。
これが、後のゲイ解放運動やセクシュアルマイノリティの権利獲得の動きの象徴として位置付けられるようになった。
山縣さんによると、1970年代から日本でもゲイ雑誌が創刊され、同性愛者の人権保障を目的とした団体が設立され、90年代前半にはメディアでゲイに関するトピックが数多く取り上げられるようになる「ゲイブーム」も起こっていた。動くゲイとレズビアンの会(アカー)による有名な「府中青年の家事件」の裁判が起こったのもこの頃だ。
「まさに“パレード前夜”と言えるような、セクシュアルマイノリティ、特にゲイ解放運動の動きが、日本でも盛り上がりはじめていました」
そして1994年8月28日、日本初となる『第1回レズビアン&ゲイパレード』が東京で開催された。
「最初は100人程度だった行進が、次第に人が集まってきて、最終的に1000人規模にまでなったと、運営組織の代表だった南定四郎さんから聞いたときには、胸が熱くなりました」と山縣さんは話す。
3回の壁
東京のプライドパレードは、こうしてスタートを切ることとなったが、その後は紆余曲折を経ることになる。運営方法等をめぐってパレード開催を継続することができず、3回開催しては中断という経験を3度繰り返すこととなったのだ。
山縣さんが東京のプライドパレードの運営に関わるようになったのは2002年から。その後、途切れながらも開催されたパレードの運営に携わり、2011年に既存の運営団体から派生した形で生まれた「東京レインボープライド」を創設メンバーとして立ち上げ、翌年の12年からは団体の代表となった(2015年8月にNPO法人化して以降は、杉山文野さんと共に共同代表)。
「まず最初の目標は、3度繰り返されてきた“3回の壁”を乗り越えることでした」と当時を振り返って山縣さんは話す。
2012年の第1回『東京レインボープライド(TRP)』は参加者数が4500人、第2回は13000人、第3回は15000人と動員数は急増。ついに4回目の開催となった2015年、山縣さんたちは勝負に打って出た。それまで1日だけの開催だったのを、その年は2日間に増やしたのだ。
「2010年代に入り、一般誌や経済誌などでLGBT特集が組まれたり、オープンリーのLGBTの自治体議員も増えました。2015年には渋谷区と世田谷区でパートナーシップ制度も始まり、追い風があったと思います。ここで2日間開催にすることで会場のブースを充実させ、初めて飲食ブースも募集し、来場者数を増やしたいと思ったんです」
2015年の来場者数は6万人を超え、ようやく「3回の壁」というジンクスを超えることができた。
その後も毎年TRPはゴールデンウィークに代々木公園で継続的に開催され、昨年は20万人を動員するイベントとなった。ステージではこれまで、Charaや中島美嘉、夏木マリ、清水ミチコ、浜崎あゆみ、青山テルマ、りゅうちぇるなど様々なアーティストが出演。パレードでも1万人が渋谷の街を歩く規模まで成長した。
プライドの目的
昨年9月にTRPの共同代表を退任した山縣さん。最初にプライドパレードの運営に関わりはじめてから、17年が経っていた。
これまでの歴史を振り返り「ここまで社会にインパクトを与えられる大きなイベントにできたことはよかったと思っています」と話す。
「プライドパレードにとって重要なのは、LGBTの存在の可視化です。“私たちはここにいる”ということを伝えること。この数年でTRPへの参加者も急激に増え、多くの企業も参加してくれるようになりました。
ただ、TRPという“お祭り”が、単に盛り上がればいいというわけではありません。その先にセクシュアルマイノリティが直面する課題を解決することーー例えば、同性婚の法制化や、性同一性障害特例法の要件緩和、LGBT差別禁止法の整備などといった法や制度の整備を実現していくことが重要だと考えています」
また、山縣さんは「LGBTムーブメントという社会運動の手段の一つが“プライドパレード”であって、決してその逆ではない」と、TRPのLGBTコミュニティとの接続性について懸念する。
「LGBTに関する運動を担っているのはTRPだけではなく、その横幅は広いです。様々な視点からLGBTムーブメントを進める、そのうちの一つがTRPだと思っています。
(企業や参加者の増加など)TRPは大きなパワーを持つイベントになってきています。だからこそ目的を見失わず、この運動を前へ前へと進めていくことが大切です」
“商業化”への懸念
多くの企業が参加し、資金が集まるプライドパレードは、その分規模も大きく、より華やかなものになる。「楽しいイベント」としてより多くの人たちを巻き込み、結果的にLGBTに対して意識を向けてもらうきっかけを作ることは非常に重要だ。
一方で、LGBTに関する法整備が進まず、課題は残されたまま、山縣さんが指摘するように単なる「お祭り」となっていくことへの懸念の声もある。
こうしたプライドパレードの「商業化」に対する懸念は日本だけでなく、世界各地のプライドパレードでも指摘されている。
例えば昨年のニューヨークで行われたプライドパレードは、「ストーンウォールの反乱」から50周年という節目の年でもあり、世界中から約500万人がニューヨークに集まったと報道されている。
実は、そのパレード開催日の午前中、『Queer Liberation March』という別の行進が開催されていた。
テーマは「RECLAIM STONEWALL(ストーンウォールを取り戻す)」、あくまでもプライドパレードは「反乱」から始まったものだという意識や、同性婚が全米で認められることになったアメリカでも、トランスジェンダーに対する暴力など、課題は山積している。だからこそ、華々しい“お祭り”としてのプライドパレードではなく、企業や警察の入れない、デモとしての「行進」が改めて行われたのだ。
筆者もマーチに参加したが、それぞれの切実な想いが書かれたプラカードに、ブラスバンドの音楽やコールが響く熱量の高い行進だと感じた。突然音やコールが鳴り止み、数分間の黙祷が捧げられたシーンもあった。これまでに亡くなってしまったLGBTQの人々に思いを馳せるために用意された時間で、胸に込み上がるものがあった。
一方で、約15万もの人がニューヨークの街を歩いた午後のプライドパレードでは、NGOと企業がコラボする姿も見受けられた。企業のなかには、大規模なフロートは出さず、国際的な人権団体のプラカードを掲げて従業員が歩くという姿もあった。
山縣さんは、TRPについても「今後は企業とNPOの連携などがもっと増えていくといいですね」と語る。
「LGBT関連のNPOや団体も増えています。その人たちの活動がもっと見える形でサポートできないかと思っています」
プライドを託す
「僕の退任もそうですが、世代が変わり、時代も変わってきていると感じます」と語る山縣さん。以前のプライドパレードは「ゲイ」主導の運営で開催されてきたが、「今は多様なセクシュアリティの人たちが運営に携わっています」
そんな山縣さんが次の世代に託したい想いは何か。
「過去の運動の歴史、その蓄積の上に今の自分たちが生きている。そして、自分たちの後ろには次の世代がいることを意識してほしいです。
中長期的にこの運動をどうしていくのか、より広く、より先のことを考えていってほしいと思っています。
『プライド』という言葉の意味をどう考えるのか、何のためにプライドパレードをやっているのか、僕も常に自分の中で考え続けながらやってきたし、やっていかないといけないと思っています」
山縣さんは、雑誌『OVER』第1号の「What is your PRIDE?」という企画で、「プライド」についてこう語っている。
持ったり捨てたり高かったり低かったり傷ついたり傷つけたり。「Pride」はいろんな扱われ方をするわけだが、こと「Gay Pride」を自分なりの言葉にするなら、それは私自身の「生」の根源の一つである「性」の在り方を肯定するための力であり、社会と向きあっていくにあたっての礎である。
「自分は今まで運よくサバイブすることができましたし、ある程度、自分のこれまでの人生には満足しています。しかし、これまで、多くの当事者の友人知人を亡くしてきました。両手では足りないくらいです。病気で亡くなった人もいれば、自死の人もいました。
50歳を超えて、僕の中では自分の人生の物量や総体が見えてきているというか、だからこそ、いつ死んでも良いとは言わないけれど、いろいろ大変な経験もしたけれど、これから大変になるかもしれないけれど、これまでの自分の経験を少しでも社会に還元したい。生きている残りの時間で、自分に何が残せるのか、何を伝えることができるのかについて、これからは“焦りながらじっくり”考えていきたいんです。
今の若い人たちが、その人生の途上において、何かを諦めざるを得なかったり、図らずも命を落としたりするようなことがないように、微力ながらなんとかしたいと思っているんです」
『東京レインボープライド2020』のプライドフェスティバル&パレードは、4月25日(土)、26日(日)に、代々木公園イベント広場を会場として開催される予定。
(※新型コロナウイルス感染症の影響により、開催1ヶ月前の3月25日前後に開催や延期・中止等の判断がされると発表)
(2020年03月05日のFair「日本のプライドパレード「単に祭りが盛り上がればいいわけではない」17年間支え続けたゲイ当事者が語る、プライドの意義」より掲載)