ある日、自分が着たい服を着ることが許されなくなったら?
アルジェリア内戦下における、自由を求める女性たちの戦いを描いた映画『パピチャ 未来へのランウェイ』が公開中だ。
「暗黒の10年」と言われる1990年代のアルジェリアで、ファッションデザイナーになることを夢見る大学生ネジュマを主人公に、イスラム原理主義が台頭する社会における女性たちの受難と自由への希求を描いた作品だ。
監督は北アフリカのアルジェリア出身、ムニア・メドゥールさん。これが初めての長編映画となる彼女は、90年代の内戦を経験し、家族とともにフランスに移住した経験を持つ。そんな彼女が故国の弾圧の実態と、過酷な仕打ちをうけてもなお国を愛する想いをたっぷりと込めてつくり上げた。
メドゥール監督に、本作について話を聞いた。
クラブのトイレで自作のドレス売る主人公
映画の冒頭、独学でファッションを学ぶ主人公ネジュマは、クラブのトイレで自作のドレスを売っている。
イスラム原理主義が台頭していた90年代のアルジェリアでは、女性は黒いヒジャブを身に着けろという圧力が高まっていた。街や学校の壁には「正しい女性の服装」を示したポスターが貼られている。銃を持った男がネジュマたちの乗るタクシーを検問し、彼女たちが慌ててヒジャブを身に着け、やり過ごす様などが描かれる。
本作は女性の抑圧への抵抗を、ファッションを通して描いている。メドゥール監督は、本作にファッションという題材を選んだ理由を、こう語る。
「これは90年代のアルジェリアの女性の戦いを描いた作品です。私は、それを大きな視点ではなく、よりパーソナルな視点で、一人の女性の目線で、当時のアルジェリア社会を描こうと思っていました。
内戦当時は、外国のジャーナリストは入国できませんでしたから、アルジェリア人の日常を、普通の女性の視点から伝えたかったのです。
ただ、ユニバーサルな視点も必要だと思い、ファッションを題材にすることにしました。私にとってファッションとは、自由や抵抗の象徴です。
当時の原理主義者たちは女性の身体を布によって覆い隠そうとしましたが、ネジュマたちは、服によって抵抗し、自由を表現しているのです」
衣装布の下に武器を隠し持っていた女性たち
アルジェリアには、ムスリム女性が着用する「ハイク」と呼ばれる衣服布がある。千年以上の歴史を持つ純白の美しい布で、今でも高齢の女性たちが普段着として使用することがあるという。ネジュマは、この純白のハイクを使ったドレスを作り、ファッションショーを開くことを思いつく。
このアイデアは、メドゥール監督のオリジナルだそうだが、伝統布を使って新たなドレスを生み出すという点に彼女の強いメッセージが込められている。
「ハイクという伝統的な布を用いてドレスを作るというのが映画の重要なポイントです。フランスの植民地支配の時代、女性たちはハイクの下に武器を隠して、男性たちと肩を並べて戦いました。ハイクは植民地政策に対する抵抗運動の象徴だったのです。
しかし、90年代には原理主義者たちがその下に銃を隠して、テロ行為を行うようになってしまった。ならば、私は作品のなかにハイクを登場させ、その描き方によって、自由の象徴として刷新しようと思いました。
私はアルジェリアを愛していますから、アルジェリアの文化も伝統も否定しません。ハイクをドレスに仕立て直すというアイデアには、伝統を継承しつつ、自由な形へと生まれ変わらせたいという想いを込めています。
もう一つは経済的な理由です。ネジュマの家庭は裕福ではありません。ハイクは、アルジェリアの一般家庭で最も身近な布です。そういう生活に根ざした伝統を新しい形に変えていくことを彼女は目指しているわけです」
性衝動を抑える成分が食事に…
本作には、女性が男性から受ける差別も数多く描かれる。女性たちを睨みつけならヒジャブ着用を啓蒙するポスターを貼る男性、バスの中でいきなり「正しい服装」としてヒジャブを押し付ける男性。ほかにも、何気ないセリフの端々に無自覚な女性蔑視が刻印されている。
さらに、原理主義に染まった女性たちからもネジュマたちは抑圧を受ける。ハイクと対照的な黒いヒジャブに身を包んだ女性の集団が、ネジュマたちの大学に押し入り、授業を妨害し「正しい服装」を押し付けようとする。彼女たちはいったいどのような存在なのだろうか。
「彼女たちは、原理主義思想に触発された少数の女性で、自発的にあのような行動をとっています。政府の組織などに属しているわけではなく、自警団のように活動して、女性に『正しい服装』をするように迫っているのです。こうしたエピソードは私の大学時代の体験に基づいています。
原理主義者たちにとっては、女性が医者や教師などの職業に就くことは許せないことだったので、ああしてキャンパスにやってきて威嚇していたんです。そんなこともあったので、当時は大学に行くだけで危険が伴いました」
作中では、さらに恐ろしい性の抑圧の実態が描かれる。大学の食堂で提供される食事の中に、性衝動を抑えるとの説があった臭化カリウムという成分が混ぜられているというエピソードが登場するのだ。
「これも実際にあったことです。朝の食事の牛乳に混ぜられていました。実際に性衝動を抑える効果があるとされていて、女性だけでなく、兵士たちの食事にも入れられていたこともあるのです」
受難があってもアルジェリアへの愛は失わない
主人公のネジュマはそんな恐ろしい体験をしながらも、アルジェリアを愛している。国を離れることを持ちかけられても、彼女はその申し出を固く拒む。そんなネジュマの祖国への態度は、監督自身の個人的な思いを反映しているそうだ。
「ネジュマの考え方や行動はすべて私の個人的感情から生まれたものです。
私は1996年にアルジェリアを離れざるを得なかったのですが、同級生や友人、親族とも本当は別れたくなかったですし、新しい世界への恐れも感じていました。
私は今もアルジェリア社会に対して、愛とその反対の感情を両方持っています。アルジェリアの人々の温かさと人間性を愛していますが、同時に政治の問題に対しては嫌悪感もあります。それでも私はこの映画でアルジェリアへの愛を表現したかったんです」
無知と貧困が社会を荒廃させる
メドゥール監督は、アルジェリアを愛しているからこそ、悪い部分は変わってほしいと願っている。社会にはびこる差別と偏見はどこからやってくると考えているのか、作中のネジュマのセリフにそのヒントがある。
「無知な人々が信仰を振りかざして暴走している」
これは監督自身の考えでもあるそうだ。
「無知と経済的な困窮が人々を暴走させるのだと思います。内戦初期に実施された総選挙の時、原理主義者たちは、生活を保障すると言って貧困にあえぐ若者たちを先導し、イデオロギーに染め上げていったんです」
経済格差の分断は日本でも進行し、それに伴い教育格差も進んでいる。無知と貧困は確実に日本社会を蝕みつつある。メドゥール監督は本作に込めた力強いメッセージは、現代の日本社会にも切実に響くだろう。